父の死がつらすぎた女子大生が、インドへの逃亡をきっかけに地球の裏側まで旅した話 インド編2/2

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寝台列車でアグラーからバラナシまで約12時間のはずが、途中なにもない荒野で4、5時間ほど停車していたため、到着が遅れて深夜になった。駅を降りると、待機していたリキシャ(タイでいうトゥクトゥク)のドライバーがわっと集まってくる。暗い道を歩くのは危険なので、信頼のできそうなドライバーと値段交渉をしてからリキシャに乗り込む。

少し冷たい夜風を切って走るのはとても気持ちがよかったが、バラナシは他のどこの街よりもインドのにおいがした。インドのにおいって、牛や犬などの動物のにおいと、むっとした草木のにおい、人々の生活排水のにおいのミックス。
宿につき、案内された4階の部屋に入ってカギを閉め、ようやく荷物を降ろす。買ったばかりだったオレンジ色のバックパックは、すでに埃や泥、雨水で薄汚れ、レンガ色に近くなっていた。
WiFiを繋いで数日ぶりに母に連絡すると、一秒で返事が来る。
「バラナシに着いたよ」
「連絡が遅くて心配したけど、どうしたの?大丈夫?」
母にはわかる限りの旅程をあらかじめ伝えてあった。細々と予定を教えておくのも小さなことでひどく心配されるのも、最初は煩わしかったものの、日数が増えるにつれてその胸中を理解できるようになった。
「ただの列車の遅延だから大丈夫。心配ないよ」
母にとっては、夫を亡くし、その半年後に娘が遠くに行ってしまったのだ。しかも、危険と名高いインドに。もし、何かあって帰ってこなかったら、と想像してしまうのは無理もないだろう。わたしもまた、渡航中に母や弟の身になにかあったら、と考えることが増えた。遺される悲しみを知ったわたしたちにとって、それは最も恐れる事案として今でも、そしてこれからもずっと、人よりも強い力でつきまとわれることになるだろう。

次の日、早くに目が覚めると、窓の外から見事な朝焼けを見ることができた。昨日は暗くて見えなかったが、ガンジス河が宿のすぐ近くにあり、その対岸の陸地から朝日が昇ってくるのだ。川の近くまで行こう、とわたしは十分に日が昇ってから散策を始めた。

ガンジス河まではそう遠くなく、目抜き通りの坂道を下っていくとすぐに川岸へ着いた。汚いと聞いていた通り川の水は茶色く濁っていたが、子どもから老人まで、多くの人が沐浴をしていた。
ふと、焦げ臭いにおいにつられ横を見て、わたしはすぐそこが火葬場であることを知った。人が、燃えていた。ガンジス河は火葬した後の灰を流す場所として有名である。吐き気やめまいがすることはなかったが、心の準備ができていなかったため、おもしろいほどに気が動転した。燃えている、あの日の父のように。その頃なるべく思い出さないようにしていた父との最期の日々の記憶が、またたく間に頭の中に流れ込んできた。

もともと、父とはとても仲が良いわけではなかった。というより、わたしが家族を毛嫌いしていた。だれにでもそういった時期はあるかもしれない。わたしにとっては、大学1年のあの頃がピークであった。家にいる時間はただでさえ短かったのに、家に居ても自分の部屋に引きこもり、家族と話すことを避けていた。
父は入院生活を始めてから、急激にやつれていった。メタボ気味だった身体から骨が浮き出るまでは本当にあっという間で、顔つきもすっかり変わってしまった。わたしはそんな父をしばらく正視できず、一層よそよそしい態度をとっていた。
わたしは父に買ってきてほしい頼まれたのに、忘れていたものがいくつもあった。薬の副作用で手が乾燥し、スマホを握れなくなった父のためのゴム製のスマホケース。読みたがっていた本。食べたがっていたスナック菓子。それらを遊びに夢中のあまり、後回しにし続け、気づけばやってあげることは叶わなくなっていた。
父の最後の誕生日、わたしたちは父の先が長くないことを知っていた。同世代の友人がバイトでお金を稼ぎ始め、親に少し高価なネクタイやハンカチを贈り始めていたのは知っていたが、「すぐに使わなくなるし」と、小さなお菓子しか渡さなかった。……

あの頃、わたしは「こういった自分の親不孝な考え方や行動が、いつか必ず後悔に繋がるだろう」と、どこかで分かっていた。しかし、それを無意識に美化している自分がいたのだ。悲劇のヒロインを気取り、その苦難を乗り越えていく自分を想像しては、陶酔していた。
けれども、実際はどうだ。苦しみは日を重ねるごとに増していく。「そういえばあの時も」と、忘れていた記憶がふとした弾みで溢れ出し、新たな後悔へとつながるからだ。わたしはこの先も永遠に、父への後悔で苦しみ続けるのだろうか。そんなのあんまりだ。絶望だ。つらい、つらい、つらい……。
「ごめんなさい」
「わたしが死にたかった」
そのとき、わたしの言葉を理解する人は、まわりに一人もいなかった。
涙がこぼれそうになったとき、坂道の上の方から新たな死者が運ばれてきた。わたしは居ても立っても居られなくなり、その場を離れ、ガンジス河の対岸へ行く小舟へ乗り込んだ。川の流れは静かで、穏やかな揺れに身を任せていると気持ちがいくらか和らいでいった。空腹であることにも気づいたので、川沿いのラッシー屋で少し休むことにした。

夕暮れ時になると、シャンシャンと鈴の音と、お経のようなものが街に響いた。音の先を辿っていくと、ガンジス河のほとりで人だかりができている。なにかの儀式のようだ。中央にいる数人の僧が、胡坐をかいて楽器を鳴らしていた。祈りの儀式だろうか。
見とれていると、人だかりをかき分けるようにして物売りがわたしの前に来た。かごいっぱいに入っているのは、蝋燭だ。薄い紙皿に乗っていて、花が添えてある。
「これを川に流すのよ」物売りの女性はぶっきらぼうに教えてくれた。
それは結構ロマンチックではないだろうか。わたしは好奇心で桃色の花のついた蝋燭をひとつ買い、川辺へ行った。
日は暮れかけ、川にはすでにちらほらと蝋燭の灯りが浮いていた。わたしも周りに習い、火をつけて川にそっと流した。
そのとき、この灯火は父のところまで行くのではないだろうか、という考えがはっと頭に浮かんだ。わたしの蝋燭は静かに、ゆっくりと川下へと流れてゆく。水面の揺れで何度も傾いたが、火は消えず、しっかりと燃えている。
火葬場の死者。あの灰は今、このガンジス河を流れているのだ。生と死がこんなにも隣り合わせの街。人々は毎朝この場所で沐浴をする。
わたしは神様を信じていない。何度も何度も「時間よ戻れ」と本気で祈ったのに、わたしは戻ることができなかった。馬鹿げているけれど、本気で祈ったのだ。なのに叶わなかった。だからわたしは神様なんていないと思っているし、どんな宗教も信じていない。しかし、インドで感じたのは、神様がいるかいないか、宗教が正しいか否かという問題を超えた先にある、人々の行為の美しさだった。死者の灰を川に流し、その灰を含んだ水で生者は身を清める。生死は当たり前に存在し、彼らはそれに抗うことなく、自然体で生活している。限りある人生の中で、なにが大切であるかを知っている。自分の役割を全うしている。その力強い生き様に、感動した。
わたしはポシェットのチャック付きのポケットから、ずっとしまっていた手紙を取り出した。それは、父が亡くなった後、母から渡されたもので、いわば父の遺言であった。わたしはそれをいつまでたっても読むことができていなかったのだ。読んでしまったら耐えきれなくなって、自分がどうにかなってしまうと思うと怖かったのだ。
日が沈み、黄昏色に染まった空と川を臨みながら、わたしは手紙をついに読み切ることができた。そして父の最期の願いを知った。


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