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安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 Vol.17「限界」

Image by Olia Gozha


豊が、パラグアイまで会いに来たJリーガーは、パラグアイでチャレンジしていることにスポットを当ててもらう機会に恵まれ、ジェフユナイテッド市原の監督に呼ばれ、日本へ帰っていった。


豊が、パラグアイに来て、半年が過ぎた頃、アスンシオンは、温和な冬も過ぎてまた夏の始まりを迎えていた。


豊の心の中では、到着した頃の高鳴りが焦りに変わり始めていた。


スペインでは、シュートもドリブルも、なにくそと思えるくらいのレベルの差で、食らいついていけたが、パラグアイの同年代の代表を見ていると、同じスポーツとは思えないくらい別物に思えるのだ。


ある程度まではついて行けても、自分には突出する武器がない…試合に出ても、すぐにつぶされた。


チームの監督は、杖をついていて、仙人のような風貌の老人だった。


パラグアイ人は、強い紫外線のせいで、日本人の感覚よりははるかに老けてみえるので、監督の実際の年齢は定かではないが、60歳はゆうに超えていた。


彼は、走りこそしなかったが、チームの中で最もサッカーが上手かった。


生まれた時からワイルドな環境にあって、日常の中で身体能力が磨かれ、アサ―ドを食べるようにサッカーをしてきた国民が、外国から来たサッカー留学生を凌ぐには、老人で十分…そう言われているような気さえした。


雨の降る日がまた、増えてくるにしたがって、豊の心は鬱々とすることが多くなった。


小学校の終わりでの転校、中学のサッカー部、兄の死…それでも、豊は、乗り越えてきたつもりだった。


スペインではそれなりの活躍もして、帰国後はユースでプレイもした。


パラグアイで、プロになれるかも…と希望を抱いて、飛行機に乗った。


それなのに…どうだろう?


今、自分に可能性が感じられるか?


ひょっとして、もうこれが限界なんじゃないだろうか?


実は、パラグアイに旅発つとき、豊は、どこかに不安があったのかもしれない…パラグアイでの期限を18歳までと決めていた。

 



そんなある日、いつも食べ物を買いに行っているアスンシオンのデパートが、突然、爆発した。


不注意によるガス爆発で、テロなどではなく、日常、あちこちでおこる事故の延長に過ぎなかった。


なにも、それが引き金になったというようなものではなかったが、豊の心の中でも何か小さなものが爆発した。


精神的に少し錯乱したような状態で、豊はついに母に電話をした。


「おかん…ごめん…もう、あかんわ」


母は、さらりと「ふ~ん、そうか。ほな、帰ってくるん?」と言った。


理由も聞かず、頑張れとも言わない母から、豊は、限りない優しさを感じた。


その一方で、自分の不甲斐なさも、噛みしめた。


世界の果てまで行ったと思った孫悟空が、実はお釈迦様の手のひらからも出てはいなかった…という西遊記の話がある。


母の大きさ、自分の小ささ…


18歳を迎えた豊は、春の明石へと再び、戻って来た。


もう、空っぽだった。

 

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