外国につながる子どもを持つ保護者のみなさんが、学校生活についてかなり高い確率で聞いてくること

外国につながる子どもを持つ保護者のみなさんが、かなりの高い確率で学校生活について聞いてくることの中に「子どもがいじめられるのではないか?もしいじめられたらどうしたらよいか?」という質問がある。

僕としては「もし何かあったら、まずは学校とよく相談してください、学校は必ずあなたの力になります。ラウンジももちろんあなたの力になります。」と言っていて、実際、学校は何かあった場合真摯に対応してくれています。

今日はある人と話をしていて、やっぱり外国につながる子を持つ保護者のみなさんは、いじめについては相当気を使ってるんだなと思いました。次のふたつのエピソードは日本人(マジョリティー)からは、なかなか見えない視点だと思います。マイノリティーが社会で生きていく上での経験に根差した生活戦略を垣間見たようでした。

「日本人の子どもの友だち同士だけで、コンビニやお菓子屋に行ってはいけない。」

⇒もし、その中の子の一人が万引きをした場合、肌の色や外見が異なる外国につながる子が真っ先に疑われるから。

「プールの授業には参加しない。」

⇒毎朝、まっすぐに伸ばしている髪が元のカーリーヘアに戻ってしまうから(天然パーマはいじめの格好の標的になる)。

こうやって、薄氷を踏むような思いで気をつけて、慎重に慎重に生活していても、ふとしたことで「異質性」が露わになり、いじめが始まるのだそうです。

こういうのはほんとうに嫌だなあと思う。学校の先生が散々個性を尊重しよう、みんなちがってみんないい、と言い続けても、日本の学校文化における異質なモノに対する眼差しは悲しいほど冷たく、そして厳しいものがあるようです。これは一体どういうことなんだろう?

先日は日本語支援の問題について書きましたが、実は日本語支援のことなんかよりも、この異質なモノに対する眼差しというか、構えについての「脱構築」の方が大事なんじゃないかって思います。そして、この構えがきちんとしてさえいれば、日本語支援のことなんか実は二次的なことなのかなー、と思わないでもないです。

あるいはいろんな事が日本語の問題に還元されてしまっているけど、その根源は、子ども時代(感覚的にはたぶん小2くらいから)に既に強固に構造化されてしまっている、異質性の排除にあるのかもしれません。

天然パーマがいじめのトリガーになるって、どうしようもなく悲しい。それは、その感覚が日本人である僕にも何となくわかってしまうから。畜生、こうなったら明日の午前は半休取って美容院に行って、アフロヘアーにでもしようかな。それで学校回って、アフロ館長です~、って自己紹介しようかな。

あー、そういうことじゃないか~、と思いつつ、このどうしようもない同化圧力の壁を跳ね返していくためにも、やっぱりアフロかな、と半分本気で思ってます。でもさ、だいたい僕の中にもある「アフロ=おもしろおかしい」っていう感覚が既にアウトなんだよな。アフロはおもしろいのか?もし、おもしろかったとしたら、それはなぜか?

で、この切なさの責任の半分は自分の中にあるのだと思うと、余計に悲しい。

著者のMatsui Takahiroさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。