節電虫の誕生 4.2 成長期待と挫折 4.2.4.1 インターネット ホームページ開設

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明けて1996年です。

節電虫(益虫)のPRと環境意識についての私自身の考えを知ってもらうための方策を模索していた私に地元尾道の給食会社の石井社長から電話が入りました。

石井社長とは以前に地元の尾道商工会議所でパソコンの学習とその利用を目的としたグループで同席していた間柄でした。

彼は広島県東部地域の人口僅か10万足らずの小さな市、尾道市、にインターネットプロバイダー事業を他市に先駆けて開始した人です。広島県東部地域に初めてインターネットというインフラを構築した人です。

電話の内容は、インターネットの様子を見に来ないかという誘いでした。

尾道だけでなく広島県東部地域に初めてインターネットという情報高速道路インフラを作った人からの電話であり、また土曜日の午前中でもあったので、私はすぐにその誘いに応じ、講習会や講演以外では初めて身近にインターネットに触れました。

そして、私が節電虫(益虫)という一つの商材を持っていることを石井社長と彼の部下であるエンジニアに改めて話しました。即座に彼らは節電虫(益虫)が将来性のある商品であり、インターネット上での販売にも適している商品だろう、とコメントしたのでした。

これだ!、と思った私はインターネットへの加入とホームページ作成を即座に決断し、この年1996年2月にはインターネット利用者人口の一人となっていました。その後10年が経過しまたが、仮にドッグイアで計算すると通常の時間感覚では90、100年前という感じです。

当時のホームぺージ作成はHTML言語が素人では扱いが困難であったために、ホームページ作成料は大変高価でその値段は今でも忘れることができません。ネットでのビジネス成功が話題を振りまいていましたし、少なくとも尾道市という田舎ではインターネットの初期時代、幕開けの頃でした。

1996年2月のこの時期、節電虫(益虫)開発開始から一年八ヶ月を経過していました。インターネットによるPRや販売の計画以外に大阪で開催されました中小企業庁主催の中小企業ビジネスメッセにも出展して、PRに努めました。前述しましたように節電虫(益虫)の開発が1995年度(平成7年度)の広島県研究助成対象事業に認定されていましたので、無料出展できる特典をいただいたのでした。

このような展示会に出展することは生まれて初めての経験で、最初は来場の方々にどのように接してよいのかさえもわからない状態でしたが、1996年2月27、28日の展示2日間はとにかく用意したパンフレットを手渡し、持参したパソコン画面に開設したばかりのインターネットサイトを写して、できるかぎりのPRに努めました。

この展示会には妻の東洋紡勤務時代からの友人で、現在も京都に住んでいる桃井澄江さんも京都から駆けつけてくれて、PRの実務ばかりでなく精神的にも大いに助けてもらいました。

このビジネスメッセまでは、節電虫(益虫)はその名称をスイッチ・オン・ディマンドの頭アルファベットを取りSODとして展示し、PRしていました。しかし、初めてご覧になる来場者の方々の中から、“SODって何ですか?”という質問を何件かいただきました。そこで、装置の機能を即座にご理解いただくにはSODだけでは不十分と判断し、このビジネスメッセでの展示、PR終了後、その名称を節電虫(益虫)に改称したのでした。

インターネットに加入して高額なホームページを作ったにもかかわらず、一ヶ月、二ヶ月と時間が経過してもネットでの販売実績はあがりません。期待に大きく反していました。

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