6年前、上海で出会った女の子を探して。 投資家として飛行機なしの世界一周 その2

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 宿に荷物を置くと僕はすぐ、ある日本料理店を探しに出かけた。6年前、初めて上海に来た時、出会った女性を探すためだった。

 2002年12月、初めての一人旅をした。北京から香港までの縦断旅行だった。出発地点の北京には留学中の友人がいて、まずそこに一週間滞在した。


 北京を出発する日、風邪を引いていることに気づいた。それは突然やってきて、すぐに重い症状になった。熱、咳などの症状はもちろん、食事の時に強い吐き気をもよおす。その日は雪が降っていたのだけれど、そのせいもあってか寒気が特にひどかった。当時はSARSと呼ばれる伝染性の高い風邪が中国で流行っていて、世間を騒がしていた。でも流行っていたのは中国南部だったので、SARSである可能性は限りなく低かったのだけれど、時々脳裏をよぎって不安になった。


 友達に送ってもらって辿り着いた北京駅の改札は、人の濁流が止まることを知らず、息苦しかった。重いバックパックを背負い、倒れそうになりながら行列を並び終え、深夜列車の寝台に身を投げた時、僕はもう動けない状態だった。初めての一人旅の門出の日だというのに、ベッドの中で大量の汗をかきながら、意識もうろうとしていた。

 夜の闇の中、電車の音に紛れて聞こえる中国語のひそひそ話。時々電車の中に差し込む、街灯のオレンジの光。通り過ぎながら伸び縮みする、「カーンカーンカーン」という踏切の歪んだ音。悪夢にうなされているような状況の中、生まれて初めて独りぼっちがこんなにも寂しいものなのだと知った。僕は孤独不感症で、それまでの人生で寂しいと思ったことなどほとんどなかったのだ。でも今は、あらゆる絆の届かない世界にいて、ベッドの中でブルブルと震えている。北京にいるときは早く一人旅に出たいと思っていたのに、今では早く知っている人に会いたいとさえ思っている。風邪をひいたとはいえ、あまりにも早く、そんなに気弱になってしまった自分が嫌になった。僕は一晩中咳が止まらず、あまり眠れなかった。

 依然体調の悪いまま、上海に着いた。タクシーの運転手に行く予定だったホテルを告げると、もっと安くていいホテルがあるからと言われ、とりあえずそこに行ってみることにした。そこはツインの部屋で、一人で泊まるには広過ぎたし、思っていたよりも高かったが、あまりにも疲れていて他のホテルを探す気にならず、泊まることにした。睡眠不足だったこともあり、その日は近くを散歩したくらいで、すぐに寝てしまった。咳が止まってきたおかげで、ぐっすり眠ることができた。

 翌日、熱が下がって寒気がなくなり、体調がかなり回復していたので、街を散策した。それでも長く歩いているとフラフラするような状態だったので、屋内ならまだマシだろうと思い、上海雑技団を見に行くことにした。

 雑技団の演技はエキサイティングで、人間の能力は訓練でここまで高められるのかと感嘆させられた。ただの見世物だとあまり期待してなかったのだが、十分に満足できるものだった。見終わって夕飯を食べる場所を探していたところ、日本料理店を見つけた。上海にまで来て日本料理は本来はありえない選択だったが、風邪を引いていた上に慣れない中国料理で腹を下していた僕は、
「ここは少しでもおいしくて食べやすいものを食べて、力をつけるべきだ」
 と言い訳をし、入ることにした。店に入り、拙い中国語でカツ丼を注文した時、注文を取っていた女性の店員が日本語で話しかけてきた。

「あなたは日本人?」
「そうですが?」
「旅行中?」
「はい。」
「そうなんですね。私も日本人ですよ。」

そういって彼女は笑いかけた。

「どこから来たんですか?」
「横浜です。」
「上海にはいつ来たんですか?」
「昨日です。」
「昨日来ていきなり日本料理?」
「上海の前に北京に一週間いたんです。だからいきなりというわけではないんですけど。しかも風邪をひいちゃって、すごく体調が悪いんです。だから油の少ない健康的なものを食べようと思って。」
「そうなの?大丈夫?心配ね。ちょっと待ってて。」

 彼女は一旦奥のキッチンの方へ引っ込んでしまった。

 しばらくすると彼女はカツ丼を持ってきた。そして他の客の対応をした。
僕は久しぶりにカツ丼を食べた。それはごく普通のカツ丼だったが、弱っている僕にはとても美味しく感じ、本当に力がつくような感じがした。感動するくらいだった。

 食べ終わると彼女が温かいお茶を持ってきた。

「1人なの?」
「そうです。」
「学生さん?」
「そうです。21です。」
「そう?じゃあ私の3つ下ね。名前は?」
「竜也です。」
「私はマイよ。よろしくね。」

 話によると彼女は中国人と日本人のハーフで、中国語と日本語のどちらも不自由なく話せるということだった。何故かはわからないが、彼女はこのお店で立場が上のようで、僕としゃべっていても他の店員は誰も咎めなかった。時々仕事をしては、手が空くと僕に話しかけた。孤独に一人、心身が弱っている時、心を通わせられる相手がいることほど安心することはない。初めて会った相手と少し会話しただけだったが、周りにいる全ての人間とまともに会話もできないという状況で、日本語で自由に話せることが、心の通いを感じさせた。

 勘定を終えようとした時、彼女は僕の泊っているホテルがどこなのか聞いてきた。地図を見せ、場所を指差した。ホテルの電話番号も教えた。

「上海を案内してあげる。もし体調が悪いようだったら、私が看病してあげるわ。」


 翌朝、部屋の電話の音で目が覚めた。フロントからかけてきているマリだった。僕は急いで起き上がり、歯を磨いたりしたが、すぐにノックの音がした。ドアを開けるとにっこり微笑んだマリがいて、ビニール袋を2つ、両手に提げていた。

「おかゆを買ってきたわよ。」
「あ、ありがとう。」
「入っていい?」
「どうぞ」

 マリは部屋に入るなり机を見つけて、そこにおかゆと箸を並べた。

「はい。食べて。中国ではみんな朝おかゆを食べているのよ。風邪ひいてるみたいだしちょうどいいでしょ。
「う、うん。」
「具合は大丈夫そう?」
「うん。もう大分良くなったよ。咳も出ないし熱もない。昨日は長く歩いていたら体調が悪くなったけど、今日は大丈夫だと思う。」
「そう。良かった。昨日は随分具合が悪そうだったから」

 僕は朝起きて突然の出来事に考える余裕もなく、気づいたら髪は寝癖がついたまま、マリの前でお粥を食べていた。昨日ちょっと話をしただけの女の子が、いつの間にか自分の部屋にいるということの非現実さに、ただ茫然とするしかなかった。どうしてマリは、少しの警戒もせずに、まるで旧知の仲のように、僕の心配をしてくれるのだろう。分からないことだらけだったが、マリは何も不自然なことはないように、ただニコニコして僕がお粥を食べるのを、肘をついて見守っていた。

「上海はどこをまわったの?」
「まだこの近くとバンドを少し歩いて、上海雑技団を見ただけだよ。」
「豫園は行った?」
「行ってないよ」
「なら今日は豫園に行って小籠包でも食べましょ。体調が悪くなったらまた戻ればいいわ。」

 そうして僕らは、上海の観光スポット「豫園」に行くことになった。この際彼女に今日を任せて、付いて行ってしまおう。僕は寝癖を直し、身支度をして、マリと一緒に外に出た。

 外を歩いていると、多くの人たちがマリに注目した。マリは黒のセーターにチェックのスカート、黒のニーハイブーツという格好をしていた。当時、日本ではそういうファッションの人は多くいたが、中国では珍しかった。先進都市の上海でさえ、綺麗な顔立ちの若い女性が、古ぼけたジャージを着て道を歩き、豪快に「かー、ぺっ」とタンを吐き捨てる時代。服装のことなんてほとんどの子が気にしていないか、その余裕もない、そんな時代だった。しかも冬のこの季節に、ミニスカートで太もも丸出しで歩いている女の子なんて、一人もいなかった。マリは道行く多くの人たちの視線を浴び、中高年の人たちの中には怪訝な表情をする人もいたし、立ち止まって、

「あんた、よく寒くないわね!」

と声をかけるおばさんもいた。ところがマリはというと堂々としたもので、

「全然寒くないわ。日本じゃ普通なのよ」

と中国語で返していた。

 僕たちは豫園に向かった。途中、彼女はずっとしゃべり続けていた。バスの乗り方から詐欺にあわない方法まで、いろいろ教えてくれた。実際、道の途中で赤ちゃんを抱いた母親と、その夫らしき人に話しかけられたことがあった。彼女の通訳によると、「上海で働いていたが失職し、田舎に戻りたいが電車に乗る金がない。だから恵んでくれ」と言っているという。彼女はただお金をせびっているだけだと言ったけれど、僕はみすぼらしい格好をして赤ちゃんをあやしている母親を見て、本当だったら可哀想だなと思った。当時の僕はまだ旅慣れもしていなくて、日本の常識から抜け切れていなかった。海外、特に多くの発展途上国では、道端で向こうから話しかけてくる人の言うことは、まずは疑うべきだという基本をまだ知らなかった。押しに弱く、人をすぐに信じてしまう日本人が、海外の観光地で簡単にカモられ、バカにされているということをまだ知らなかった。

 しかしすぐに、マリの言っていることが本当なのだと分かった。同じようなことを言う夫婦にまた会ったからだ。彼女は

「この後行くところでも気を付けてね。いちいちお金をあげてたらなくなっちゃうわよ」

 と言った。マリは頼りになるお姉さんガイドだった。

 豫園の近くの小さなお店で、小籠包を食べた。店内では客があらゆるものを床に捨てていることに驚いた。ティッシュ、魚の骨、ひまわりの種など、とにかくなんでもかんでも床に捨て、中には痰を吐き捨てている人もいた。マリによると、これも大衆食堂では普通なのだという。

 店を出た後、公園を散策した。僕は時々写真を撮っていて、マリにも二人で撮ろうと誘ったが、

「私のことは撮らないでいいの。あなたの旅なんだから、あなたをたくさん撮ってあげるわ。」

 と言って断られた。まだデジタルカメラが登場したばかりの頃で、多くの旅行者が使い捨てカメラを使っていた。僕も24枚どりの使い捨てカメラを持ってきていたのだが、マリはしきりに僕を撮ろうとし、観光スポットで僕だけが写っている写真で、何枚か使ってしまった。

 そのあと、人民公園や南京路など観光スポットをひとしきり散策したところで、僕はまた体調が悪くなってしまった。風邪をひいて以来、そんなに歩き回ったのは初めてだったし、小籠包が脂っぽかったのもあるかもしれない。マリにそのことを言うと

「じゃあ夕飯を買ってホテルに戻りましょ。」

 と言った。どうしてマリがそんなに優しくしてくれるのか、僕には本当にわからなかった。

 しかしホテルに着いて夕飯を食べ、しばらくすると、今度はマリの体調が悪くなりだした。体がだるくて少し気持ち悪いという。僕は風邪をうつしたのかもしれないと思い、心から申し訳ない気持ちになって、しきりに心配した。
「大丈夫?寒気はない?」
「寒気はないわ。大丈夫よ。少し寝かせて。」
 そういうと彼女は、僕の寝ていたベッドに入ってしまった。僕は何か出来ることはないかと考えたがどうすることもできず、隣のベッドに腰掛けて、寝ている彼女の背中を見守っていた。しばらくすると彼女の寝息が聞こえたので、僕はやることもなくなり、仕方なく本を読み始めた。
 ずっとしゃべり続けていた彼女が寝てしまい、部屋は静まりかえった。彼女の寝息だけが聞こえる。本を読みながら、時々彼女を見た。彼女は向こうの壁側を向いて寝ていた。昨日会ったばかりの女の子。静かな部屋でふと我に返ってみると、不思議な気持ちになった。いつの間にこんなことになっていたのだろう。
 2、3時間も過ぎた頃、僕も眠たくなってきてしまった。このまま明日を迎えてしまうのだろうか。翌日の朝、僕はまた長距離列車で廬山というところに行く予定だった。彼女とはお別れになってしまう。そう思うと焦燥感に駆られた。彼女は中国に、僕は日本に住んでいる。当分会うことは難しいだろう。出会ったばかりだというのに、風邪をひいている僕の世話をしてくれたマリ。寝ている彼女の背中を見つめながら、すでに今日一日のことが懐かしくなっていた。あっという間の一日だった。もっと彼女と話をしたいと思った。
「 彼女のことを、何も知らない。」
 でも、体調の悪い彼女を起こすわけにはいかなかった。あきらめて、寝る前に明日の出発のための準備を始めた。
 そうこうしているうちに、マリが起きてしまった。
「あつい」
 彼女は背中を向いたまま起き上がって、セーターを脱ぎ、キャミソール一枚になった。そしてまた寝ようとした。僕はマリに、
「そこは俺が一昨日から寝ていたベッドだから汚いかもしれないし、風邪のウイルスがたくさんいるかもしれない。ベッドを交換しよう。こっちの新しいベッドで寝なよ。俺はそっちのベッドで寝るから」
 と言った。しかし彼女は「大丈夫」と言って動こうとしなかった。僕はあきらめて電気を消し、寝ようとした。するとしばらくしてマリが、
「じゃあそっちに行くね」
と言って僕のベッドに入ってきた。僕はマリが寝ていたベッドに移ろうとしたが、マリは
「一緒のベッドで寝よ。でもくっつかないでね」
と言った。
 僕はどうしていいかわからず、じっとしていた。
 同じベッドで、お互いの人生の話をした。どんな生い立ちで、どんなことを経験してきたのか。明日には別れてしまうという焦りの中で、早くもっと相手のことを知りたい、自分のことを知ってほしい、という思いに駆られていた。早くお互いを伝えあわなければ、朝が来て、もう会えなくなってしまう。
 マリは高校を卒業した後、親の都合で中国に渡り、親族の経営する日本料理店で働き出したという。だからこそマリは、割と自由に働いていたのだ。この日も仕事があったが、僕と会うために急に休むことにしたらしい。
「私、こっちに仲のいい日本人がいないの。中国人の友達はいるけど、やっぱり日本で育ったから日本人が一番落ち着くのよね。文化も全然違うし。お店に来るのもビジネスマンが多くて。日本に戻りたいなぁ、寂しなぁって思ってた時に、あなたが来たの」
 また、マリは中国人のハーフということで学校でいじめられたことがあり、子供のころは死にたいと思っていたという話をした。気丈なお姉さんのようにふるまっていた彼女だったけれど、悲しい過去があるらしかった。彼女は上を向いたまま、子犬のように寂しそうな顔をして、「私には居場所がないの」と言った。
 部屋はあいかわらず静かで、時々車の通る音がするだけだった。僕はマリをゆっくりと抱き寄せた。中国の大都市上海の、小さなホテルの狭い一室で、僕らは静かに柔らかく抱き合っていた。そのまま動かないでいると、お互いの心臓音が聞こえた。僕は激しく動悸していたが、それは彼女も同じだった。彼女のか細い首筋にてを触れると、脈が波打つようだった。僕は口付けをし、彼女はそれを受け入れた。僕は自分を抑えるのをやめ、彼女の体に触れた。僕らはカーテンの淵から白い光が漏れ出るまで、寝ずに抱き合った。
 翌朝、彼女は元気になったようだったが、僕はまだ少し体調が悪化した。おかゆと同じく、中国の代表的な朝ごはんである揚げパンを買って食べたのだが、駅で吐いてしまった。マリは僕の背中をさすって心配そうにしていた。そんな中、出発の時が来てしまった。マリは別れ際、電話番号を書いた紙を渡してくれた。
 「もう会うことは難しいだろうけど、体調がよくなったら一度だけ電話して。心配だから。」
しかしそれから、彼女と話すことも会うことも、二度となかった。廬山に着いた後、渡された電話番号にかけたが、かからなかったのだ。番号を間違って書いてしまったのだろうか。フェイスブックもスマートフォンもなく、ウェブメールや携帯電話がやっと普及し始めたばかりの時代。一度連絡先が分からなくなってしまえば、二度と会うすべはなかった。マリは正しい電話番号を渡したつもりで、電話を待っていたのだろうか。待っていたのだとしたら、電話をかけてこない僕に対して、どう思っただろうか。
 そして6年後、僕はもう一度上海に来ていて、彼女が働いていた日本料理店を目指している。もしかしたら、彼女がまだ働いているかもしれない。そうでなくても、彼女の履歴が、その後の消息が、店に行けばわかるかもしれない。6年もの月日が流れてしまったけれど、もうそれしか手がかりがないのだ。
 道の途中、子供のホームレスが缶を置いてその前に正座していた。道路に向かって座っていて、横から来る僕のことは見えていなかったし、他に歩いている人もいなかったのに、何度も何度もお辞儀をし、床に頭を打ちつけていた。僕はその缶にお金を入れた。子供は僕を見もせずに、ただただ何かを呟きながら頭を打ち付けていた。マリがいたらなんて言うだろうか、と頭をよぎった。
 さらに歩いていると、上海雑技団を上演しているビルの前に来た。あたりの景色のことはあまり覚えていなかったが、少し変わっているように感じた。それでもおぼろな8年前の記憶を頼りに、近くを探した。
「確かこのビルの中にあったはずだ」
僕は目星をつけていたビルの中を探したが、日本料理店は見つからなかった。自分の記憶があいまいになっているせいだと思い、近くのビルの中を片っ端から探した。それでもやはり、日本料理店は見つからなかった。
 マリを探す手掛かりはなくなってしまった。あっけない終わりだった。
 あの出来事以来、僕は何度も彼女を思い出した。でも何年かすると、記憶の中のマリの顔は、もやがかかったように朧げになっていった。一緒にいたのは一日だけだったし、写真も撮らなかったからだ。残っているのは上海の豫園で、僕が一人で写っている写真。でも撮っていたのは、確実にマリなのだ。その写真にマリは写っていないのだけど、虚ろでありながら、それでいて確かな存在感がそこにはあった。
「私のことは撮らないでいいの。あなたの旅なんだから、あなたをたくさん撮ってあげる。」
 僕は顔を思い出せなくなった今でも、時々彼女の「存在」を思い出す。日本料理店で、豫園で、静かな部屋の狭いベッドの上で、鮮烈な時間を一緒に過ごした女の子。今頃何をしているだろう。彼女も僕を思い出すことがあるのだろうか。

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ラオスに惚れて 投資家として飛行機なしの世界一周 その6

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