在住外国人は留学に来ているのではなくて、働きに来ているのだと言う話
普段、テレビはほとんど見ないんだけど、今日は山崎豊子の「二つの祖国」のドラマのダイジェストを少しだけ見た。
「二つの祖国」は戦前に渡米した日本人移民の三代に渡る物語。この話の大筋は、一世である熊本出身の祖父がペルーに渡ったラウンジのスペイン語スタッフの方の家族の物語とかなり近くて、この小説の物語は無数の日系移民の家族の物語を凝縮したような話なのかもしれない。
ところで、地域の日本語教室などでは、20-30年も日本にいながら「こんにちは」、「ありがとう」くらいの挨拶しかできない人が時々来るわけだけど、ほぼそれは1世なんだな。
そうすると、ボランティアさんとか、まあ、自分も含めてだけど、今までこんなに日本語できずにどうやって暮らしてたのかとか、日本にいるんだから日本語勉強しないとダメね、なんて話になりがち。
まー、それはそうなんだけど、この日系ペルー3世のスペイン語スタッフの女性の見方は少し違う。
「あのね、日本語の勉強って言ったって、留学に来てる訳じゃないんだから、1世にそんな余裕なんかないわよ。私のお祖父さんだって、死ぬまでスペイン語なんか一言も話さなかったわよ。1世はみんなそうなの。働いて働いて、自分の夢は子どもに託すの。1世はみんな子どもの踏み台になるつもりで必死で働いたの。わかる?
体ひとつで外国に行って必死で働いて、それでもやっと暮らしていけるくらいにしかならなくて、その中で子どもを育てていくの。スペイン語ができるようになるのは2世から。でも、戦争があって日系人はみんな何もかも取り上げられちゃって。
実はリマの日系人社会の主だった人たちは、アメリカ本土に連行されて収容されたのよ。戦後アメリカ国籍を持つ日系人には賠償があったけど、ペルーの日系人は今でも何にもしてもらってないの。
私の父は日本にいる間に徴兵されて、戦争が終わってからペルーに戻ろうとしても、リマの空港で飛行機から降りられなくて、そのままボリビアのラパスに飛んだの。リマに正式に入国できたのは戦争が終わって何年も経ってからよ。
そんな状況だから戦後すぐ生まれた日系人は日本国籍を取得する手続きができなかった。だから私たちの世代の2世はみんなペルー国籍。ペルーでは戦争が終わってもしばらくの間日本は敵国だったから、無理して日本国籍なんか取ったら何されるかわからなかったの。
話がずれたけどね、とにかく移民1世が日本語を習得するなんてことは、並大抵じゃないことなの。こんな感じマツイさん、わかる?」
言語の習得って、とかく個人の問題に還元されがちなんだけど、学習っていうのはそれを支える環境があっての行為であって、日本語教育ってそういうところまでを視野に収められているかというと、そうではなくて、やっぱり「あの人20年も(日本に)いるのに」って話にどうしてもなってしまう。
でも、例えば、子どもを寝かしつけて、22時から7時まで弁当工場で夜勤して、それから子どもを起こして学校に送り出してからすぐに寝て、午後に子どもが戻ってきてから晩御飯を食べさせて、それから19時から一時間半地域の教室で日本語勉強して、そのあと夜勤に行くなんて生活を自分だったらどれくらい続けられるのかを想像してみてほしい。
だから、1世は言葉よりもまずは働くわけで、それは日本にいる移民もかつての日本人移民も全く同じで、それは生きていくための生活戦略なわけだ。
話がずいぶんあちこちに飛んだ。が、とにかく「二つの祖国」のドラマを見て、かつての日本人移民の苦労や苦悩を通して、今この国で暮らす移民の人たちの苦労や苦悩について思いを巡らせるきっかけを一人でも多くの人が持つことになれば良いなあと思った。
4月からの新在留資格の運用を念頭に置いての放映であるかは定かではないが、そうでなかったとしても、良い時期になかなか味のあるドラマを作ったと思う。やるな、テレ東。
著者のMatsui Takahiroさんに人生相談を申込む
著者のMatsui Takahiroさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます