安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 Vol.13「ラ・コルーニャ」
さんさんと溢れる太陽が、その勢いをまるで失わないのに、時計の針が夜の8時を指している。
豊は、時計が壊れているんだと思ったが、寮の時計はどれも同じ時刻を指していた。
「どういうことやねん…これは…」
日本を出たことのない15歳には、衝撃の体験だった。
ラ・コルーニャの日没は、この時期、夜の9時頃になるのだ。
ここから夏にかけて、日はどんどん長くなり、7月8月になると夜10時になってもまだ明るく、日照時間は15時間以上にもなる。
夜になったことに気づけないこの明るさに慣れるまでに、豊は1か月ほどかかった。
「昼間」が長いので、スペイン人は当然のように「シエスタ」を取る。
午後1時頃から4時頃までの昼休憩のことである。
シエスタは、日の出から約6時間後をはじめとして、そこから3時間ほどの長い昼休みを指す。
この時間、商店もオフィスも閉まり、街には誰もいなくなる。
眩しいほどの日差しに隅々まで照らされて、すべてがくっきりとした輪郭を描く街…ほんのついさっきまで人がいた気配があるのに、人影が見えない。
まるで、そこから人だけを取り除いたパラレルワールドへ迷い込んだようだった。
そんな不思議な気分を味わいたくて、豊は、よくこの時間帯をわざと選んで街を歩いた。
サッカーの練習は、早朝からシエスタまでの時間が充てられた。
ドリブルやシュートといった技術面の練習は、やはり日本でやってきたものより厳しかったが、豊は持ち前のしつこさで食い下がっていった。
自分に期待されていると思うことに、完璧に応えられなかった時には、なにくそ!と思って、そこからスィッチが入った。
その努力の甲斐もあって、豊はここでもメキメキと腕を上げていった。
遅い日没は、豊たちに別の悩みも与えた。
昼食は、シエスタの前に摂る。
スペイン人は、そのまま昼寝をするが、豊たち外国人には、そういう習慣がないので、なんとなく起きている。
シエスタが終わって、陽が傾きかけるのが夜の9時や10時頃…この時間になって、ようやく晩ごはんとなる。
「え~、もう待たれへんわ。」
寮での夕食の時間が遅すぎて、育ち盛りのサッカー少年は、何度そうこぼしたかわからない。
寮での食事は、4人席のテーブルに、外国人たちと一緒に座って食べた。
寮なので、それほど変わったものは出て来なかった。
サラダは必ず出てきて、その後にメインディッシュが出てくる。
ハムを焼いたり、肉をオレンジソースで炊いたり、ミートソースのドリアやスペイン風オムレツなど、馴染みのあるものだった。
量的には、いつもフライドポテトがお皿いっぱいに敷き詰めてあったので、満腹感は味わえた。
こうして晩ごはんを終えた頃、市内のサッカー場で、サッカーの試合がスタートする。
スペインは全土でサッカーが盛んだが、ラ・コルーニャには、スペインでも強豪のチームが集まってきた。
有名な地元のチームと対戦するのだ。
サッカーの観戦料は豊にも買えるほど安かったので、豊もよくサッカーの試合を見に行った。
それほど大きくもないラ・コルーニャの街は、鮮烈な昼間の太陽が落ちると、いきなり電気を全部消した時のように暗くなる。
サッカースタジアムのナイトゲームの照明が、街の中でスポットライトのように点灯する。
人々は、その明かりに踊る虫のように、ひいきの選手がコートを走り回って、相手チームからボールを奪うたびに、両手を振って歓喜する。
豊も、その中に混じって、暗い夜空をヒラヒラ舞った。
試合が終わると、興奮を体中のあちこちに残したまま、観客はひんやりとした闇の中へと散り散りに消えていく。
熱と静寂…
寮は、歩いて帰るには少し距離があったが、翌日の練習が休みの時など、豊は海沿いの道を寮に向かってそぞろ歩いた。
スペインの乾いた夏の風が、海を渡っていく時、歌っているように感じるのだ。
波の音は、低く…パーカッションのリズムのように聞こえる。
高い建物などない田舎町と島影もない暗い海の境目は、小さなバルの明かりが点線のように繋がっていた。
寂しさがほどよいスパイスとなって、異国の日々を彩った。
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