日本の野球は監督の権限が強すぎる 5

前話: 日本の野球は監督の権限が強すぎる 4
次話: 日本の野球は監督の権限が強すぎる 6

甲子園が中止になった。春のセンバツに続き2020年は甲子園が無い年になった。

一番悲しみ苦しんでるの監督なんじゃないか??そのように感じてしまうくらい、大人が嘆き悲しむニュースが多くないか?甲子園だけが野球じゃない!って涙を流して生徒にさとしながら、本音は甲子園だけが人生さ、っていう監督が多すぎないか?
なぜ、日本の野球は教育コンテンツ化し、上意下達の軍団になったのかは、前話までを見ていただくとして、日本の教育そのものが、上から下への抑えつけで日本経済が発展してきたのだから仕方ないか。全ては戦後復興の経済立て直しのため、工業化社会の担い手として、軍人育てるかわりに、モーレツサラリーマン育ててきたのだから、その養成所としての部活根性論と、真夏の残虐ショーを、故郷の匂いなつかし我がチームという幻想を抱いてきたのだから仕方がない。
でも、もういいのではないか?
実際には、監督が自前の選手に、リアルパワプロしてるだけじゃないか?コマを、操作キーを使ってこねくり回して、操作キー通り動かないとブチキレる、という、ゲームしてる子供と変わらないじゃないか?
もういい加減、本当のエンターテイメントとしての野球を取り戻して欲しい。野球は、ブチキレなくても、真夏の炎天下でやらなくても、私学の看板背負って宣伝部隊しなくても、そのスポーツ自体がものすごく面白いというのに気づかないのかな??
甲子園は戦争のために一時無くなり、教育と名を変えて巨大コンテンツとなり、そしてそのため、教育の一環だから生徒の安全第一に考えコロナで中止になった。ホントは教育んてどーでもよかった大人達が嘆き悲しんでいる。

著者のAzusa Aragakiさんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

日本の野球は監督の権限が強すぎる 6

著者のAzusa Aragakiさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。