色恋沙汰と自分

前話: 自分という人
次話: 失恋と歌
先の話で、好きであった人に振られてしまったことを述べた。
自分はとても悲しく、一ヶ月ほどメンタルを痛めてしまったが、振られた際にしつこく連絡してしまったことで、相手の傷つき具合は自分の比ではなかったようだ。色恋沙汰に疎すぎる自分はパニックになり、共通の知人も巻き込んでしまった。それだけ心に余裕がなかった。
それでも、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。納得のいっていない自分もいる。人の気持ちが分からないことでこのようなことになるなんて思いもしなかった。取り返しのつかないことをしてしまったと感じている。
周りからの目も決して優しいものではない。
自分を糾弾する人、責めはしないが距離を置く人が数多いた事は事実である。
しかし、その方々が私に対して心配をしてくれていた面があることもまた真であると思っている。
私は彼らにどう顔向けをしていいのか、分からない。気の遣える人間であれば、距離をとっていくことが定石なのであろう。しかし、関係が切れてしまうことに恐怖を感じる自分もいる。今回のことを償うことで許されたいとも思っている。
それだけ、心が狭いことも周りから見透かされているだろう。
そんな自分がやはり、繰り返しにはなるが不器用だと感じてしまう。メンタルがつらすぎてやらなければいけない事もやれない、それは言い訳なのか?
失恋という今回の出来事で八方塞がりとなり、停滞してしまっている自分がどうしても許せない。他人と比較し、みすぼらしさを感じ、その乗り越え方を見つけんとするが、うまく行かない。今の状態はまさしく迷走である。
ただ、一つだけ、分かったことがある。
米津玄師の「lemon」が人気を博していることだ。あの曲のどこが良いのか、何故、人気歌手なのかすら知らなかったが、今回の出来事をこの歌に重ねると、心に何かグッとくるものがあることは確かだ。それがいいものなのか、悪いものなのかは分からない。この歌のおかげで前進できているという実感もない。(そもそも、成長や前進を声高に叫びがちな社会もどうなのか、と考えてしまうが)
この歌を求める人たちの気持ちがほんの少しだけ分かったことがもしかすると、前進と呼べるのかもしれない。
だが、人間関係が苦手な私は、今しばらくはまだ孤独の道を彷徨い続けざるをえない。


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失恋と歌

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