安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 Vol.32「退職」

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2016年の1年間で、2ndLEGの音楽活動は、飛躍的に増えていった。

僕も一緒に出してもらった11月の神戸チキンジョージでのライブには、150人のお客さんが来てくれた。

並んだテーブルはもう満席で、立ち見も出た。

僕が、豊のところに来てしばらくして感じていた、豊の窮屈そうな雰囲気は、この頃から見た目にもだんだんはっきりとわかるようになってきた。


豊は、礼央と組んで音楽活動をするために 一切、音楽にかかわる時間のとれない営業職をやめて、定時に帰れる工場に勤めを変えた。

豊は、仕事は「仕事」として、切り替えたいと思っていたので、仕事場には一切音楽のことは伝えていなかった。

当初は、週末を中心にライブを入れることで、時間を整理して事足りていたのだが、ユニットが動くにつれてライブの本数が増えていき、豊の時間は圧迫されてきた。

相方の礼央は、比較的時間に融通のつけられる仕事をしていたのだが、豊は、決まった時間にしか仕事を終えられない。

ライブの場所によっては、どうしても予定されているスタート時間に間に合って到着することができないため、ライブのスタート時間を遅らせてもらうこともあった。

豊が、仕事を休めないので、せっかくオファーがきても、出演できないライブもしばしばあった。

それでも、自分の生活を支えてくれるメインの収入は、工場の仕事から得ていたので、音楽のことで仕事に迷惑はかけられないと思って、どうにかこうにかやりくりをつけてきていたのだが、ライブの本数が月に20本に達した時、豊はついに方向を転換する決断に迫られた。

どっちに進みたいんだ?豊は、僕を抱えながら、自問自答をした。

「音楽に進みたい」自分自身からの答えはすぐに返ってくる。

それなら、迷うことはない…

豊は、あっちゃんに、自分の気持ちを正直に伝えようと思った。

年末に父親になったばかり…これから家族を支えていかなければならない立場なのに…と、考えなかったわけではない。

ただ、兄を失った少年時代の心に染み入ってきた「巡恋歌」のように、自分の歌が誰かの心を満たして、人生を生きるに値するものだと思ってくれる可能性があるなら、賭けてみたい…豊は、そう思った。

僕は、豊がそう決めたのなら、僕の出せる全力で、豊の歌を応援していこうと、心から思った。

その日、反対される覚悟で、豊はあっちゃんとに向き合った。

小さな息子が寝付いた後、ダイニングテーブルを挟んで、豊の話を聞いたあっちゃんは、暖かい目をして「はい」と うなづいただけだった。

15歳の豊が、スペインに行きたいと言い出した時、17歳の豊がパラグアイから電話を掛けた時、豊の母は何一つ豊の思いを妨げる言葉は言わずに受け取ってくれた。

豊は、彼女たちに、とてつもなく大きな度量を感じた。

豊が自分にできる最善の選択をしていると信じる気持ち…豊は、その気持ちに、深く頭を下げた。

僕も、なんだか体の芯からじ~んとする感覚を味わっていた。


2017年の春、豊は、工場の勤務を辞めた。

毎月のはっきりとした収入はなくなったが、すべての時間を音楽につかえたので、収入の額が下がることはなかった。

豊の中でストレスになっていた、仕事と音楽の折り合いの問題も解消されて、さらに、普段できなかったディサービスやちょっとした催し物に歌いに行くことができた。

生で伝わってくる聴き手の反応は、豊の世界をこれまでになく広げていった。

2ndLEGは、それまでにも増して、活動を拡大していった。

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