父の死がつらすぎた女子大生が、インドへの逃亡をきっかけに地球の裏側まで旅した話 インド編1/2

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チャイチャイチャーイ。チャイチャーイ。

どこか異国の歌のような、軽快な声が響きわたり、目が覚める。痩せたチャイ売りの男が、薄暗い寝台列車の通路をゆっくりと通り過ぎていくのが下に見えた。3段ベッドの一番上に寝ていたわたしは、慎重に起き上がる。油断すると頭をぶつけてしまうほどに、天井が近いのだ。
窓の外から、次第に朝の光が差し込んでくる。

南のバンガロールから西回りにムンバイ、ラージコート、ジョードプル、ジャイサルメール、デリーと進み、最後の滞在地であるバラナシへ向かう夜行列車にわたしはいた。最下等級の号車には冷房もシーツも無く、わたしのベッド上の電球は眠りにつく前にぶつりと切れてしまった。
インドへ来て、10日ほどが経った。
毎日が刺激の洪水で、わたしはそれら全てを取りこぼすまいと常に五感を総動員させなければならなかった。出会うもの、人、景色、すべてに心が激しく揺れ動き、落ち着く暇もない。今までの当たり前は簡単にひっくり返り、新たな価値観が次から次へとわたしを強引に塗り替えていった。
バンガロールでは、見たことのない虫がびっしりと壁に張り付いた浴室でシャワーを浴びた。
そこらに生えていそうな野草が入った苦いカレーには、上からヨーグルトをかけられ、迫りくる吐き気に冷や汗をかきながら手ですくって食べた。
仲良くなった宿の従業員(アキオと名乗った)は、お金や安定した職が無くとも幸せに生きることを教えてくれた。そしてカレーを作るために文庫本を破いて燃やした。
きらびやかな服を着た子どもが両親と手をつないでスキップする傍らで、片足のない母親が胸に小さな赤子を抱きながら路上でミルク代を乞いていた。
取り分けわたしが心を鷲掴みにされたのが、こういった物乞いの存在であった。
「物乞いにお金をあげてはいけない」
これは渡航前からなんとなく頭にあった常識だ。相手のためにならないし、関わるのは危ない。1人にあげ始めたらきりがない。ガイドブックにもそう書いてある。
実際にはじめて物乞いに出会ったとき、わたしは恐怖で身がすくんでしまった。棒のように痩せた身体に汚れた服。その暗い瞳と目が合ってしまったとき、ぶるっと鳥肌が立った。なにかを話しかけられたが聞こえないふりをして、足早にその場から離れたものの、心臓がいつまでもバクバクと鳴り続けたのを覚えている。なぜだか分からないけれど、得体のしれない彼らの存在に、本当に怖い思いをしたのだ。
けれども、旅を続けていると、毎日何人もの物乞いに出会う。そしてある日、こんな考えに至ったのだ。もし目の前の物乞いが、明日餓死してしまうとしたら? わたしがお金をあげなかったら、命を落とすとしたら? それでもわたしは彼らを無視するのか、彼らのためにならないからといって…。
そんなとき、ひとりの幼い男の子に出会った。わたしが道端で買ったばかりのマンゴージュースを飲んでいたら、その子はどこからかやってきてジュースを指さし、わたしをじっと見つめたのだ。
前日までのわたしなら無視していた。男の子のためにならないから、と。しかし、その日のわたしは「あげてみようかな」と、彼に飲みかけのペットボトルを差し出してみた。
「マンゴー好きなのかな」「まだ小さいし、甘いものが欲しいんだろうな」「一気に飲んだりするかな」「感謝されるかな」
そんなことを考えていたわたしは、予想を裏切られる。
男の子はジュースを受け取った途端、お礼も言わずに走り出した。わたしはぽかんとして彼の行方を目で追うと、その先の道に座り込む集団がいた。すぐに、彼の家族だと分かった。ぱっと見て、母親、父親、祖母、そして彼の兄弟たちが数人。赤ちゃんもいた。男の子は母親らしき人にジュースを手渡す。すると、母親が全て一気に飲んでしまった。男の子は一滴も飲んでいない。しかし、それがさも当然であるかのように、彼も、家族も何も言わない。
わたしはその一連の出来事に衝撃を受けた。男の子は自己の欲を満たすために物乞いをしていたわけではないのだ。家族のために、家族と生きるために、わたしからジュースを乞うた。もしかしたら両親から、物乞いをさせられているのかもしれない…。
それ以来、物乞いを見ると、わたしは彼らを観察し、お金をあげるべきかあげないべきか考えるようになった。「物乞い」とひとくくりにしていた人々は、よく見ると実に多様であった。
身体が不自由で働くことができない大人。
赤子を育てるお金のない母親。
日本人を狙って話しかけてくる青年。
ただ目と動作で訴えるだけの人。
対価としてなにか一芸を披露してくれる人。
構ってほしいだけの子ども。
大人に脅されている子ども。
わたしは彼らを見て、お金をあげたりあげなかったりした。食べ物や文房具をあげたときもあった。彼らからは感謝されるときもあれば、これでは足りないと追いかけまわされるときもあった。ガイドブックには載っていない世界がそこにはあった。
「物乞いにお金をあげてはいけない」
この常識はある意味正しい。しかし、リアルを目の前にしてもなお、誰かからもらった情報を鵜呑みにし、傍観しているだけでは何も生まれない。常識を疑い行動する。自分の目を、感性を信じて、世界の正しさを確かめる。
この経験は、わたしが経験至上主義(「自分が経験し感じたことを一番に信じる」主義)となる記念すべきファーストステップであり、その4年後に地球の裏側へ行くことになってもなお、自己の柱として深く存立し続ける出来事となった。


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