ガソリンスタンド経営者だった夫がガンを患って木工作家になっちゃったお話その3

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■息子の誕生、先天性心疾患 
結婚してすぐ、夫の発病前にわたしは一度妊娠しましたが、流産してしまった経験があります。
それから夫のガン発覚、手術を経て、
ちょうど1年後に再び妊娠。
会社の方はスタンドの解体などが進み、国道沿いのスタンドの跡地の土地利用としていろいろな話がきた中で、ファミレスの建設が決まりました。
会社名義で建物を建てて、賃貸契約を結ぶ流れになりました。
時間のあった夫は当時趣味にしていた木工で、ベビーベッドを作って子どもの誕生を心待ちにしていました。
2001年8月、息子が誕生しました。
息子は先天性心疾患ファロー四徴症でした。誕生の翌日には救急車で運ばれ、NICUに入院。
そして誕生から1ヶ月後、熊本の病院に転院し、手術を受けました。
この手術は生きていくための手術で、1歳を迎えたら根治手術を受けなければいけないと言われていました。
■ ガンの再発そして息子の根治手術
根治手術を受けるまでの息子は、毎日薬を飲ませ、毎月 鹿児島の病院、3ヶ月に1度は熊本の病院に通いました。
夫もわたしも初めての子育て。
心臓のことは不安だったけど、なにより息子は可愛くて可愛くて、義父母も交えて息子中心の生活でした。
夫のガンはいつのまにか過去の出来事になっていて、定期検査は通過儀礼のようなもの… そんな風に感じていました。
最初のガンがわかってから2年後の2002年6月。
定期検査から帰った夫の手には、入院の用紙が握られていました。
恐れていたリンパ節への転移。 
このガンは2年後に転移しやすいと言われていたのに、まさかそれが我が身に降りかかるとはおもっていなかったので、青天の霹靂でした。
息子から一気に夫の心配へとシフトしました。
そして同時に頭にあったのは、ガンの治療をしてしまったら妊娠できづらくなること。
息子の根治手術が終わってから2人目を考えようと思っていたわたしたちには辛いことでした。
夫の主治医には精子凍結をしたいと話しましたが
「すでにお子さんが1人いるのだから、今ここにいない2人目のことより、今、目の前にいる旦那さんの命を優先して一刻も早く治療をしてください」と言われ、事の重大さを知りました。
夫は腹部リンパ節にガンが転移していました。
抗がん剤3クールで様子を見て、落ち着いたらリンパ節郭清術を受けることになりました。
当時 息子は10ヶ月の赤ちゃん。
抗がん剤で免疫力の落ちた夫は、子どもとの面会が禁止されました。
夫の両親が隣に住んでくれていたので、わたしは息子を預けて、病院に通う毎日でした。
髪の毛もヒゲも体毛が全部抜けて、口の中は口内炎だらけ。
かなりきつそうでしたが、幸いにも食欲があり、主治医からも何を食べてもいいから体力が落ちないように好きなものを食べてほしいと言われていたので、毎日夕食の時間に合わせて、夫の好きなものを持ち込んで食べてもらっていました。
抗がん剤がかなり効いて、1クール目にはガンはほぼ消滅し、体調を見ながらの3クールの抗がん剤投与もなんとか終わって退院したのが9月。
3ヶ月ぶりにもどった家族3人の生活もつかの間、息子の根治手術の日程が決まり、2週間後、今度はわたしと息子が熊本の病院に入院することになりました。

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