祖母との何気ない会話-めぐちゃんの花嫁姿が見れないかもしれないわねと言われた話

それはゴールデンウィークの真っ只中に

母から夜中の2時過ぎに来たメールで、

「ばーば危篤状態だから早く帰って来て。意識なし」

私はその時、ゴールデンウィークで軽井沢に来ていました。

その早朝に、千葉に帰ろうと準備をしていた時、

母からの電話が鳴りました。

その時点で、私には何を言われるか予想できていました。

電話の向こうで母の泣いている声が聞こえました。

「ばーば亡くなったよ。」

入院する前日-6日前

少し久しぶりに実家に帰って来た時、少し具合が良くないと言って、祖母はベッドで横になっていました。

母は相変わらず家事をしたりといつも通りせかせか動いていて、私も庭仕事を手伝っていました。

祖母は庭がどうなっているか気になったのか、ベッドから出て庭の軒下に座って眺めていました。

私が植物に水をやっていると、

「底から溢れるくらい入れなきゃだめじゃない。」

と祖母から指摘が。w

一日の中で、祖母とは何気ない会話をしましたが、

「ばーば、めぐちゃんの花嫁姿みれないかもしれないわね…」

私は、

「なーんでそういうこと言うの!」

といって、変な事言わないでよと、笑っていました。

その時は、それくらいしっかり意識もあるし、次の日に病院に入院するなど想像もしていませんでした。

しかしその日は、いつもより具合が悪かったのか、ゼリー等の食べやすいものでさえあまり食べられない状態でした。

そして心配しつつも、次の日が仕事だったので、母に祖母の状態はいつも連絡してと伝え、東京に帰りました。

翌日、祖母は肝臓と腎臓が悪いということで、人生初の入院をする事になりました。

もう一人の母

祖母は、相談事や日々の出来事をよく聞いてくれましたし、時には、頑張りなさいと喝を入れてくれました。そして、病気を患って苦しいときでも、いつも自分の事以上に他人にお世話を焼いてくれる、そんな人でした。

料理や手芸が上手く、とても手先が器用だった祖母は、編み物やパッチワーク等を楽しんでいて、いつも新しいものを新聞や雑誌で見つけては、いろいろな物を作って皆を楽しませていました。

そして、一番好きだったのがお花。

祖父も同じく菊の栽培にはまっていた時期があり、2人で庭いじりをしているのが懐かしい光景です。バラや百合など、たくさんの花を可愛がっていました。

近頃では、フラダンスにはまっていて、手芸の腕を活かし、自分の衣装を何着も作っていました。

また、芸能情報にも詳しくミーハーで、韓国ドラマにはまっていたり、本当にいつも明るくて、新しい事にワクワクしている、天真爛漫な祖母でした。

また、祖父が病気を患ってからは、年を取ってわがままになった祖父と口喧嘩をしながらも、いつも祖父の事を想いやって一生懸命看病をし、めげずに前向きに自分の夫を最後まで愛していた、愛情深い人でもありました。

こんな祖母と私は、たぶん通常の人が持っている祖父母との関係とは、異なる関係を持っていました。

私が幼いときから母が仕事で何日も家を空ける事が多く、私は母よりも祖父母と多くの時間を過ごしていたのです。

こんなこともあって、祖母は私にとってもう一人の母親のような存在、というか本当にもう一人の母親でありました。

こんなにババくさい食べ物が好きで、健康食品に敏感で、これまで健康にすくすく育ったのは、本当に祖母のおかげだと思っています。

一人暮らしを始めてからも、家に帰ってくると何かと作ってくれて、持って帰るようにとタッパにいろいろ詰めてくれていましたのが、とても懐かしいです。

5月4日

実家に帰った時、祖母は病院から家に帰って来ていました。

白い着物を来て横になっている祖母。

病気のせいで顔が少し膨れていたので、いつもと少し違うように見えましたが、私にはただ眠っているようにしか見えず、全くその状況を信じる事は出来ませんでした。

母と叔母は、お葬式の準備や何やらで忙しそうにしていましたが、妹が私に駆け寄って来て、思わず2人で抱き合って、

私はひたすら、

「一緒にいてあげられなくてごめんね」

と、妹をギュッと抱きしめたのを覚えています。

妹にとっても私と同じように母のような存在だった祖母でしたから、辛いのは心の底からよく理解ができました。

実家には、祖母と親しかった人が次々と訪れ、母はその度に状況を説明して、その度に泣いていました。

皆がみんな口を揃えて、

「信じられない。」「早すぎる。」「何があったの。」

そう言っていました。数日前まで家にいて、しっかり意識のあった祖母が亡くなってしまった事は、あまりにも衝撃的だったのです。

死を意識して生きる

この一年間で、祖父母を失くし、今以上に死をとても意識するようになったと思います。

人間は誰もが死と隣合わせで生きている。

そう感じました…それを実感していました。

祖母は、腎臓と肝臓が悪く入院したはずが、くも膜下出血という全く違う病気で亡くなってしまったのです。

亡くなる6日前まで普通の会話をして、入院したことなんて人生で一回もなかった人が、いきなり自分の人生からいなくなってしまう、こんな事が起きるなんて信じられませんでした。

まだまだたくさん親孝行したい事があったし、話したい事もたくさんありました。後悔は本当に数えきれない程あります。でも、ずっと後悔し続けても戻ってくる事はないのです。

残された家族を、自分の人生を、本当に大切にしなきゃいけないと思いました。たぶん、それが一番に祖父母が望んでいる事だろうと思うのです。

でも、こんな深い事を意識をし続ける事は、とても大変だと思います。

だって、それぞれに仕事や人付き合い、毎日いろいろな事が起きる。だから、自分自身を、そして身近な人を大切にしようと思っても上手くいかない事がたくさんあると思います。

特に自分の人生が上手くいっていなくて余裕がないときは、尚更のこと。

正直な気持ちに素直になれないし、普段気にならない小さな事にすごくイライラしたりします。

全てを投げ出したくなっているような時に、周りを大切にしようなんて思う余裕はないと思います。

でも、本当に大切にしていきたい。

何があっても、祖母のように周りを大切にし、いつでも前向きな人でありたい。

そう思うのです。

いつか、自分が結婚するとなったら、一番に花嫁姿を見せる事ができればいいな。

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