安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 Vol.33 「自己紹介」

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小学校の終わりに転校してから、ずっと豊に寄り添ってきたマサシとは、九州、四国、東京、韓国、オーストラリアなど、豊がどこかへ遊びに行くときはいつも一緒で、2人して何かと面白い体験を積み重ねてきた。


旅をしているときのマサシは、行き当たりばったりの豊に比べて、準備もするし、その時々の判断もしっかりしているのだが、普段は、スープ春雨のスープだけを飲み終わってから、春雨を入れ忘れていることに気が付くといったような抜けたところもあった。


オーストラリアの高速道路では、車線変更しすぎて、警察に捕まり、免許証を見せて見逃してもらったエピソードもある。


すでに20年をこえる付き合いで、すべて分かり合えていると思っていたのだが…それは、ふとしたことからの気づきだった。


2017年の夏、数年前、明石海峡を見下ろす神戸の高台にオープンしたコストコへ、豊は、マサシともう一人の友人を伴って買い物に行った。


美味しそうなパンがずらっと並んでいる棚の前で、マサシと別の友人がクロワッサンを手に取って話しているのを、豊はカートを押しながら眺めていた。


「俺、クロワッサンが一番、好きやねん。モーニング、毎日クロワッサンでもええわ。」


何気ないマサシの言葉に、豊は「へぇ~、知らんかった。」と呟く自分に気が付いた。


あれほどあちこち一緒に行って、何度もモーニングを一緒に食べながら、今まで彼がクロワッサンを好んでいたことなど、まるで気が付かなかった。


ひょっとして、マサシのことを知っている「つもり」でいただけなんじゃないか…


20年もかかって、ようやく「知らなかった」ということに気づいた自分に、豊は驚いた。


そんなことって、きっと他にもあるに違いない。


わかっている「つもり」、理解している「つもり」…決して、驕っているわけではないのだが、「つもり」に満足して、それ以上、考えたり、のぞき込んだりはしなかったのだろう。


そのままで終わることもたくさんあって、だからいけないというものでもないのだが、豊は、大切だと思う人については、もっと知っていたいものだと思った。


そして、自分のことも知っていてほしいものだと思った。


そんなことを考えながら、その秋、「自己紹介」という歌ができた。


豊が、僕の弦をつま弾きながら、作った歌だった。

 



2017年の春から夏にかけての2ndLEGは、以前にもましてライブの本数も増え、外から見れば引っ張りだこの売れっ子ユニットだった。


工場の勤務を辞めて、音楽だけにすべての時間を使えるようになった豊だったが、僕は、それを手放しには喜べなかった。


忙しくても、楽しそうなら問題はないのだけれど、何かに追われて、やみくもに走り続けているようで、穏やかさがまったく感じられなかったからだ。

 



「来月の第一日曜、大阪でライブが入ったから…で、次の金曜は、西宮の太田さんの紹介で住吉のレストランやで。」


神戸のライブハウスで、豊が僕をギターケースに入れながら、帰り支度をしていると、礼央が後ろから声をかけた。


「うん。」と返事をしながら、豊は、次の言葉を出すまでに少し時間がかかった。


「なぁ、もうちょっと、ライブ、選別せなあかんことない?」


歌うことは、好きだった。


歌うことが嫌なのではない。


でも…


「いや、そないいうても…せっかく言うてきてくれてんのに、断られへんやん。みんな、豊が、仕事で出られへんかったときから、ずっと待っててくれたんやで。それに、選別って、どれをどないするん?」


確かに、声をかけてもらえることは嬉しいことだったし、せっかくの気持ちを断りたいわけでもない。


「選別」についても、そうは思っても、何を基準にどう選べばいいのか、豊にも礼央にも明確にはわからなかった。


しかしながら、何かがひっかかる…「何か」の正体を、見極める時間も取れないまま、2ndLEGの仕事は、自分たちで手に負えないほど膨らんで、息をするのさえ苦しくなっていった。



 

あの時、もっと自分自身に「自己紹介」ができていたら、違った道が見えたかもしれない。


後悔ではないが、振り返ると、流れに飲み込まれていた自分が見えて、豊はそう思わずにはいられないようだ。

 

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