安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 Vol.16 「アスンシオン」

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パラグアイは、ブラジル、ボリビア、アルゼンチンの3か国に囲まれた南米内陸部の小さな国である。


首都アスンシオンは、パラグアイ川を挟んでアルゼンチンと接する位置にあり、アメリカのワシントンDCのように、パラグアイのどの州にも属さない特別区となる。


と言っても、市の中心付近にこそ高層建築が見られるが、それ以外は10階建て以上の建物のないこの街は、世界一物価の安い都市でもある。


南米の中でも歴史は古く、かつてアルトペルーと呼ばれる高山ペルーへ至る道にあるといわれた「銀の山」を探して、アルゼンチンとウルグアイの間に河口のあるラ・プラタ川を遡ってきたスペイン人によって街としての形態をなした。


そのため、この土地はスペインの名残を多く引継ぎ、今もスペイン語が共通語として使われている。

 



アスンシオンのシルビオペッティロッシ国際空港で、豊はまず、パラグアイの洗礼を受けることになる。


日本食が恋しくなった時に、と思って持ってきたお茶漬け海苔をみつけた税関職員が、いかにもいいものを見つけたという顔で、自分用に取り込もうとしたのだ。


どうやら日常茶飯事らしく、他の税関職員も、それを笑ってみていた。


おそらく、後でお相伴にあずかろうということなのだろう。


「おい、おい、あかんやろ~」


豊は思わず日本語で税関職員に声をかけ、手を出して、お茶漬け海苔を取り返した。


税関職員は、ラテン系のノリで笑いながら、強奪に失敗した獲物を豊に返した。


パラグアイでの1年の始まりに起きた出来事は、それからの暮らしを物語っていた。


とにかく、何事も、よく言えば「おおらか」で、悪く言えば「がさつ」な日々が、豊を待っていた。


日本の援助で建設された空港は、人口の少ない国を象徴してこじんまりとしていて、税関での出来事以外は、スムーズに済んだ。


外に出ると、熱気がまとわりつくように豊を囲んだ。


南半球の3月は、真夏である。


気温は30度を優に超えていた。


不覚にも冬の恰好のままだった豊は、すぐさまコートを脱いだが、そんなくらいではとても間に合わなかった。


空港からは、迎えに来てくれた車で寮に向かう。


曲がりなりにもかけられていたクーラーがありがたかった。


なによりも、30時間以上かけてたどり着いた地面で、「到着した」ことに安心を覚えた。


車は右側通行らしい。


道路に車線が引かれていなかったので、どうやらそういうことらしい…と推測するしかなかった。


向かう寮は、アスンシオン市内の真ん中あたりの地区だったが、それまでの道のりは、でこぼこのままで舗装されていなかった。


多分、雨が降ると、かなりぐっちゃぐちゃにぬかるむだろうと思えた。


たまに、舗装された道が出てきても、ガードレールはない。


「写真は…ええとこだけ、撮ってるんや…」と車の中でシェイクされながら、豊はしみじみと思った。


なんかえらいところに来てしまった…多少の覚悟はあったものの、滑り出しからの想像を絶する歓迎に、豊はついさっき感じた「安心」を手放さなくてはいけないのだろうかと思い始めた。



 

寮では、豊がパラグアイへ来ようと思う動機となったJリーガーに会うことができた。


Jリーガーは、地球の裏側での豊との再会を喜んで、豊を歓迎してくれた。

ここも、悪くない…豊は、ふとそんな気持ちになってしまった。


 

パラグアイでも、豊は、地元に数あるチームの一つに所属して、毎日、練習を重ね、時折、試合にも出場した。


練習は、走り込みが中心だったが、パラグアイの選手たちの技術レベルが、スペインのそれよりはるかに高いことはすぐに分かった。


パラグアイでは、何事も「ワイルド」だった。


試合に行くときの移動は軽トラで、選手たちはその荷台に乗って行った。


出会う人はみんな上半身裸のままで、土ぼこりを巻き上げながら走る軽トラを、くわえタバコで眺めていた。


みな一様に日に焼けた肌がツヤツヤと光って、胸板も腕もたくましかった。

この国は、確かに裕福ではないが、肉体労働の多い庶民の生活が、彼らの身体能力を挙げていることは間違いなかった。


そんな中で、人々の楽しみといえば、サッカーと賭け事だった。


どちらを応援しているのかよくわからないが、とにかく選手が走れば歓声をあげる。


ボールを取れば、なおさら声は大きくなる。


シュートでもしようものなら、声は叫びに変わった。


酒好きな国民ではあるが、酔っていなくても、彼らは陽気で、道で知り合いに出会っただけでも、サッカー観戦のような騒ぎだった。


アスンシオンは、南米の都市の中では治安はマシな部類に入る。


夜は、街の明るさがまるでなく、20時を過ぎるともう真っ暗になったが、それでも大通りを歩いている分には、それほどの危険はなかった。


スラム街のような地域もあったので、通ってはいけないと、周りのパラグアイ人は注意してくれた。


踏み込めば、生きて帰れたらいいね という感覚だそうだ。



 

普段は、アスンシオンに住む日系人たちが、何かと豊たちの世話をしてくれた。


ブラジルからパラグアイに流れてきたらしい。


パラグアイの原住民であるグアラニー族も、そのルーツはモンゴロイドなので、日本人はあまり抵抗なく受け入れられたようだ。


パラグアイの人々の暮らしぶりと比較すれば、日系人たちは裕福な部類に入る。


日ごろの食事は、日系人家庭で摂ることが多かったが、たまにパラグアイ人たちと「パラグアイ料理」を分け合う機会もあった。

 



アサ―ドは、パラグアイの代表料理で、いわゆるバーベキューのような炭火焼肉なのだが、一種の社交場としての役割も兼ねていて、肉の焼ける匂いに誘われて人がどんどん集まってくる。


日本人の少年を歓迎しようと、パラグアイ人たちは、豊をよくアサ―ドに招待してくれた。


ところが、何事もワイルドな彼らは、肉の焼き方もワイルドで、肉の塊を網に乗せて、外側だけ焼けたら、もう切って食べられる…と、勧めてくれる。


たっぷりと血の匂いが残ったまま…ということがしばしばあった。

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