一回り年上のツレのピアニストの話。

忘れられない人がいる。


出会いは10年前に遡る。
まだ地元から大阪へと芸人になるために移り住む前の
新入社員1年目。わずか半年間のサラリーマン時代に出会った。

仕事に慣れない1ヶ月目。とある噂で知った
多国籍料理の有名なレストランバーへと夜な夜な一人で行った。
カウンターでへべれけになりながら陽気に笑う
変なおじさんに話しかけられた。
笑うと歯茎が僕の3倍くらい広かった。
好きなお笑い芸人に顔が似ていたからか、
はたまたおしゃれな空間にいて いい気分だったからか。
僕は一瞬でその変なおじさんを好きになった。

彼のあだ名は ディグさん。
「おじさんはねぇ....」が口癖の彼は
実はピアニストだった。もともとプロのピアニストで
それだけで生計も立てていたそうだ。
だけど数年前、急に自分の弾きたい音が出なくなり
気持ちとして楽しく弾くことができなくなってしまったそうだ。
今はピアノをやめて サラリーマンになったそうだ。
けれど、しばらく弾かなくなって久しぶりに弾くと
自分の思い通りな音が出るようになったそうだ。
「ピアノは趣味として気楽に弾く方が 俺の性には合ってたってことなんだよねぇー....」
語尾に東海地方の独特の方言が混じり、なんだか心地よかった。
そのお店にはピアノがあり 時々今もイベントの時は弾くのだそうな。

それからちょくちょく ディグさんとお店で会い、よく一緒に遊んだ。
年はひとまわり離れていたが そんな気遣いを感じさせることなく
楽しかった。

ある日僕は 芸人になるために 働いている会社へ
辞職願いを出した。
働き始めて1ヶ月目のことである。
先か後か忘れてしまったが
そのことを 両親に伝えねばならなかった。
芸人として生きていくことを決めたので
会社をやめるということを。

それを伝えるため、初任給で得たお金で
そのお店に両親を連れていった。
兄弟と一緒でなく、成人してから
両親とともに家族で外食をするという行為は
初めてのことだった。
ムードを大切にしたいと思い、僕は彼に
ピアノの演奏をお願いした。しっとりとしたバラードを。
「ビール一杯でいいよー」
笑ってディグさんは引き受けてくれた。

当日になった。
しっとりとしたバラードが流れる。
両親に仕事先へと辞職願を出したこと、
芸事で生きていくために 大阪へでることを告げた。

両親は突っ伏し、まず父が激怒した。
「したくない仕事なんかで得た金で、俺たちに飯を食わすな!」
はっきりとこのようなことを言われたことを覚えている。
空気がサーっと重くなったのを覚えている。
母は 唇を少しだけ震わせながら ゆっくりと口を開いた。
「人生はあなたのものだからあなたの勝手だけど....それでいいの?」
.....話はひと段落して なんとか分かってもらえたかのような空気となった。

「だ、大丈夫だったけ.....?」
心配した様子で 声をかけてくれた
演奏後のディグさんの顔が忘れられない。

半年後、僕は大阪へ移り住み 
しばらくディグさんとは会えなくなった。
それから数年後、仕事が軌道に乗り始め、
地元で仕事があった時は 高確率でディグさんに連絡した。
忙しい中でも 会ってくれて ご飯へ行ったりした。
「元気でなによりだわ。あ、聞いて聞いて。実はおれな、結婚するだぁ。」
とても嬉しそうにした報告を覚えている。
「子ども産んでみ!マジで感動するにぃ。ほんと。」
いや、俺は産めないって。男だから。
お子さんが産まれた報告もしてくれた。素直に嬉しかった。

お子さんとともに銭湯へ行ったりもした。
3人でご飯へいこうとしたら車内で寝てしまった。
仕方なく交互に一人ずつ、食事を店内で済ませる方向にした。
車内で二人で待機していると、気がついたら起きて、
パパがいないと理解したら大泣きし始めた。
僕はおろおろとするだけだった。世の父親のすごさを感じた。
嬉しい一言を電話で奥さんに言ってくれてたことがあった。
「ああ、今日はツレとごはんいくから 遅くなるから。」
自分のことを ツレ と言ってくれるのが嬉しかった。

初めてのオリジナルCDができたという報告をもらった。
早速購入した。レギュラーの出演場所ができたという連絡がきた。
時折くるくだらない報告も なんだか愛があった。
「父親ってのは大変だけど 楽しいに。ええらぁ。」
ちなみに「らぁ」とか「だらぁ」と語尾につける方言だ。
「でしょ」「だね」とかって意味だ。
僕の地元の生まれではないのに、僕の地元の方言がしみついた喋り方が
好きだった。

突然1年前。訃報が届いた。
持病だった。しばらく信じられなかった。
予定を全てキャンセルさせ、会いに行った。式では泣きはらした。
いつものカウンターへ憔悴しきった状態で向かった。
誰も座っていない いつもの席に ビールで乾杯をした。
なんだか ディグさんが そこにいるように感じた。

音楽は残っている。それを忘れない限り
ずっと生きているって思っている。
「おじさんはねぇ...。」
そう最初に話しかけてくれた日から もう10年が経った。
あの日の頃のディグさんの年齢に 僕もなってしまった。
僕もいつか あの日の僕と同じくらいの年齢の若い子に
「おじさんはねぇ...」なんて言う日がくるのだろうか。
そう言っている自分を なんだか望んでいたりする。

だってそうでしょう。
あなたと出会ってきたこれまでは 忘れるわけはできないのだから。
優しい音色は今日も 僕の家のスピーカーから流れる。
心地いい。

「ええらぁ。」って 
どこかで聞こえたような気がした。

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