サークルの代表となった仮面浪人が、翌年笑顔で中退する話。

前話: 何もできなかった新卒が、ハリーポッターの競技「クィディッチ」の日本代表へ自動的になる話

「残念ながら不合格です。繰り返します、残念ながら不合格です。」

 2010年3月2日、早稲田大学社会科学部の合格発表を聞いた僕は、布団にくるまり震えていた。早稲田大学を4学部受験し、全て不合格。根拠のない「自分は凄い」という自信が、現実にぶち当たり、打ち砕かれた瞬間だった。ショックだった、信じられなかった。あんなに頑張ったのに――。折り目だらけの単語帳、真っ黒になったノート。握り込み過ぎてロゴが消えた早稲田大学のシャーペン。早稲田に行きたいといった僕を「西村くんが?」と嗤った高校教師のニヤケ面。一緒に早稲田を目指した友人の「ごめん、俺受かったわ」という申し訳なさそうな報告。取り巻く世界、森羅万象が、不合格を責め立てている気がした。このまま誰にも会うことなく、消えていなくなれたら、どんなに楽だろう。この世のすべてがバカみたい、本当に恨めしかった。 

 部屋の外からノックの音が聞こえる。母親が結果を訊きに来たのだろう。いつもの何十倍も重力を感じながら、「申し訳ありません、浪人させてください」をスムーズに言えるよう口に反芻させ、ゆっくりとリビングに向かう。情けなくて、顔も真面に上げられない。そんな僕を迎え入れたのは、母の想定外の言葉だった。

「大学入学おめでとう」

 この話は、早稲田を諦められず仮面浪人を決め込んで中央大学に入学した僕が、オールラウンドサークルを立ち上げて代表になりつつも、翌年笑顔で退学届を提出する。そんなハッピーエンドのお話だ。

①飛べねえ鳥もいるってこった。

 早稲田は、僕の希望だった。人生に差しこんだ、一筋の光だった。冗長で恐縮なのだが、話は小学校にまで遡る。卓球と出会った事から、僕の人生は動き出す。

 2002年、僕が小学5年生の時に、映画『ピンポン』が公開された。それまで全く卓球なんて知らなかったけれども、映画を観た瞬間、衝撃が走った。映画風に言うと、インパルスが走った。卓球ってムッチャかっこいいじゃん!窪塚洋介のスマッシュに撃ち抜かれ、井浦新のカットに切り裂かれた僕は「この星の一等賞になりたいの!!」と言わんばかりに、児童館の卓球台に毎日かじりつき始めた。熱は冷めることなく、勢いそのまま地元の中学校で卓球部に入部。ペコのように才能に満ち溢れていたわけでは無かったけれど、入った中学校は卓球が盛んで(部員は70人超)コーチに恵まれていた。練習量を更に増やすためクラブチームに入ったり、卓球雑誌や用品カタログを読み込み過ぎてラケットやラバーの値段を暗記する謎熱意に溢れた結果、なんやかんやで全国大会に出場。そこでの結果は予選リーグ敗退ではあったものの、石川佳純や、松平健太と同じ体育館のフロアに僕は立っていたのだ。

 卓球しかしていなかったため、学校の成績は芳しくなかったけれど、スポーツ加点だけは凄まじかった。高校から“お手紙”が来て、面接だけでスルっと入学。高校入試はあっけなく終わった。そんなこんなで始まる、卓球ライフ高校編。筋トレの量に「これが高校かー」とビビりながら練習に明け暮れていたのだが、高1の夏合宿最終日に突如事態は急変する。午前3時迄ラケットを振っていた腰に、猛烈な重みが走ったのだ。変な感覚が腰一帯を包み込みドライブが打てない、スマッシュが踏み込めない。夏合宿後に病院に行くと、医者から信じられない言葉を聞かされた。

「ヘルニアですね、若年性の。」

 この日を境に運動時のコルセットの着用が義務付けられ、毎週接骨院に通う生活が始める。酷い時期は腰に注射を週1で打ったり、学校の椅子に座れなくて、並べた机の上に寝そべって定期テストを受けたりといった有様。曲がりなりにも中学時は個人で県大会3位、団体戦では当たり前のようにレギュラーだったけれど、高校の引退試合は個人で県ベスト32、団体戦は応援席から声出しをして夏を終えた。

 卓球がなくなった僕には、分かりやすく何も残っていなかった。中学の勉強も危うくて、高校の成績は言わずもがなボロボロ。部活を引退した高3の6月にうけたセンタープレ模試では、英語が73/200点で偏差値は46。あなたは全国的に見て勉強ができない側の人間です、と事実を突きつけられた。自分を肯定できるものがなく、自然と「生きている意味ってなんだろう」という言葉が漏れる。一寸先どころか、一分先から広がる闇。どこに進んで、何をすればいいのか。人生で迷子に陥った瞬間だった。

②偏差値70、紙を食う。

 やりたい事が特になかったので、なんとなく周りに併せて受験勉強を始めた。しかし、「何のために大学に行くの?」の文字が頭の中に浮かんで集中できない。味気なく単語帳を捲ってみるものの、心は全く奮い立たなかった。本当に大学に行く必要があるのだろうか、なにか答えが欲しい。勉強する意味を探したくて、夏休みはオープンキャンパスを巡った。しかし卓球でソコソコの挫折を味わった僕は、各大学を見て回っても邪な感想しか持てない。「なんだ、結局大学なんて只の高等教育機関じゃないか」「受験生に就職実績語るって、就活予備校かよ。」捻くれているくせに、悶々とするだけで行動に移さない。そんな思春期真っ盛りの僕が早稲田に出会ったのは、直射日光が眩しい真夏日だった。

 他の大学では職員による宣伝が主で、学生の扱いは脇に添えられたピクルスみたいなものだった。しかし早稲田は違った。オープンキャンパス当日に、堂々と学生が闊歩していたのだ。暑い暑い夏の日なのに、上下真っ黒の学ランを着て、日光を集めそうな学生帽を被っている。歩き方が変だと思ったら、下駄を履いている。エリート大学を覗きに来たつもりの僕は、すっかり度肝を抜かれた。大隈銅像前ではしゃぎ散らしている彼らを眺めていると、ゆうに190cmはありそうな学ラン大男が近づいてきた。真っ黒なマントをはためかせ、つかつかと下駄で歩み寄り、僕の前に立つと突然叫びだしたのだ。

「少年よーーー!!!!これが偏差値70である!!!!!!!!!!」

 声の大きさにビックリしていた僕の鼻先に、何かが突きつけられた。早稲田大学の学生証である。本当にこの人早稲田の学生なんだという驚きと、注目を集めた事の恥ずかしさと、訳が分からない面白さとが同居して、半笑いになってしまう僕に、学生が追撃をかけてきた。

「我々早稲田大学の学生はねー!とっっても頭がいいから特権だらけでねーーー!!!学生証を出すと、カラオケは特別料金になりまぁーす!!!

 ただの学割じゃん。そう思いながらも、あまりのバカバカしさに笑ってしまった。こんな漫画のキャラクターみたいな人が居るのか、とんでもないところに来てしまった。その後、学ラン集団は連続テレビ小説で一躍注目を集めた応援歌『紺碧の空』を気持ちよさそうに歌い始めたため、そっとその場を離れた。初っ端から圧倒されながらキャンパスを歩くと、ある一画ではサークルが自主制作の雑誌を売っている。遠巻きに眺めていたのに「買わなきゃ、早稲田に落ちるよ!マジで!」「ワンコインで早稲田の合格を買うと思ってさあ」と消費者生活センターに駆け込めそうなセールストークを展開され、500円をもぎ取られた。帰りの電車で雑誌を読んでみると、早慶戦での勝利祈願として、慶應医学部の青本を短冊状にカットして、そばつゆに浸けて食べていた。訳が分からなかったけど、電車の中で気まずくなってしまうくらい笑ってしまった。

 あんなにエネルギーに満ちた場所があるんだ、あんなに面白い人達っているんだ。別にカラオケを特別料金で使いたいわけでも(というか高校生の僕も学割で特別料金だ)、紙を食べたいわけでもなかったけれど、燻ぶっていた僕にとって、熱量に満ちた彼らはキラキラして見えた。あの熱狂に身を置けば、何かが見つかるかもしれない。というか、あそこに行かなきゃ、僕の人生は始まらない気がする。屈折した心に、めきめき力が沸いてくる。少女漫画かよ、と思ってしまうのだけれども、僕は早稲田に恋してしまったのだ。

③とにかく、大学入学おめでとう。

 そこから毎日、10時間超の勉強を重ねるようになる。高校は嫌いじゃなかったけれど、勉強していない事が気持ち悪く思えてしまい、休んで図書館にこもったり、登校しても授業は非効率な気がしてひたすら自習したり。注意を受ける授業では、仮病で保健室に行ってベッドで単語帳を捲っていた。あまり褒められる態度で無かった。休み過ぎた結果出席日数が足りなくなり、卒業のため1月から毎日休まず登校しなくてはいけなくなるというペナルティも受けている。ただ、盲目であった僕にとっては、これらも早稲田のためと正当化されるのであった。

 受験勉強というのは努力量が愚直に反映されるもので、偏差値は40から華麗に駆け上がっていく。模試では常に早稲田大学はE判定ではあったけど、数字には表れない手ごたえを着実に掴み始める。英語・古文・漢文はどんどん読めるようになっていくし、日本史は参考書と脳が同期され、問題を見るだけで答えが浮かぶ。現代文も解くのが楽しくて仕方がない。そうして迎えた1月のセンター試験は、英語で173/200と半年前の点数2倍超を記録した。早稲田入試迄あと1か月もある。イケる、絶対に早稲田に合格できる。親を安心させるために受けた中央大学のセンター利用入試に合格した事も自信になった。しかしセンター利用入試では、2週間以内に入学金30万を払わないと合格資格は失われてしまう。早稲田の入試結果判明は1か月後、一般入試でも中央大学を受ける予定であった僕は「30万勿体ないし、もう一回中央大を受けに行ってくる。絶対に受かるから、センター利用は無視していいよ。」と言う余裕すらあった。

 残り全てを懸けて早稲田に合格してやる。想いが先走り過ぎた僕は、中央大学含む他大学の入試の休憩時間でも、早稲田の過去問を解き漁っていた。目立つようにやっていた訳では無いが、他の受験生の目に入ったら不愉快であっただろう。分かってはいたけれど、早稲田のための行動は全て正義として許されてしまう。当時の僕にとって早稲田は単なる大学ではなく、人生を賭して手に入れたいシンボル。受けてもないけど、東京大学やハーバード大学よりも価値があったのだ。僕の可能性を解き放ち、人生をリスタートさせてくれる気がした。1分1秒も無駄にしたくなかった。商学部を第一志望としつつも、正直早稲田なら何学部でも良かったため、社会科学部・文化構想学部・教育学部と節操なく併願。勇んで試験に臨んだものの、結果は冒頭の通り、全学部不合格。震える指先で合否確認ダイヤルをかけると、4回にわたって無情なアナウンスが流れたのであった。

「残念ながら不合格です。繰り返します、残念ながら不合格です。」

・・・・・

 ショックを受けながらリビングに向かう僕。流石に母も事情を察したのだろう。僕が言葉を出すまで、待ってくれた。

「ごめんなさい、落ちました。」

 予想通りといったところであろうか。落ち着いたトーンの声が返ってきた。

「そっか、大変だったね。頑張ったのにね、お疲れ様。」

 絶対早稲田に合格すると虚勢を張っていた以上、続く言葉が詰まって出てこない。そんな僕を見かねて母が続けた。

「そういえばさ、中央は一般入試でも合格していたよ。あんたやっぱり頑張ってたんだね。」

 センター利用入試を蹴っても、入試の休憩時間中に早稲田の過去問を解いていても、合格。早稲田不合格の痛みは拭いきれてなかったものの、ちっぽけなプライドは回復した。この流れに乗って、浪人を頼もう。そう決意した瞬間だった。

「でもね、謝らなくちゃいけないことがあって。実はセンター利用の時点で、入学金は振り込んでおいてあったの。別に信じていなかったわけでは無くて、親心だと理解してください。だから、4月から中央大学生。中大生って言うのかな。とにかく、大学入学おめでとう。

 この言葉に添えられて、入学申込手続書類受領完了通知と書かれた葉書が差し出されたのであった。自身も知らない間に大学生になっていた。目の前の事実を冷静に判断できず、パニックになる。集合住宅住まいというのも忘れて、母に大声を張っていた。

「なんで進学先を勝手に決定するんだよ!!」

「どうして言ってくれなかったの!?」

「早稲田合格を信じてくれなかったの!?」

蛙の親は蛙、僕を生み出した母も母。頑固で、とにかく強かった。

「浪人は成功するとは限らない。」

「これは親心、あんたは頑張った。

「誰が学費を出すんだ?」

 こうして始まる激しい口論。両者一歩も譲りはしなかったが、長期戦の末に一応の折り合い地点が設定された。仮面浪人、大学に通いながらの浪人である。勝手に受験費用を自腹で稼いで、趣味で受験をする分は止めないと。ただ、勉強に集中するための大学中退や、留年に繋がる落単は禁止とされた。それでも浪人を即答した。早稲田を諦められるわけがなかった。

④浪人生 兼 サークル会長

 こうして始まる浪人生活。悔し涙を滲ませて、ふくれっ面で入学式を迎える事になると思っていた。しかし、事実は小説よりも奇なり。入学式から男女10人のグループに囲まれニヤケ面の僕がいた。事の発端は、入学前の新入生歓迎パーティー。お調子者の僕は中央大学に進学する高校時代の友人に誘われて、これに参加してしまったのだ。誘惑の多い大学生活は受験勉強の妨げとなるため、一般的に仮面浪人は人付き合いを避けた方が良い。乾燥した一年を覚悟していたはずなのに、ヤケクソで愛想よく振舞っていた結果、入学前から30人超の連絡先がアドレス帳に入ってしまったのだ。入学式もそこで仲良くなった子達と、しっかり待ち合わせて参加していた。

 新生活に顔を煌めかせた友人から投げかけられる「4年間宜しくね」の言葉に、その場ではニコニコと応対していたが、別れた後は決意の弱さと彼らへの後ろめたさが相まって、自己嫌悪が止まらなかった。そんな思惑とは裏腹に、大学生活は順調に進み過ぎてしまう。入学式のメンバーを中心にポロポロと友達の輪が拡がっていき、あっという間に20人程度の集団に。これって、オールラウンドサークルじゃない?という雰囲気が立ち込め、入学して10日目でサークルとして活動を開始。僕はというと、流れで会長(代表)に就任してしまったのだった。仮面浪人のはずが、サークルの会長。傍から見れば、ハイパー大学生活を楽しんでいる人だったであろう。今振り返れば、あまりに友人に恵まれすぎた。それもいっぺんに。事態を前にしてサークルの皆のためにも、そして汚らしい自身の立場のためにも、仮面浪人を告白できるわけがなかった。

 授業もなるべく一人で受けて、受験勉強に充てるつもりが、サークルの皆で時間割を揃えたため、大学での自習は難しくなった。受験費用を稼ぐために始めたバイトは、時給870円の某有名中華料理チェーン。タイムカードを切ってのサービス残業は当たり前(辞めてからヤバかった事を知った)で、店長から頭をどつかれての指導もあるユニークな環境だったけど、バイトを変更する余裕もなくて週3~4のペースで働き続けた。残る時間はサークルの皆と過ごしていたこともあり、勉強時間は1週間で計8時間程度にまで低下。友達と別れた直後、電車に乗るやいなや単語帳を取り出す事で、なんとか仮面浪人の矜持を保っていたものの、振れ幅があまりにも大きい2重生活はストレスが溜まる。その矛先は優柔不断な自分に向けられていき、時々壊れそうになった。

 そんな折に助けられたのはwillcom、毎月980円の定額で話し放題の電話サービスだ。LINEのある今となっては信じられないけど、当時では画期的だったのだ。サークルの女子メンバーが殆どwillcomを使っていない事を聞きつけた僕は、頼み込んで2週間交代で使わせてもらうことにする。そしてひたすら高校の友達に、仮面浪人の愚痴を、取り留めもなく吐きまくっていた。980円の半額払っていたなら、携帯電話を貸し借りする関係も理解されるかもしれない。しかし、僕は金を払わず貸してもらっていた。その上アドレス帳に「西村フレンド:田中」といったように登録をしていったため、彼女のアドレス帳のナ行は「西村フレンド」に汚染されていた。今更言うけど、本当にごめんね。だけれども、すごく助けられました。ありがとう。

⑤1点に泣く

 授業やバイト、サークル過ぎ去っていく日々。実際、大学生活は楽しくて仕方がなかった。サークル内でバンドをやろう!とスタジオに入ったり、スポーツの大会に出場したり、夜通しスマブラ&ウイイレに明け暮れたり。あと、女の子も紹介して貰ったり。「なんで仮面浪人しているの?」「普通に中央大ライフを楽しみなよ。」高校の友達や、家族に何度も尋ねられた。何故仮面浪人をしているのだろう。自分でも本当に不思議だったけど、何かに突き動かされて、身体に染み付いた惰性がペンを動かす。すきま時間をかき集めての、1週間に計8時間の勉強を続けていた折だった。6月3日、転機が訪れる。入試の得点開示*が届いたのだ。見たいような、見たくないような。指先を震わせながらハガキを開封する。そこに待ち受けていたのは、どこまでも残酷な現実であった。

 第一志望の商学部合格点は129.12点、対する僕の点数は127.492点。1.6点足りずに不合格であったのだ。あと1問多く解けていれば、なんならマークシートを1問塗り違えていれば、憧れの早大生になれていた。入試の厳しさを痛感するとともに、経験した事のない悔しさがこみあげてきた。今頃はあの学ラン集団と、特別料金で「紺碧の空」を歌えていたのかもしれない。慶應の青本を食べて、早慶戦に臨めていたかもしれない。1問多く解けた世界線の早稲田ライフが、何をするでもなく脳から湧き出てくる。翌日大学で簿記論の授業を受けていると、座っているだけなのに吐きそうになった。慌ててトイレに駆け込むと、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちてくる。公共の場で泣くなんて恥ずかしかったけど、限界だった。感情が溢れだして止まらない。隅っこの個室で、声を押し殺して泣いた。なぜ僕はここにいるんだ、素直に授業を受けているんだ。いくら表層を取り繕おうと、心の底には早稲田に飢えた僕が居た。どんなに大学生活を楽しんでいようと、早稲田に落ちた事実は受け入れがたくて、諦められないものであったのだ。『1.6点』の文字が点滅し、醜くトイレで嗚咽する。今思い返してみても、人生で一番みっともない時間は、10分と続いた。

 涙でボヤけた視界から、世界を眺める。スカしたトイレの壁は「お前の現在地はここだ」と言わんばかりで、鏡に映る不細工な泣きっ面は、不服そうに睨んでくる。なんだろう、こんな事なんだけど直感した。僕の居場所はここではない、やはり早稲田に行くしかない。ここで折れてしまったら、きっと今後の人生も負け続ける気がする。カッコ悪かろうが、なんだろうが、浪人生を最後までやり切るしかない。惰性じゃなくて、意思でペンは動いていたんだ。そんな自分に応えなくてはいけない。

 涙をぬぐって表情を整え、友達の待つ教室に向かう。参考書を開きたくてたまらなかったけど、気を緩めたら一瞬で仮面は割れてしまう。普段通りを装いながら、憎らしい電卓を強めに叩いた。次の日から朝6時に起きて通学前に2時間勉強を始め、友人宅への外泊を控える事になる。6月4日、遅ればせながらの浪人スタートであった。

*. 400円程度払う事で、不合格時に限り自身の入試得点をハガキで送ってくれるシステム。浪人生を放さない、早稲田の素晴らしいCRMマーケティング。

⑥前夜

「あのさ、サークル内サークルとかやめてくれない?」

 7月、もう一つ所属していたサークルの会長、純さんは、困ったような、怒ったような顔をしていた。僕は、只々申し訳が無かった。

 少し時を戻して、入学して10日。サークルを設立してしまった僕は、「なんか会長になっちゃったー」という多幸感に包まれながらも、「やっちまったー」という意識が多少なりともあった。受かればの話ではあるが、会長の僕は居なくなる予定だ。いつか来る解散の日に、サークル員の居場所だけは無くならないようにしなくてはいけない。本音ベースで言うと、自身の罪を少しでも薄めたい。思いついたのは、自身のサークルのメンバーを他のオールラウンドサークルに兼サーさせる事、寄生であった。新入生獲得に燃える新歓期のサークルに、20人が一気に入る事は、諸手を挙げて喜ばれた。しかし、そのサークル内のイベントで、僕らのサークルメンバーは固まった。BBQのテーブルや、放課後のバレーボール、授業間を埋めるサークルのたまり場*の時間。僕らは、常に同じ時間を共有し、盛り上がった。ビビるくらいに仲良しだった。数カ月は看過してくれた先輩方も見かねるくらいに。

 差し出された選択肢は二つ。僕らのサークルを解散させるか、純さんのサークルを辞めるか。内心僕はホッとしていた。サークルを解散させれば、勉強時間を増やす事が出来る。夏は受験の天王山、2カ月勉強をサボっていた分を取り戻したい。浪人生を復活させてから、時間の大切さは痛いほどに沁みていた。いつも通りのメンバーが揃って迎えた放課後に、意を決して持ち掛けてみた。

「純さんからさ、サークル内サークルみたいだから、やめてくれって言われたよ。今後どうする?俺は、先輩方好きだったりするんだけど…。」

「え?いい機会じゃん。独立しようよ。」

 僕の提案は瞬く間にかき消された上、これを皮切りに、みんなも続く。

「うちらのサークルでブルゾンとか作ろ?」「むっちゃいいね!! ちょっと業者の見積もりしてみる!!」「ありがとー!今日の夜、Skype会議だねー」

 そして盛り上がるテーブル。そうだった、僕らはビビるくらいに仲が良かったんだ。先輩からかけられるプレッシャー&自分の内から湧き出る勉強への熱、大好きなメンバーの笑顔と居場所。どうすればいいんだよ。着地点の見つからない二項対立にケリをつけたのは、何処迄も冷静な第三者。willcomで連絡を取っていた高校の友達だった。

「もうさ、隠し通すのは無理だよ。まずは先輩に仮面浪人を打ち明けよ。」

 来年に合格するのであれば、いずれバラさなくちゃいけない事である。分かってはいたけれど、3か月間逃げ続けてきたいた事実に向き合うのは堪えた。考えたくはないけれど、中央大に残る未来もあり得る。告白はその際のセーフティネットを放棄する事にもなるためだ。しかし、既に限界も迫っていた。人目を掻い潜っての勉強は効率が悪かったし、辻褄を合わせるために重ねた嘘は、少し検証すれば簡単にほころぶくらいに矛盾していた。いくらでも選択肢があったはずなのに、早稲田を選んでしまった。全て、僕が始めた物語だった。

 純さんに声をかけ、時間を作ってもらう。どちらの選択を伝えてくるのだろう…と身構える先輩に、心を決めて切り出した。

「今迄ずっと隠していてごめんなさい。僕、仮面浪人なんです。だから自分のサークルを続けられないし、解散させたい。でも、メンバーは存続を望んでいます。明日に全てを話すので、決まるまでお待ちいただけませんか。」

 予想だにしない僕の言葉に、面喰らう純さん。こうなるよな、全然素振り見せていなかったもん。嘘でない事を伝えるために、参考書と早稲田の得点開示を並べる。一瞬の沈黙はあったものの、流石のサークルの会長で人徳者、理解を示してくれた。

「マジで想定外だったけど、状況は分かった。明日話すの大変と思うけど、頑張ってね。あと早稲田うかれよ!」

 どこまでも優しかった、無茶苦茶驚いていたけれど。

 7月も中盤に差し掛かっていた。前期の授業は殆ど終わって、残るはテストのみ。夏休みはすぐ目の前だ。何して遊ぼうかと浮き立つメンバーを、明日裏切ることになる。みんなの反応次第ではあるけれど、十中八九、後期に僕の居場所はないだろう。大学に通うのを考えるだけで憂鬱、でも親との約束で休学はできない。来年受からなかったら、僕の大学生活は一体…。怖くて仕方なかったけど、高校の友達とwillcomで繋げながら、勇気をふり絞ってサークルのメーリスを流した。

「明日の4限、たまり場*じゃなくて学食3階のスペースに集まれませんか?話したいことがあります。」

 楽しかったなあ、中央大ライフ。本当にみんな良い奴らだった。嘘つきはどんな制裁をうけるのだろう。落ち着かなくなって、普段英単語を流しているwalkmanをシャッフル再生にする。流れてきたのはSound Scheduleの「同じ空の下で」。何かを予兆するかのようで、あまりに出来過ぎた選曲だった。

『サヨナラしやすいように、ケンカでもしましょう。君はそう言って戯けてる。夢を追うためとはいえ、それは余りにも時期を間違えて 突然で。』

 すっかり眠れなくなってしまった僕は、夜をかき消すように愛用の英単語帳 Duoを音読する。何も知らないDuoは“Take it easy I can assure you that everything will turn out fine.”と例文で慰めてくれた。

*大学公認の少ないオールラウンドサークルが、占有して部室化する学食の一画の事。サークル毎にテリトリーがあり、暗黙の了解で不可侵。また同語は大学近くの一人暮らし宅も指す。

⑦仮面の告白  

 7月16日(金)、4限の時間に当たる15時。お昼を過ぎれば電気が落とされるため、人気が無くて話し易い学食の3階。その一角にメンバーの半数にあたる10人が集まった。

「ごめんね、こんな暗いスペースに集まってもらって。今日さ、今まで皆に言ってなかった事を話そうと思ってて…。」

 なんだよ改まってーw と場を盛り上げてくれる皆。申し訳なくて、情けなくて、つらい。それでも止まれない僕は、勢いのままに切り出した。

俺さ、隠し続けてきたけれど、仮面浪人なんだよね。早稲田を受験するために、今も勉強を続けてる。本当にごめんなさい。多分、来年に中央を辞める事になると思う。だからこそ、サークルの今後を考えたい。」

 先輩相手でコツを掴んでいたこともあり、得点開示と参考書を並べながら告白する。流石にネタではない事が分かったらしい。訪れる気まずい沈黙に、冷える空気。時が止まったかのように思えた。罵倒されるのか、軽蔑されるのか、泣かれるのか。色んなパターンを想定していたたけれど、口火を切ったのは、普段から冷静なたっちゃんの、シンプルなリアクションだった。

「…マジで?」

 そこからは全てを告白した。入学前から、仮面浪人を決め込んでいた事。いつも英単語帳を持ち歩いていたのは、TOEICのためでは無かった事。6月から泊まり歩かず帰るようになったのは、親との悶着に因るものでは無かった事。そしてみんなを兼サーさせたのは、解散を見据えていたからという事。今迄の時間や友情を踏みにじる行為、自分が蒔いた種とはいえ、口にするのは身を切られる思いがした。何故早稲田なのか、本当に合格できるのか、一緒に卒業する事はできないのか。あがった質問には、リスペクトを込めたうえで、包み隠さず答えた。皆の事は大好きだけれど、早稲田だけは諦められない。サークルの発起人のくせに、本当にわがままでごめんなさい。だからこそ、会長は続けられないし、皆が変な空気になるのなら、サークルを解散させていいと思っている。いつの間にか時間は過ぎ去り、暗い3階に西日が差し込む。結論は出ず、どっちつかずの異様な空気。これを打破したのは、時々チャラつくあらた君のオールラウンドサークルらしい提案だった。

「もうさ、いいから焼肉いこうぜ?」

 大学近くの激安焼肉食べ放題に移動した瞬間、いつも通りの僕らに戻った。「死ねやーーー!!」と、元ラガーマンの山田にご飯を盛られ、「西村のバカー!!!!」とスウェット作りを始めていたまゆに、顎が外れるくらいに肉を食べさせられる。姉貴肌の葉月がパシャパシャ写真を撮り、しっかり者の栞に「きれいに食べて」と窘められる。今迄と何一つ変わらない僕らは、平常運転ではしゃぎ散らした。笑い転げながら、たまり場となっている翔ちゃんの家に雪崩れこみ、そのまま皆で泊まった。20平米くらいの1Kの部屋に、10人で。川の字なんてもんじゃない、寄木細工みたいなスタイルだった。前日に続いて寝られなかった僕は、同様に寝付けなかった奴らと外に出て、朝まで語り明かした。夜更けというのは何故か人を真面目にするもので、アパートの入り口に腰掛けながら、自販機の横で『真剣十代しゃべり場』を展開した。過去の話から哲学、恋愛と結婚、人生の意義、未来。卓球での挫折や、早稲田で出会った学ラン集団の事も、すべて話した。

「じゃあさ、西村にとって中央は踏み台なのかよ?」

 きっと誰もが心の内で思っていた事であろう。ヒートアップする議論のなかで、皆の代弁が漏れ出す。「違うよ」と強く言ったけれど、その先は続けなかった。僕の気持ちと、周囲との見え方とのギャップを埋めるのは、言葉じゃないと思ったから。

 週が明けた7月19日、純さんにごめんなさいを言った僕らは、名前を変えてサークルをリスタートした。西村が居た証拠を残そう、そんな嬉しい言葉もいただいて。新制サークルの会長を勤める事になったのは、家がたまり場となっていた翔ちゃん。会長を外れた僕はというと、名誉会長へと謎の昇格。僕の仮面浪人をみんなは受け入れてくれて、勉強はサークル公認のものとなったのだ。

⑧二度目の学部選び 

 夏休みは嘘みたいに勉強が捗った。単純に勉強時間を確保できたというのもあるけれど、申し訳なさを覚えず勉強できるようになったというのが大きい。あっという間に現役時代を追い越した学力は、早大受験生が受ける代ゼミの『早大プレ』にて爆発。一番偏差値が高い政治経済学部志望で受験してみたけれど、1500人中72位で偏差値65.3、初めてのC判定を記録した。この結果をサークルの皆に隠さなくて良いことが、何よりの喜びだった。頑張った分のガス抜きとして、大学生らしくしっかり遊んだ。花火大会は3回行って、サークル合宿に行って、ブリーチをかけて金髪にして。勉強しろよと周りに突っ込まれたけれど、これらの時間はガソリンとなって、僕の勉強を支えてくれた。

 またバイトのシフトも増やして受験費用である20万円も溜め切り、夏の間に辞めた。途中金稼ぎをブーストさせようと、ホストの体験入店もした。大学生になったからこそ、垣間見れた世界。受験があったため、本格的に踏み入れはしなかったが、すごく素敵な人たちに会えた。機会があったら、この話も書こう。

 そして1年前、僕の人生をガラッと変えた早稲田のオープンキャンパスにも行ってみた。雲の上の存在だった早大生に去年は委縮しっぱなしだったけど、学力の増した今なら、目を見て話す事ができる。学ラン集団に、今年は自分から話しかけに言った。絶対早稲田に受かります!と言ったらエールを送ってくれたうえ、一緒に紺碧の空も歌ってくれた。学ランを着て角帽を被って写真撮影なんかもして。遊び過ぎだよ!!!早く勉強しろ!単語帳をめくれ!また落ちるぞ!!!と囃し立てられた。

 一度大学に入ったおかげで、オープンキャンパスの見え方がガラッと変わって見える。去年は分からなかった単位のシステムや、ゼミ、専攻、楽そうな授業、1限の少なそうなカリキュラム。高校時代に何も分からないままに選択を迫られた僕は「やりたいことないし、ツブシが効きそうな商学部にいこー」と典型的私立文系思考で商学部を志望し、中央大でも商学部経営学科に在籍している。実学に根付いた授業は興味深かったけれど、それ以上に「なんで勉強をするんだろう」という思いがあった。受験勉強は早稲田のため、だから燃える事が出来る。なら、経営学やマーケティング論の先には何があるの?燃えられるの?僕は会社を経営したり、マーケットを動かしたいの?イマイチ実感がわかなかった。そんな折に勉強の息抜きとして、大学設備のAV自習室(息抜きでAVとかいかがわしいね)で、名作映画『トュルーマン・ショー』を観た。8歳の時に観て衝撃を受けて以来10年ぶり2度目の鑑賞、前回はストーリーをなぞるだけであったが、成長した今はキャラクターの置かれている状況と、シーンの構造を俯瞰しながら、メッセージを受け取る事が出来る。主人公が大きな運命に立ち向かう姿は、18歳の自分に重なった。僕も同様に自分の選択で人生を開きたくて、大きな何かに委ねるのは嫌で、抗いたいんだ、迷いたいんだ。

 思えば大半の大学学部は「この分野で社会に向き合います」というスタンスで設置されているように思える。政治・法律・商業・経済・教育…、どれも自分の外側にある社会と“どう”携わるか。そんな事より今は、未知の塊である自分と、内側と向き合いたい。その末に社会との携わり方が分かるんじゃないのか?今はまだ分からない、という答えを、学問の中で確かめたい。そんな志向に因って僕は、文学部志望へと変わった。一度大学に入ったからこそ、気づけた事であった。また、商学部だから受けておくかーと臨んだ簿記三級に落ちた事も後押しになった。チマチマ仕訳なんぞやってられっか!商学部なんかヤメだ!ただ、好調な勉強のペースを崩したくはなかったため、早稲田の最難関である政治経済学部合格を目標に置き、模試を受ける際には政治経済学部政治学科志望と書いた。一番高い山を目指せば、自然と文学部も受かるだろう、と。

⑨週4受験生

 単位を落とすな…という親との約束があったため、ドキドキしながら迎えた前期の成績発表。受験前に苦しまぬようにと24単位を詰め込んだ上、バイトにサークルと目まぐるしい生活だった。どうしよう…と、得点開示を開くときと同じくらいに心臓は鳴ったが、ふたを開けてみれば、あっさりフル単だった。GPAも2.5、仮面浪人としてならまずまずだろう。サークルで単位を落としたor GPAが悪かったメンバーに対し、「仮面浪人に負けるとかwww」と煽りまくった。お前はここで単位を落とせなかった分、入試に落ちるんだと反撃された。ロジックのかけらもないこのやり取り、偏差値70ぽく無いですか?

 大学の勉強が邪魔にならないよう、後期に申請したのは14単位。授業を詰め込んだら、1週間の登校日は3日だけとなった。登校するならしっかり遊んじゃえ!という事で、後期は週3日を大学生として息抜きし、残る4日を受験生として勉強する生活を送った。勉強は週4だけというのは、受験生にあるまじき姿なのかもしれないが、他人は他人、自分は自分と割り切った。仮面浪人のストレスから解放されたことで、余裕が生まれ、この大学で過ごせる1年間がかけがえのないものに思えるようになっていたのだ。今を満喫しないと勿体ない。学園祭は、中央大学では大学生として出店を出し、早稲田では受験生として楽しんだ。2つのアイデンティティに跨りながら、両方の美味しいどこ取りができる。仮面浪人で良かったとすら思えた。大学生部分でしっかり遊んだ後は、受験生の自分がハッパをかけてくるので、メリハリを効かせて勉強ができる。他大学の入試の休憩時間で、早稲田の過去問を解いてしまう僕のことだ。普通に浪人生していたら、根を詰めすぎていただろう。受験勉強は“かくあるべき”という妄想に囚われ過ぎていた。合格さえすれば、どんな道のりを辿ったっていい。仮面浪人は、スタンスの自由を教えてくれた。

 11月は2回目となる『早大プレ』がある。夏からの成長と入試本番までの軌跡が偏差値となって顕れ、合格可能性がシビアに判定される。入試本番は東大・一橋といった国立大の併願者とも戦わなくてはいけないとはいえ、この早稲田志望に限定された母集団の中で上位を獲れたら一気に合格圏内。早稲田しか受験しない僕にとって、大事な入試の前哨戦だ。昨年は全く歯が立たず、入試までにこのレベルが解けるようになるのか…と打ちひしがれたものだった。しかし、今年はスラスラと解ける。時間も余って、マークを丁寧に塗り直す余裕すらある。夏もかなりの好スコアだったけれど、それより良いかもしれない…!確かな手ごたえと共に帰宅した。結果は、1500人中47位で偏差値68.3のC判定。予想通り夏よりスコアが上がっていた。このような大型模試は、上位成績者は冊子に名前が掲載されるというボーナスがあるのだが、なんと今回は46位から。また1点足りなかったか…と嫌なデジャヴに苦笑するも、自分が合格圏内に居る事を確信した。週4の勉強でもちゃんと結果は出せてるじゃん!自分を褒めてもいいかもしれない!

 という事で模試の結果が出た翌日に、語学のクラスの友達とアフター6(通称あふろく)チケットで、ディズニーシーに行った。それもバカ丸出しに、高校の制服を着て。制服ディズニーってやつだ、大学生でごめんなさい。「寒い!」「JK時代は何故生足で耐えれたのか!」女子達がディズニーシー特有の冷たい海風に悲鳴を上げている。寒いのは当たり前の事で、気づけば12月も半ば。入試まで2カ月を切っていた。

⑩最後の準備

 予備校に通うお金の無かった僕は、参考書と通信教育のZ会で勉強していた。それだけでも十分に学力は伸びていたのだが、一つ弱点があった。英作文だ。受験予定であった文学部・政治経済学部・法学部は英作文が課されており、特に100 words超の自由英作文を書かされる政治経済学部は、配点も高いとされていた。お題は2009年入試のもので「スーパーマーケットで無料レジ袋を配る事の是非」、おまえタイムリープしてね?と言わんばかりに未来を先取りしたトピックを、英語で打ち返さなくてはいけない。みっちり対策をしない事には、合格は無かった。

 そのため、冬休みに入ると新しく定期券を買った。既に持っている中央大行きではなく、真逆の方向へのもの。現役時代通っていた予備校への定期だ。早稲田のためなら傍若無人になれる僕は「静かにするんで自習室だけ貸してくださいよ。僕と先生のよしみじゃないですか!」と塾長に擦り寄り、しれっと自習室を使い始めたのだ。学費を払っていなくても、毎日通うと不思議な慣れが出てくるもので、日に日に僕は予備校に馴染んでいく。通っていた高校近くの予備校であったため、浪人している部活の同期が多かったのも後押しになった。そして予備校に居る事が既成事実化されたタイミングで、先生に英作文の添削を頼み始めたのだ。今文字に起こしてみると、「とんでもねえな」であるのだが、先生方は優しかった。丁寧に赤字で添削してくれた上、受験用英作文には“型”がある事を教えてくれた。英語が苦手な先生は提携しているスクールへ僕の英作文をFAXで送ってくれ、添削済みにして戻してくれた。そんな優しさに包まれた僕は、受験で通じる程度の英作文スキルを会得する。そして勢いそのままに甘えまくり、受験が終わるまで予備校への寄生を続けた。勝手にコピー機を使って問題集を印刷したり、参考書を借りたりとやりたい放題だったのに、看過してくださった塾長、本当にありがとうございました。冷蔵庫にあった栄養ドリンクを勝手に飲んじゃった事、本当にごめんなさい。

 冬休みが終わって大学が再開すると、後期科目のテストラッシュ。この時期は流石に受験勉強をしたいのに…と思いながら、受験にかすりもしない韓国語の連用形接続を暗記し、すき家が牛丼業界で勝てた理由をレポートにまとめた。最後の登校日には、サークルの後期納会が設定された。テスト勉強からの解放で、浮かれまくる20人超のメンバー。「なんで来てんだよ受験生www」「参考書見してみ?www問題出してあげようか?www」と心温まるもてなしで僕を迎えいれてくれた。その上昨年トラウマになった、合否発表の予行練習までしてくれたのだ。携帯電話を手に欠けるや否や、聞こえてくるのは「残念ながらァ!不合格です!」と偏差値の低そうな声。受験予定であった5学部、全学部で不合格のアナウンスを聞いた。本当にありがとうございます。「落ちたらどうすんのマジでwww」「じゃあ4月になwwwwまた同じ授業取ろうぜ」という心奮い立つエールをいただいて、帰路につく。落ちた時のシュミレーション迄済ませたし、あとは試験に臨むだけ。次に来るのは退学手続きだバカヤローと気を引き締めた。 

⑪滑る電話

 2月14日、バレンタイン。世間の浮かれっぷりと裏腹に、僕は沈みまくっていた。夕飯が喉を通らない。1週間で5学部を受ける、僕の早稲田受験。初戦に当たる法学部入試の前日だった。

 予備校に自主登校するようになった12月末から、入試に向けて生活リズムを整えていた。入試本番に合わせて朝6:00に目を覚ます。試験時間にあたる10:00~11:30, 13:00~14:30, 15:30~16:30の間は、絶対にトイレにも立たずに机に座り続ける。昼食は上記試験時間の合間を縫って、おにぎりを2回に分けて食べる。20:00に夕食を食べて、24:00に寝る。合格のため、精密機械のように生活してきたのに、2月に入って食事というルーティンが崩れてしまったのた。神経が張り詰め、食欲がわかない。特に夕飯は顕著で、箸が進まない。食べられない事がストレスになり、さらに食欲が落ちる。食べられないなら勉強しようと、参考書を開いてしまう。この悪循環の渦中、かろうじて食べれたのは湯豆腐だけだった。

 当初こそケンカをしていた母も、この頃には一番のサポーターになってくれていて、黙々と湯豆腐を作り続けてくれた。週4以上で食卓に鎮座する湯豆腐。父も不満があっただろうに、何も言わないでくれた。直前になって、オール西村家体制で受験に臨むことになったのだ。にもかかわらず、試験前夜に食事が摂れない。「少しで良いから…」、申し訳なさそうに豆腐をよそってくれる母に、応えられない自分。情けないけど諦めて、ウィダーin.ゼリーを摂ろうとした矢先だった。携帯電話が鳴った、スノボ合宿中のサークルメンバーからだった。

 春休み入ってからというもの、サークルのメーリスはアホみたいに活性化していた。僕の状況なんか知らないメンバーは、無邪気に楽しげなーリスを流してくる。「新宿駅に集合ねー。」「買い出し班、何買ったー?」メールの頻度が甚だしいのと、机に齧り付いている自分がみじめに思えてしまい、携帯の電源は食事中を除いてオフにしていた。そんな彼らが、僕の入試初戦の日を覚えていてくれたのだ。ちょっと感極まりそうになりながら、通話ボタンをプッシュする。

「元気―?ハッピーバレンタイン!うちら、むっちゃスノボ楽しんでるよー!いえーい!西村の分まで滑っといてあげてるーww

 受験期になると、センシティブな受験生のため「滑る」「落ちる」といった言葉は自制される傾向にある。高校教師などは、ペンや消しゴムが落ちた場合はわざわざ「落下した」なんて言っていたもんだ。去年は自身らも同じワードにビクついてたはずなのに、大学生になった途端にこの有様だ。湯豆腐も食べられないほど張り詰めていたのに、バカバカしくて笑ってしまった。同時に流石にこのタイミングは無いだろ!!!!前日だぞ!!!!湯豆腐の角に頭をぶつけて死ね!!!!と思った気もしたけれど、目の前の豆腐に手を伸ばせた僕が居た。

⑫叩き割れる夢

 5か月バイトして蓄えたお金と、2年に渡る努力をぶつけた1週間は、あっという間に過ぎていった。2月15日、初戦法学部:全く手ごたえがなく、茫然としながら帰った。17日、2戦目文学部:試験会場が長机とベンチを2人の受験生でシェアするスタイルで、隣の女の子の背が低かったため、すごい窮屈な姿勢で受ける羽目になった。20日、3戦目政治経済学部:行きの電車で間違えて女性専用車両に乗ってしまい、マダムに注意された。21日、4戦目商学部:試験会場の教室がトイレから遠かった。羅列して分かる通り、笑えるくらい些細な記憶しか残っていない。脳のリソースを、すべて回答用紙にぶつけた結果だった。そして22日、最終戦の社会科学部:試験が終わった瞬間に、受験生の象徴であるマスクを外した。数か月ぶりの新鮮な娑婆の空気、それも大好きでたまらない早稲田の空気に肺が満たされ、身体中が昂揚する。終わったんだ、何もかも。ふわふわした足先で会場を後にすると、帰り道の南門通りであの学ラン集団が騒いでいる。なんだか嬉しくなってしまい、彼らへ順番に、ハイタッチをしていった。自然と腹からyeahhと奇声が湧き出てきてしまう。去り際に彼らから「お前は慶應に行けー!!」と叫ばれた。大量の受験生でごった返す道の真ん中、振り返って僕は「早稲田しか受けてねーわ!!」と叫び返した。当時はドラマのワンシーンみたいだ、と酔いしれていたけれど、主役はニキビ面の浪人生で、ヒロインは学ラン・下駄。不細工たちの戯れで視聴率がとれるわけがなかった。

 その後は浪人フレンズと、現役で早稲田に合格していた高校フレンド湊君と高田馬場のカラオケに行った。久々のマイクとシャウトは、開放感に満ちていて気持ちが良い。BUMP OF CHICKENのバトルクライ、the pillowsのfunny bunny、ELLE GARDENのMake A Wish。選曲はどれも受験を戦い抜くために聴いていた曲ばかり。一筋縄ではなかった浪人生活が思い起こされて、胸が熱くなる。受験は未だ終わっていないけど、映画のエンドロールのようだった。なのに何故、最後はHIGEの夢でさよならを選んでしまったのだろう。すごく好きな曲だけど、不合格を予兆しているかのようだった。

『さよなら僕のフューチャー。いつでも会えるから。言葉にできればまだマシさ。夢が覚めない HO HO HO 寝ぼけたままで HO HO HO 忘れていくね HO HO HO』

 帰宅後、言葉少なめに自室に直行する。メインイベント、法学部の合格発表を迎えるためだ。早稲田の入試は1週間程度で結果が発表されるため、15日に受けた法学部は、22日が合否発表日。試験中も気がかりだったが、聞くのが怖くて、確かめないままにしていた。カラオケでも結果が気になりモゾモゾしていたけれど、やっぱり確認はできなかった。合否を聞くまでは、早稲田の夢に浸る事ができる。ギリギリまで現実に覚めたくはなかったのだ。そして向き合うのはショッキングなので、なるべく一人で迎えたかった。

 去年のトラウマがリピートし震える指先、受験番号と暗証番号を無機質な自動音声に沿ってプッシュする。入力後、一瞬の間が空く。口が乾き、汗がにじむ。永遠にも思えたけど、実質2秒。嫌な間の後に続いたのは

おッ

 何かが聞こえてきた途端、ビビり過ぎて通話を切った上、携帯を床に叩きつけてしまった。かなり力んでいたため、リアカメラのレンズがパリンと割れる。それでも僕は聴いたのだ。昨年とは確実に違う声を。「おッ」を。

⑬中退

 「おめでとうございます、合格です。繰り返します。おめでとうございます、合格です。」

 リダイヤルすると、流れてきたのは今迄聞いたことのない音声。全身の力が抜け、膝からガクンと崩れ落ちた。渇いた声が、腹の底から湧き上がる。フワフワした身体を突っ伏し、床に拳をガンガン打ち付けながら泣いた。

早稲田に受かった。全てが、報われた。

 一度は意味を無くした。そうとすら思えた人生だったけど、早稲田に辿り着くことができた。辛かった、苦しかった。単調な道では無かった。でも、最後まで諦めなくてよかった。4月からは焦がれ続けた早大生、通う先は多摩から高田馬場だ。あの早稲田の熱量に身を置けば、人生を拓けるに違いない。今の自分なら大丈夫、きっと何事もやり遂げられる。部活を引退した頃は、自分を肯定できる事など何もなかったけど、早稲田に合格した今は、素直に自分を認めてあげられる。受験を通して僕は、自身に誇りをもてるようになった。

 部屋を開けると、リビングへと続く廊下に母が立っている。合格を伝えて、その場で抱き合った。「よかったね、がんばったね」を連呼しながら、母もボロボロに泣いていた。僕の携帯ではなく、家の固定電話をスピーカーモードにして、家族で合格を確かめた。早稲田のホームページも確認したけれど、僕の受験番号はしっかり記載されていた。サークルのメーリスに「早稲田大学法学部に合格しました」と流すと、「おめでとう!」のメール群に混ざって、「西村退学記念パーティーのお知らせ」というメールも返ってくる。中央大学に入ってよかった、皆と出会えてよかった。仮面浪人してよかった。メールを眺めていると、視界がじんわり滲んでいく。再度涙は零れていた。

 3月2日、去年は世界から消えたいと思っていたのに…と感慨に浸りながら、中央大学に退学届けを貰いに行く。受験の結果はというと4勝1敗、不思議なもので志望していた文学部だけ不合格となってしまったのだ。4学部の合格書類を眺めながら、迷った末に選んだのは政治経済学部政治学科。学問の内容、ネームバリュー、単位取得の簡単さ。判断にあたっての材料は諸々あったけれど、最大の決め手は「一番早稲田っぽそう」という、偏差値70らしい直観であった。大学に立ち寄ったその足で翔ちゃん家に寄ってスマブラし、そのままたっちゃんの家もハシゴして、何をするでもなくゴロゴロする。焦がれていた安寧と幸福に満ちた時間。されどリュックの中にある退学届けが、買い替えの予定の無い定期券が、タイムリミットを告げていた。そうか、僕はここからいなくなるのか。

 しかし、悲しくはなかった。大学が変わるだけで、彼らとの付き合いが切れるわけではない。早大生で在りながら、中央ライフも満喫する自分の姿がありありと想像できたからだ。「他大生入ってくんなよwwwww」「学費払ってねえくせに学食食うなよwww」そんな煽りに対して偏差値70の僕は、デザインの違う学生証をみんなの顔面に突きつけるのであろう。楽しみな事しかないじゃん、未来。

 3月31日、僕は中央大学を中退した。満面の笑みと、名誉会長として籍を置くサークルのブルゾンに包まれながら。2か月後にはその服装が、学ラン・下駄に変わる事など、当時は知る由もなかった。


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