発見や発明 2.5.2 頭、手足は使ってこそ

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  発明、発見、豊かな発想を自らの財産にして仕事にするには自らの立証、営業努力が必要であると申し上げました。仕事においては単に頭だけでなく、手足を使わなければいけないということです。発明、発見、豊かな発想を試作品として具現化するには当然、手を使っての物づくりが必要ですし、できた試作品は理解を得るためにも足を使って辛抱強く持ち運びながらPRする作業が必要です。

これらの頭、手足を含めた体を使っての仕事について私は以下のような考えを持っていますのでご紹介します。

1)仕事は与えられるものではなく、創造するもの

企業では入社間もない社員が上司から仕事を与えられ勉強も兼ねてその仕事をこなしてゆくというのが一般的、常識的な考えかもしれません。しかし、仕事を一方的に与えないで自分から仕事を探す習慣、訓練から始めるのも方法です。長い目で見ればその方が企業、上司、社員のためになると思います。創意工夫、発明発見の基礎的な力も養成できます。いかがでしょうか。

2)仕事は囲い込むものではなく、協力し合うもの

仕事をすべて一つの企業内で行う、あるいはすべての商品を一つの企業で販売するという囲い込みの考え方が高度成長時代、あるいは技術やサービスがあまり高度化、細分化していない時代には有効でした。しかし、現在ではすべてを揃える、すべてを扱うといった百貨店商法、百貨店的経営は非効率で品質的にもベストではありません。ギブ&テイクの形、アウトソーシングという形でお互いの良いところを出し合って協力する形が私は有効だと思っています。現在取り扱っている節電虫(益虫)という商品も開発は私、試作改良はA社、生産はS社、販売はT社というように分業化しました。なお、この協力し合う仕事の形が必ずしも非人間的な分業化=単純作業労働を意味しているわけではありません。

3)仕事は永遠継続ではなく、期限を決めて行うもの

私たちは仕事が順調に進み、量的にも不足がなければその仕事があたかも永遠に続くものと錯覚したり、永遠に続いて欲しいと願います。しかし良い緊張感をもって仕事をするには期限を設定するのが良いと思います。なぜなら、自ら設定した年月の後は新しい何かの仕事を開始しなければならない、そのための準備と勉強をしなければいけない訳で、この方式の方がずっと自らに厳しい生き方なのです。それ故に仕事への緊張感が生まれます。次の仕事の準備時間を無駄にできなくなるのです。

 異業種交流会や各種の協議委員会などでも期限を設けずに何年も延々と先細りになりながら、愚痴をこぼしながらも続けているものがよくあるます。これらは3年とか5年で区切り、更に継続希望であれば新しいメンバーを入れたり、入れ替えたりして、マンネリ化を自ら防止する手段を講じなければ非効率的なものとなります。

4)仕事は一つでなく、複数同時進行させるもの

同じ仕事を何十年も行って専門家になり、尊敬もされる形は大変立派な生き方だと思います。ここで私が言う仕事を一つでなく、複数同時進行させるという意味は次の通りです。一つの、あるいは少数の単純作業的なことをずっと長く続られるほど人間は辛抱強くありません。できるなら専門家になる場合でもいくつかの、できれば多少相互関係のない仕事の種類を組み合わせた方が楽しく、有意義な生き方、精神的にストレスのかかりにくい生き方ができるのではないか、ということです。もちろんあまりにもかけ離れた内容であるためにお互いの仕事の邪魔になったり、足を引っ張るようなことをするのは論外です。

 私は技術翻訳・通訳、海外微ビジネス企画支援、及び節電虫(益虫)という節電装置の開発と販売、そして建物テナント業などを行っています。それぞれの分野で利用しあえることがあり、仕事の分野が異なるために一つの仕事が他の仕事のリラックス作用を持つことが可能なのです。もちろん同様のことを体験されている方は中小企業には多いかと思います。高度に細分化、専門家されすぎた大企業のサラリーマンの方が仕事に大きなストレスを感じるのは、ある仕事で他の仕事のストレスを解消するという形が作りにくくなっているということなのかもしれません。

5)仕事はいつまでも・・・ではなく、捨てるもの

規模の大小を問わず、経営的に安定化を図るためには仕事の分野、種類は3つ以上であることが望ましいと思います。一つの分野が不調でも他の2つの分野で経営を継続できたりします。行っている分野すべてが不調となる確率は少ないでしょう。但し、多ければ多いほど良いというものでもないでしょう。企業の能力、個人の能力に応じた数があるとすれば、新しい分野を加えたときには一番利益にならない分野、一番適していない分野を切り捨てることです。選択と集中という概念とは異なりますが、世の中の変化に対応しようとすれば仕事の内容、分野も変化させなければいけません。新しい仕事を加えるだけでは仕事の効率が落ちます。個人、企業を問わず、仕事の種類と数の外科的手術はいつも必要です。この外科的手術ができない会社が肥大化しすぎたり、時代に遅れたり、間接経費の増大で利益が出なくなり舞台から去ってゆくハメになるのです。もっとも同じ会社だけがいつも同じ舞台でスポットライトを浴び続けるのも歓迎されないのは戦後の産業の浮き沈みを見れば歴然としています。企業選手も適当な交代が必要なのです。

6)開発は価格でなく、内容と社会性を優先

バブル時代には億ションや超高級車などが先を争って開発されました。これらは一般の生活者の視点に立った開発でなく、また社会全体の環境に配慮した開発ではなかったために、時代の無駄花に終わったのは当然の結末です。何かの物やサービスを開発するためには生活実感からかけ離れた視点で取り組んではけません。いくら馬力があり、スピードが出るからといって燃費が仮に5km/リットルの車が何台売れるでしょうか。便利だからといって待機消費電力が80%、90%にも達するコピー機やファックスが売れるのは待機電力消費量の実態の情報公開が進んでおらず、エネルギーは自分が生きている間は枯渇しないという身勝手な解釈などから生じている現象です。便利だからといって一家に家族人数分の自動車を所有しているのも身勝手です。食べ物が無く餓死している人々がいる、冷蔵庫に食べ物を蓄えることができない人々が75%も地球上にいるのに食べ物を粗末にしたり、残したりするのはすべて身勝手、基本的な情報欠如、教育欠如から生じています。アメリカがエネルギーを多用し、食べ物をほしいままにし、肥満で困っているのも、すべて同じことです。

 このように見てゆけば、社会性や内容を優先した開発を待っているテーマは無数にあります。せっかくこの世に生をうけた身であれば、何か一つでも社会の役に立つような開発、行動を残したいものです。

7)開発、生産、流通は平等対等な関係で

開発された物やサービスはできるだけ広く多くの方々の生活で利用していただきたいものです。環境改善や健康維持に利用していただきたいものです。そのためには現在の開発、生産、流通システムの不平等が改善されなければいけません。もちろん金融や政治などの問題点も多くあります。節電虫(益虫)という具体的な環境製品を開発した私は現在の流通業の不平等に大きな力、開発者や生産者を虫けらのように考える横柄さなどを是非改めて欲しいと願っています。もちろん大きな意味でのバランスは一定の時間がくれば生じてきます。大きなスーパーや百貨店のどの流通業の倒産、淘汰、没落は以前の自らの横暴さに起因しているのでしょう。開発者、生産者、流通業者は平等に対等な関係で協力し合って地球市民の生活に貢献しなければいけません。開発者、生産者を見下す流通業者に明るい展望はありません。

 不平等な関係はリストラにより巨大な利益をあげている大企業、下請け中小企業に犠牲を強いて平然としている企業、依然として高賃金のままを維持しようとしている金融企業に見られます。栄枯盛衰は世の習いです。没後に後ろ指をさされないようにしたいものです。

      https://1drv.ms/b/s!Ai_aaa4f_vZzgYQ0hIKr7zbaJuZgDQ

上記のサイトには写真と同じ内容で私自身の2019年までの仕事史を記述しています。

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