偏差値27.5からの大学合格 その26

前話: 偏差値27.5からの大学合格 その25
あとがき
  私が浪人したのは昭和58年4月から昭和59年3月の一年間です。
 受験戦争華やかりし時代で、現役時代は、大学合格者の「現浪比」は「現役」が多かったのですが、一浪時には、浪人組の方が多くなっていました。
  三大予備校と言えば代ゼミ、駿台、河合塾。まだ研数学館があり、東進ハイスクールはありませんでした。
 
 代ゼミの英語「青木、猪狩、潮田(あいう)
 田村の現代文、土屋の古典、多久の漢文、有坂の例の方法・・・予備校講師が有名人になった頃です。ラジオ講座、出る単・・・そんな時代です。
 大学の同級生の多くは、やはり教員志望。両親も教員で両親も卒業生という人も多かったです。
 
 そして、大学4年生の時、多くの同級生が都立高校や地元公立学校の採用試験を受験する中、私は母校の吹奏楽部の指揮者としてコンクールに出場していました。
 
 その後、大学の就職課で求人票を見て、学部卒で受験できた唯一の私立高校の採用試験を受験して奇跡の合格を果たし、4月から教壇に立ちます。
 
 私は、一浪した時、勉強・学問に目覚めました。
 当時の代ゼミは、東大全共闘、べ平連・・・そんな学生運動などの元闘士や、大学教授らが多く教壇に立っていました。
 私は早川先生のベーシック英語ゼミで英語がわかるようになりましたが、その授業の合間にポロッと出るベトナム戦争の時代の言葉をよく憶えています。
 漢文の多久先生は、清朝が滅亡し紫禁城から宦官達が出てくるのを実際に見た人です(伝説によると遣唐使でもあったとか・・・)。
 国語の石井先生は、万葉仮名から古典を説き、土屋先生は古典文法を分析的に整理しました。
 その講義には「学問の香り」がありました。
 そして新しい時代を担う若者、しかし人生の途中下車(挫折)を強いられている者への励ましがありました。
 私は高校の教員を経て、現在は教員を辞めて、学校の外で教育の仕事をしています。ただ、
 教える仕事、自己の学問の原点は、この予備校時代にあります。
 わからないこと、つまずいていることを乗り越える・・・それは学問の入り口としての受験勉強と、分析・整理・総合・法則の発見という技術(問題発見とその解決ですね)を知ることではないかと思っています。
 それを教えてくれた代ゼミの先生方に、こんな場所からですが感謝を申し上げます。
  本当にありがとうございました。
 そして最後まで読んでいただいた方にも感謝申し上げます。
 ありがとうございました。

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