看取りのプロが伝える 「生きる」とは?  ~私に最も「生きる」を教えてくれた末期癌の女子高生の話~後編

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前話: 看取りのプロが伝える 「生きる」とは?  ~私に最も「生きる」を教えてくれた末期癌の女子高生の話~中編

美咲ちゃんは足の浮腫みも酷く、お腹も大きいまま、動くこともままならなかったけれど、家で過ごすことを強く希望し、退院することになった。

 

お母さんは1月から介護休暇を取得して、美咲ちゃんと一緒に過ごす生活が始まった。

 

美咲ちゃんはどんなにお腹が張って、動くことが出来なくなっても車椅子で外来受診していた。お母さんは、そんな美咲ちゃんにつきっきりで看病していた。


いつでも入院して良いことは伝えていたけれど、美咲ちゃんは家で過ごすことを強く希望し、お母さんは美咲ちゃんの入院したくないという思いを尊重していた。

 

 そんな中で、美咲ちゃんは面談の時に話していた

「お母さんと買い物に行くこと」

「お母さんとケーキを一緒に焼いて、部活のみんなに食べてもらうこと」

を実現させた。

 

 美咲ちゃんは自分の願いを、ちゃんと自分自身で叶えていた。

 

お通夜の席での再会

 3月の下旬、美咲ちゃんは高校3年生に上がる直前に息を引き取った。

急な出来事で、直前まで歩いたり、少量だけど食べることも出来ていた。


「病院へ行きたくない」という強い思いを貫き、救急車の中で息を引き取った。

 

 私はその時、会うことが出来なかった。

 

 だけど、どうしても最期に美咲ちゃんに会いたい!!

 

そう思った私は、ダメ元で美咲ちゃんの携帯電話を鳴らしてみた。すると、お母さんとお話しすることが出来て、顔を見に来て欲しいと言われ、お通夜の前に葬儀場でゆっくりお話しすることになった。


葬儀場に到着すると、美咲ちゃんの素敵な笑顔の遺影が出迎えてくれた。

 

私は鳥肌がたった。

 

「あの、この写真って・・・・・」

お母さん「そうなの。あの時に撮った写真なんですよ。」

そう。初回の入院時に白衣を着てお母さんにサプライズをした時の写真が遺影になっていたのだ。

 

お母さん「この写真は、美咲が一番希望に燃えていて良い時期の写真だから。撮ってもらって良かったです。」

 

思いがけず、自分が撮った写真に再会して、驚きと感動と涙でもうぐちゃぐちゃだった。

 

そしてお母さんは、穏やかな顔をして眠っている美咲ちゃんの顔を見ながら、息つく間もないくらいの勢いで話し始めた。


お母さん:「1月に介護休暇をとって、本当に良かったです。3か月間、みっちり看病が出来て、やり切った。私も美咲も頑張ったと思うの。」

:「本当に、良く頑張りましたね。」

 

お母さん:「あとね、本人の意向に添えて良かったです。」

:「美咲ちゃんは、病院に行きたくなかったんですよね。お母さんがいてくれたから、実現できたことでしたね。」

 

他にも


美咲ちゃんは、最期まで死ぬことを疑っていなかったので告知しないで良かったこと。


祖母を2人立て続けに亡くしたけれど、これは美咲が逝った時に寂しくないように祖母たちがしてくれたことなんだと思っていること。


本当に最期まで頑張り屋さんで、迷惑をかけない子だったこと。


祖母の看病の時は、看護体験が役に立っていて本当に看護師さんをしていたことなど。

 

 病気が発覚してから亡くなるまでのことを思い出しながら話をしてくださり、とにかく私は聞きながら、労いの言葉をかけ続けた。


 お父さんは側で涙を流しながらも、うんうんと頷いて話を聞いていた。

 

お母さん「本当は、私が話をしたかったのね。」


と何度も言っていた。

 

今後もしんどくなったら、話し相手になりますとお伝えした。


 そして驚くべきことを聞いたのだった。

 

お母さん「前にね、職場の元同僚が相談相手になってくれたと言ったでしょ。」

「はい。」

 

お母さん「実はね、吉川さん(仮名)なの。」

「え!!!!!!」

 

実は、その吉川さんとは、私が以前担当看護師として関わっていた患者さんの奥様だったのだった。


とても優しい患者さんで、奥様と3人で色んな話をした。死期が近くなって色んなことを諦めていた吉川さんに、

 

「実際に今の状況で出来る、出来ないはちょっと横に置いて考えてください。何でも出来るとしたら、何がしたいですか?」

 

そんな私の問いかけに素直に考え、自分の願いに気付いた吉川さん。


今の状態でも叶える方法があるとアドバイスした結果、自ら願いを叶えたのだった。出来ないと諦めていたことを、しっかり叶えてからあの世に旅立ち、素晴らしい最期を見せて頂いた患者さんだった。

 

奇しくも担当看護師が同じという偶然に、本当に驚いた。もちろん、美咲ちゃんのお母さんも相当驚いたと共に、とても相談しやすかったのだと言う。ご縁というものはあるのだと、つくづく感じた出来事だった。


 お通夜では、美咲ちゃんの高校の同級生が沢山参列しており「さよなら、友よ」という歌を合唱し、葬儀場に澄んだ声が響き渡った。心に染みて号泣したのは言うまでもない。

「さよなら友よ」 歌詞

心を映して 空の色
少し悲しく 光る朝
別れの時が 今迫る
さよなら友よ さよなら友よ
忘れまいこの日を いつまでも

何にも言わない 校舎さえ
心ありげに 見える今日
勇んで行()けと 声がする
さよなら友よ さよなら友よ
忘れまいこの日を いつまでも

草の芽伸び行()く 春の道
行手(ゆくて)示して 浮かぶ雲
別れの時が 今迫る
さよなら友よ さよなら友よ
忘れまいこの日を いつまでも

 

後日

美咲ちゃんが亡くなってしばらくして、お母さんが病棟を訪れた。


色んな思いを話したかったようだった。

 

お母さん「お通夜の頃は、やりきったという思いだったけど、今は居ないことでの寂しさや虚無感を感じているの・・・。仕事の時は忘れられるんだけどね。仕事をしていて良かったわ。」

 

美咲ちゃんのことを色々と泣きながら話し、最後にはすっきりとした表情になって帰って行った。

 

お母さん「ここに来たら、思いっきり泣けるの。」

 

 数か月後、再びお母さんが病棟を訪れた。


 泣くために、思いを吐き出す為に来たようだった。


 そして、美咲ちゃんがどれだけ素敵な子供だったのかということを確認したかったようだった。

 

私は、看護師長から言われた 「美咲ちゃんの生きる意味」、 その答えをまだ見つけられないでいた。


生きる意味があったということは確信している。どんな人間でも生きる意味はある。美咲ちゃんが亡くなるまでの頑張りは、本当に生きるということを見せられた。

 

実際、美咲ちゃん自身が自分の生きる意味を見つけたかはわからないけれど。

 

2年後

美咲ちゃんの生きる意味の答えを見つけることが出来ないまま、2年が経過した。

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