ガソリンスタンド経営者だった夫がガンを患って木工作家になっちゃったお話その4

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■息子の根治手術
わたしたちは鹿児島に住んでいますが、当時はまだ鹿児島県内で赤ちゃんの心臓の手術ができる病院がなく、1度目も2度目も熊本の病院での入院、手術でした。
1歳2ヶ月の小さな体で息子は人工心肺を繋ぎ、開胸手術を受けました。
12時間ほどの長い手術を終えて、息子は生きていける心臓になりました。
息子とわたしの2人で入院しましたが、抗がん剤治療を終えたばかりの夫も、たびたび鹿児島から駆けつけてくれて、心強かったことを覚えています。
■リンパ節郭清術、そして再々発!?
息子も無事に退院し、再び自宅での生活が始まりました。
夫も息子も病み上がり。
家族3人で一緒に生きていられることがただただ喜びでした。
抗がん剤治療から4ヶ月。
CT検査の画像上は腫瘍は消えていましたが、細胞レベルでの確認がに必要ということで、夫は再び入院し、リンパ節郭清術を受けました。
お腹を大きく開け、ガンのあった付近を大きく取り除く手術でしたが、幸い組織検査でもガン細胞は見つかりませんでした。
抗がん剤の辛さも、手術の痛みも、夫にとっては小さな息子の存在が励みになっていたようでした。
息子はどんどん成長し、心臓が悪いなんて思わせないほど元気でした。
夫も退院して再び我が家に穏やかな毎日が訪れたと思っていた矢先
手術から2ヶ月後、定期検査に行った夫に、再び再発が告げられました。
なんと、リンパ郭清を受けた場所に、たった2ヶ月で4センチもの腫瘍ができてると言うのです! 
このスピードでのガンの成長を考えると、かなり悪性度が高いだろう、とも。
なぜ…  たった2ヶ月で…
わたしたちは失意のどん底に突き落とされました。 
今度はもうダメかもしれない、、、そんな思いもよぎりました。
この頃 夫は相次ぐ検査で、CTの造影剤でアレルギー反応が出るようになっていて、クリアな検査ができなくなっていました。
総合病院の医師は定期的に入れ替わるので、前任と後任の医師で治療方針を決めるため、2週間ほど待たされました。
長い時間でした。
わたしたちは、お互いの前では努めて笑っていました。
わたしは夫を失う怖さに怯えていました。
夫は夫で、わたしと息子を残して先立つことへの恐怖を抱えてようです。
病気を抱えた息子とこれから2人で生きていくことが不安で仕方なく、夫の顔を見たら涙が出そうな毎日。
生きたい!生きていてほしい!とお互いに心底願った日々でした。
不安の中で、わたしは知り合いに胸の内を打ち明けると、当時鹿児島では1軒だけPET検査をしている病院の話をしてくれました。
全身のガンが一目でわかるというPET検査は数ヶ月待ちと聞いていました。
なんとその知り合いは、たまたま数日後に任意でPET検査を予約していて、
自分は健康だということを証明して安心したいだけだから後からの検査で構わない、有村さんに検査を譲るから!と申し出てくれました。
わたしたちはありがたくその申し出を受けさせていただくことにしました。
主治医にも相談し、治療のデータなどを預かってPET検査に臨みました。
どうか他に転移がありませんように!
そればかりを祈りました。

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