安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 Vol.18「転機」

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目標を失った豊は、空っぽの自分を、風に巻かれて宙を舞うのに任せていた。


立ち上がるのにも力が要る。


元気になるための元気さえも残っていない気がしていた。


マサシは、つかず離れず、なんでもない風を装って、他愛もない用事を作っては、豊の様子をはかりに訪れた。


マサシとの会話が、少しずつ戻ってきたころ、マサシが、駅でやっている路上ライブを聞きに行こうと豊を誘った。


路上ライブって…と、豊はマサシの誘いを半ば面倒くさくも思ったが、自分を思いやってくれる友人の気持ちを汲みたかったし、そういえば、まんざら音楽に興味がないわけでもない自分にも気づいていた。


もしかしたら、空っぽになった自分を埋められるものがあるのかもしれない…決して、前向きに考えたわけではなかったが、万が一にもそうなってくれれば少し救われる気もした。


何より、用もなく積み上げられた空の段ボール箱のように家にこもっている自分をどうにかしたくて、豊は、マサシの誘いに従った。


今、思えば、これが「転機」だった。



 

「ああ、そういうことだったんですか…スペイン語って…」


僕は、なんだかすべてが腑に落ちたように思えて、宙に向かってそうつぶやいた。


ギブソンが豊に伝えたい、元の持ち主の思いが、さらに深く理解できた。


「マサシも音楽は好きだったんだよ。でも、まだその頃は、人前で歌うなんてとんでもないって思っていたんだ。」


ギブソンは、過ぎてしまったその頃に目をやるように、窓の外の夜空を見上げた。


空はもう漆黒が褪せて、うっすらと朝の兆しを見せていた。

 



この後、豊は、音楽によって徐々に満たされていった。


「弾き語り」に衝撃を受けた空っぽの少年は、いつか、自分をその場所へ誘い出してくれた友人と一緒に、路上でライブをする側に回りたいと夢見るようになっていった。

 



ドアを挟んで、リビングから物音が聞こえてきた。


「あっちゃんだよ。」とギブソンが小声で言った。


その声を合図に、僕たちはまたおしゃべりをやめた。

朝が来たのだ。


ほどなく豊の声がした。


「おはよう!」


そして、それから1時間もしないうちに、豊は、仕事へと出かけていった。


月曜日…1週間の始まりだった。

 



昼間は、あっちゃんが掃除をしたり、買い物に出かけたりしていた。


僕たちは、いつ途切れてもいいような他愛もない会話を交わすだけにして、豊の帰りをまっていた。


ギター同士のひそひそ話など、あっちゃんが一人でいるときに聞こえたら、一大事になる。


夕方、まだ空に明るさが残っているうちに、豊が帰ってきた。


「ちょっと練習に行ってくるわ。」


豊はそう言いながら、あわただしく僕たちのいる部屋のドアを開くと、僕をケースの中に入れた。


豊の背中で、彼の歩調に合わせて揺られながら、僕は、またその日に体験することを、ギブソンに報告する自分を想像していた。


豊と出かけて、その日に体験したことをギブソンに話すと、ギブソンは、その背景にある豊の物語を、まるで映画でもみるように話してくれる。


いつの間にか、僕は、ギブソンから聞く豊の話を楽しみにするようになっていた。


僕は、夜が待ち遠しくさえ思った。



 

豊もあっちゃんも寝静まった頃、僕たちはまたおしゃべりを始めた。


「このところ、豊はどうも忙しそうにしている感じだなぁ」


ギブソンが、口火を切った。


「僕は、まだここに来てから数日しかたっていませんけど、なんとなく窮屈そうな感じはありますね。今日も、練習の時に、ライブの開始時間の変更を、礼央さんと相談してました。


どうも、仕事場には、音楽のこと、知らせてないみたいですよ。」


僕にはこの時、まだ、豊の事情はよくわからなかったので、やがてこのことがまた豊の転機へと繋がっていくことなど、思い至らなかった。


「それで、ゆうべの続きですけど…マサシさんに誘われて、路上ライブを見に行って、夜中の海で歌って、マサシさんに褒められて、2人で路上ライブを始めることになるんでしたよね。」


僕は、その時の豊の様子よりも、前夜の話の続きが聞きたいと思った。


豊が、なぜ、今、歌っているのか、この先、何を歌っていこうとしているのか、豊の背景を知ることで、僕は、もっともっと豊の一部になれるような気がしていた。


「あの頃は、マサシも豊もまだ18歳でね、若かったんだよ。

なんでもがむしゃらで、なんでも楽しんでたんだと思う。僕が豊のところに来た時、豊の最初のギターがまだ居てね、彼が、豊と一緒に行った西日本ツァーの話をしてくれたんだよ。」


ギブソンは、音楽が豊を満たして1年が経った頃の話を始めた。

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安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 vol.19 「西日本ツァー」

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