なんとも甘酸っぱい思ひ出

次話: コロナが生んだ「ギフト」

これは僕が音楽に魅せられて生まれた曲たちのストーリー

それぞれの曲に宿った、それぞれの想い

時代によって様々な偏りはあり、

成長に伴う表現も変化していくものの

そこには不思議なことに

一貫しているメッセージがあった

この曲たちは今まで日の目をみることは無かったが

今回のコロナ事情によって

もう一度、この世に生まれてきた意味を

本来とは違った形で

後世に残せるのかも知れない。


未来を担う子供たちへ。


何かしらの道しるべや


何かしらのヒントになれば。



その音楽には、それぞれのメッセージがあった。

プロローグ


小学生時代は「ザ・ベストテン」の流行や、有線放送の普及によって、実家の飲食店でも音楽の影響を多大に受けていたと思う。中学になって姉の影響により、洋楽やロックミュージックに感化され、ギターを手にし、バンド活動を始める。少なからず、人気バンド活動の経験をし、高校を中退して上京、アルバイトから正社員を経て、音楽活動と並行して独立、事業展開の楽しさを知り、経営者として、オーナーとして、40年に及ぼうとしている音楽人生を、これまで生まれてきた数々の作品の解説とともに振り返りながら、これから先の音楽の本当の価値とは何かを探求しつつ、未知なる新しい価値を切り開いていく、次世代へのバトン。



1

僕が生まれた日

1968105日、ビートルズが祖国でデビューしてちょうど、6(ROCK)年後の今日だった。

ヘイジュードがビルボードで1位を爆走し始めた頃、岡山の田舎に生まれた僕は三人兄弟の真ん中、長男だった。親父はトヨタ自動車のセールスマンで、高度成長期の後半は「いざなぎ景気」、2年後の1970年、大阪万博に訪れていた写真が残っている。ビートルズが事実上解散した頃だ。母親は大衆食堂をメインに雑貨や食品類を販売するお店、今で言うと、小さなレストランにコンビニを併設したような「きたや」というお店を運営しており、親父もトヨタの仕事と合わせて店を手伝っていて割合、裕福な家庭だったんだろうと思う。


岡山駅から津山線で

旭川の流れる山間を抜けた

ほどよく小さな町「金川」

以前は国道53号線が町の中心を走っていたが、

今は新しい幹線道路に少しだけ国道が移動し、

小さな町の中心地は、

少子高齢化時代と共に少し静かになっていた。

数年前、この町に一人で帰省し、

20年以上前に上京してから初めて、

同窓会というものを同級生達が企画してくれた。

参加してくれた中にはもちろん、

あの頃の仲間と、

あの頃の笑顔で、

初恋の女の子もそこにいたんだ。


〜回想〜

田舎の両親は働き者で忙しく、

2歳から入った保育園時代、

初めて好きになった女の子がいた。

おかっぱみたいな髪で(と思う。)

元気が良くて明るいところが気に入ったんだろうね。

いわゆる初恋だった。(早いかな?)

彼女とは小、中、一緒の学校だったんだけど、

小学校の低学年の頃は

彼女の家に遊びに行って

一緒にトランポリンで遊んだり、

逆に僕の誕生日にお祝いにきてくれたんだけど、

やんちゃな男の子仲間が多かったので、

小学生の女の子では危ないような、

急な崖のある山に登らせてしまったり。

僕自身は山など登らせたくなかったのだが、

周囲の男の子友達らの強引な空気に流されてしまって
うまく自己主張できず、申し訳なく思ったのを憶えている。

小学校の教室では、

お互いに誰が好きなのか、探り合ったり。

隣の席で笑っていた君を尻目に

他の女の子に気を取られていたり。

確かに、

あの頃の僕は気が多かったかもしれないね。


中学へ上がったら

お互いに思春期に突入するわけで、

女の子の胸も膨らんでくるし、

変に女性として意識するようになって

それまでの無邪気だった関係も崩れてしまい、

何か、笑いの中にも思惑が見え隠れするような

なんとも言えない甘酸っぱい空気感、

多分、それ青春ってやつで

とにかく悶々とした日々を送ったんだ。

中学を卒業してからは、

それぞれ別々の高校へ進学してしていく。

それぞれ、お互いの青春を楽しんで、

それぞれ、別の道を歩き始めたんだ。

そして僕は、高校を中退して、

ギターだけ抱えて上京した。

上京したら、

やはり先輩しか頼りがおらず

調布のワンルームに居候

今思えばえらく迷惑をかけながらも

肩身の狭い精神状態のまま

アルバイトを探し始めた。

掃除屋のアルバイトは意外にも楽しく過ごせて

小さなアパートで一人暮らしも始まったが、

バイトに少し慣れて調子に乗ってくると、

なんのために上京したのか自問し始めたんだ。

雇用主の子供達はなついてくれていたし、

家族ぐるみで仲良くしてくれていたので、

とても心苦しかったが、

突然、疾走するという反則技を使ってしまった。

今では許されない、いや、当時だって許されないが、

そんな常識外れの馬鹿な真似の出来る恩知らずのガキだった。

本当に良くしてくれたのに申し訳なかったと思う。

最後の給料は受け取っていないが自業自得だろう。

目黒のライブハウスでスタッフとして入社。

東京での彼女も出来て、

調布のアパートを引き払い、

大学生だった彼女の家に転がり込む。

鳴かず飛ばずのバンド活動と

ライブハウスのスタッフが数年間

そのライブハウスをクビになり、

いや、正確にはすぐ

「やはり働かせて下さい」

と、頭を下げて帰ってきて欲しかった、

と後で聞いたのたが、

そこでも恩知らず根性を発揮。

クラブなんかを転々として

警備員なんかもやりながら

今の業界のライブハウスに辿り着く。

昼も夜もフルタイムで働きながら

一人暮らしに戻ったり、

新しい彼女が出来たり別れたり、

色々と紆余曲折な人生を歩んでた。

今の小岩のライブハウスに入って

社員として少しくらい余裕が出来て

少しづつ、自宅録音の機材も揃えていった。

ちょうど、その頃、

都会の喧騒に紛れて
過去を振り向くこともなかった数年。

疲れを癒せる瞬間なんてなかったけど、

新しい二子玉の広いアパートに引っ越して

やっと腰を据えて曲の歌詞を書けたんだ

久しぶりに、

やっと昔を振り返って

僕には田舎にも仲間が居たんだっけな、

なんて

ノスタルジックな気分になって

あの頃の淡い初恋の君や

あの頃の仲間の笑顔を

想い出しながら書いたんだ。


タイトルは...

「都会の真ん中で」

この曲の解説とサンプルがnoteで聴けます。




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コロナが生んだ「ギフト」

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