「英語は訳すな」の功罪 ー私の場合ー 第3回
前書きが長くなりましたが、そろそろ本題の功罪について書いてみたいと思います。
私の考える「英語は訳すな」の功罪
子どもの頃に言われた「英語は訳すな」を20年ほどやってみた結果。
功
これは、目標達成の一言に尽きるのではないかと。
2年前に立てた目標「自分の世界を広げる道具にする(要は英語で情報収集できるようになる)こと」、そしてアメリカでの生活を「楽しむこと」は、ほぼ達成出来てきたので、この点は評価に値するかと。
特に「勉強×2」と考えていたわけではないけれど、日常生活の中で意識して英語でのインプット(読み&聞き)を続けるというのは、意外と難しかった(正直、海外に住んでいても、英語を使わずに過ごそうと思えばできちゃう)ので、自分なりに理由を考えてみると。
(1)楽
一文字で書きましたが、これは勉強が楽というよりは、「楽しい」内容を勉強しているが故に、取りかかるときの気持ちが比較的「楽」であるという意味で。
例えば、移動時間のオーディオブック。いつも持ち歩いている携帯に、イヤフォンをさすだけで準備OK。辞書とか鉛筆とか出せない環境でも、続けられるっていうのは、わたしの中でかなり重要でした。
(2)時間短縮
外国語を訳すという作業はものすごくエネルギーを使うので、普段の会話や読書のスピードでそれをするのは難しいわけで。英語で読み聞きしたことを、日本語で「こういう意味やんな?」「言いたいのはこれやから…」って考えてると、あっという間に時間は進んでいく(自分も相手も疲れてくる)ので、その時間を省略できるのは大きいかと。
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とどのつまり、続けやすかったのです。と、さらっと書いたけれど、これ大事!
何事も継続は力なり。頭でわかっちゃいても、できないのが人間の悲しい性。
ひたすら「問題集を解く」とか「(興味のない)英文記事を読む」とか「聞き取った英語を書き出す」は、やる気のあるときしか続かなかったので、日常生活の一部にしちゃうしかなかったのです。それには、気持ち(モチベーション)と時間が鍵でした。
英語に限らず、何事もやりたい!っていう最初のスタートダッシュよりも、いかに長く続けられるかにかかっている、と思う今日この頃。
罪
(1)文字通り、訳せない(笑)
訳す練習をしてないんだから、当たり前っちゃ当たり前だけど、人様に「これどういう意味?」と聞かれても、さっと日本語が出てこなくて(ものすごく遠回しな説明をすることになって)申し訳ない。
この点、辞書を引くのが好きな主人は、こういう場面でも熟語でぱっと答えられたりするんです。
これはわたしの個人的な印象ですけど、単語を覚えるっていう作業は、頭の中にある概念のフォルダに、単語を書いたファイルを入れていくようなもので。多分、英語と日本語を対で覚えるというのは、1つのファイルを作ってることになるんだと思うけど、私の場合、別々にファイルができてるので、その結びつきが弱いとぼんやりとしか訳せないっていうことなんじゃないかなぁと。
悔しいから、わたしもたまに英和辞書をひいてみたりするんですが、今暗記しようと思ったら、昔の何倍ものエネルギーがかかることにビックリ。
きっとこれは、今まで和訳を避けてきたというか、暗記を軽視し過ぎてきたツケなんだろうな…
(2)思い込み
これは、どの学習法にも言えることだと思うけれど、子どもの頃から「これが正しい」(→「他にない」)と思い込んでたことで、視野を狭めてしまっていたんじゃないかなと。
大学生になって、和訳&英訳をすごく早くできるように練習する方法で通訳者さんになった方のお話を読んで、「いろんな方法があるんだな」「でもそれでいいんだなぁ」と、妙に納得したのを覚えてます。
月並みですが、学習法については、人によって合う方法、合わない方法があるし、目的によって学習方法も違ってくると思うので、目的を見失わずに、自分に合った方法を探すのが一番だということを学びました。
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あ、辞書についても書くつもりだったのに、忘れてた…ということで、あと1回くらい続きます。よかったら、どうぞ。
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