地獄からの生還

はじめに

先ずは現在コロナで世間ではいろいろ制約があり、また休業や失業で生活が困窮しておられる方々がたくさんいるとは思う。そんな中で経済も下落し自殺や犯罪に走る者、離婚も多くなってきている。
私の経験を読んで頂き少しでもそういった方々の気持ちにブレーキのかけるきっかけになれば有り難く思います。

(1)生誕〜幼少期
父親は空手道場主、母親は専業主婦という家庭に心臓に疾患のある赤ちゃんが産声をあげた。それが私です。
私の生まれる4年前にも母親は一人の女の赤ちゃんを出産したが、生まれて間のなく助産師さんが「この子、もうアカン」と言う声を聞いた次の瞬間に麻酔で眠らされたそうだ。死因は頭蓋骨陥没と三口だったらしい。
その経緯もあり、私は待ち望んだ待望の赤ちゃんだったのだろう。
ところが大阪府の某病院で産声をあげた私には心臓に疾患があった。生後すぐに大学病院に転院して精密検査を受けて「心室中核欠損」であることが判明する。
ご存知の方もいるとは思うが、今の医学なら難易度は高くない手術になるが、なんせ40年以上も前のこと。難易度は高くても仕方ない。
父親は「すぐに手術が必要です。手術すれば助かる可能性がある。しなければ保って10日くらいです。」と心臓専門医から告げられたそうだ。
父親は「手術の成功率はどれくらい?」と尋ねたところ医師からは「半々です」との回答だったらしい。
相当悩んでたと思うが、父親は手術を拒否した。後に母親から聞いたのだが「父親は100%でないといけない。成功率が50%だったから拒否した」らしいが今となっては父親も他界してるため真相は闇の中に葬られている。
そんな私だから医師からは心臓に負担がかかるため「泣かしてはいけない」とか「運動させてはいけない」とか赤ちゃんの頃からいろいろ制約がつけられていた。
もちろんなんだけど、成長も遅い。運動させてはいけないのだからハイハイも遅くなるし、立つことや歩き出すのも普通の子に比べて遅かった。
幼稚園児になると、みんな友達と走り回ったりして泥んこになって遊び、その遊びの中から社会性や、人を思いやること、ルール等、いろいろ学んでいく。
私もそうだったが、小さい頃から運動していないため体力も追いつかない。父親が空手道場主だったため4歳から空手を父親について自然にしてたが、それだけじゃ他の子との差は縮まらなかった。
それが原因かどうかはわからないが幼稚園の頃から男女問わず苛めに合うようになっていた。男子からは物を取られたり、暴力を振るわれたりしてたなぁ。。女子からも言葉での苛めがあった。
家に帰ると父親に「やり返せ。勝つまで帰ってくるな」と叱責された。勝てるわけないのに。当時の私は身体も弱く体格も小さく体力も平均の半分くらいだったからね。
母親は父親の言いなりで何一つ口答えしない家庭内。少しでも気に入らなかったり、口答えしようものならビールジョッキでテーブルは叩く、料理が盛り付けられた皿は投げるといったふうに、まるで漫画に出てきそうな亭主関白。若い方は知らないかなぁ?私と同年代か少し上の方ならわかると思うが、「巨人の星」の父親そのものだったからね。
夕食時には、割れた電気と暗い部屋の中、床に散らばった料理と父親の怒声、母親のすすり泣く声を聞きながら、食事をしないと叱責される。泣くと叱責される。そういう恐怖で体が震えていた記憶しかない。
そんな時、よく助けてくれたのが近所に住んでいた父親の姉。私からすれば伯母さんの存在だった。毎日のように伯母さん家に行っては助けてもらってたなぁ。
当時は家族団欒で笑いながら夕食なんて家庭に子供ながらに憧れたものだ。

(2)小学生〜中学生時代
そんな私も小学生になり、新たなスタートを切れるかと思ったのだが、小学生になると苛めもエスカレートしていった。家庭も相変わらずで暗闇の中で夕食なんてことは毎日。父親が仕事を終えるのが毎日夜10時くらい。それから夕食。先に夕食なんてしようものなら、大暴れするから先に夕食もできなく、風呂も父親が一番じゃないとダメ。当然まだ小学生の子供だから寝てしまう。そうなると叩き起こされ夜中まで叱責される。地獄だった。父親に殴られて記憶を無くしたこともあるし、未だにその部分は思い出せない。今なら即虐待で保護施設や警察が動くんだろうけどね。
中学生になって父親が念願の自己所有の道場を持ち、家庭内は少し落ち着きを取り戻したが、学校での苛めは更にエスカレートしていったなぁ。
そんな中、私にとっての心の拠り所である伯母さんが癌で他界。私が中学2年の冬の寒い夜のことだった。
衝撃だったよ。
私の中で何かがその時、弾けたのがわかった。
その後、私を苛めてた相手に初めて反撃して不良デビューすることになり、3年の頃には他校生にも知られることになっていった。

(3)高校生〜社会人へ
当然だが、中学後半からは夜な夜な遊びまくってたわけだから、成績は最悪なもの。
そんな私でも、なんとか高校には入学することができたが、当時は入学できた学校は京都にある1年から2年に進級の時に人数が1/3は減るような京都で一二を争う不良の巣窟だった。卒業後は反社になる人も少なからずいたようだ。あくまで当時の話なんで、今は名前も変わり当時の面影はない高校になっている。
まぁ私がいた頃は入学式にケンカして退学になる者がいたり、校内では近県からの札付きの不良が来るわけだから、ケンカは毎日のようにあるような学校。廊下を木刀担いで歩いてる生徒もいたよ。
高校ではもう苛められることはなくなってたけどね。どちらかと言えば、私も似たようなものだったからね。
高校2年の時に仲良くしてた友達とよくタバコ吸ったりシンナー遊びやバイクで夜な夜な走り回っては人様に迷惑かけてた。
そして高校2年の3月に他校生と最寄り駅でケンカするまではよかったが(良くはないけど)その後に金を要求して、それが原因で退学になってしまう。
退学後もその友達とは付き合いは続くんだけどね。

(4)社会人になってからも
まぁ17歳で社会に出たわけなんだけど、それからもチンピラみたいな生活はしてたなぁ。元々車好きってこともあったし、当時「一番星」が大好きってこともあって19歳の時に運送屋に就職したけど、血の気が多い性格が災いして上司とケンカ。23歳で退職。その頃は薬とケンカにと本当にクズみたいな生活してる中で反社の人と知り合いになり、また警察のお世話にも何回もなりました。
そんな時に一人の女性と知り合い深い関係になる。その女性は後に他界することになるが、最後に今後の私にとっての力となる言葉をくれた。「◯◯なら必ずできる。頑張れば道は開く。」
初めて他人に認めてもらえた瞬間だった。
だが、人とは簡単には変われないものだと痛感することになる。

(5)結婚そして
他界した彼女の言葉を糧に生活してたが、付き合ってた彼女が妊娠したのだ。もちろん私の子であると思い入籍。彼女は妻となり、当然子供にも妻にも愛情があったからね。
だが、妻は違ってた。
当然ながら私は家族を持つことになり、トラックの長距離ドライバーになり、文字通り死に物狂いで寝る間も惜しんで働いたことは言うまでもない。全ては家族を守るために。正直自分でもビックリするくらいだった。「俺って本当に必死になったらここまでできるのか。」ってね。
そんな私をヨソに妻は実家から親の金は取る、私の金は取る、挙げ句の果てには援助交際までして、他の男と私がいない時にはよく会って深い関係になっていた。それは憶測ではなく近所の人の目撃情報もあり確実なことだった。
子供のこともあるので、我慢はしていたが、夫婦間は冷めきっていった。
そして妻にこう切り出した。
「子供のこともあるから言わなかったがずっと前から知ってる。他に男いること。」と。
すると妻は「生活費足りないから借りるためにしてるだけ。全ては生活のため」と。
当時、月60万前後は持って帰ってたし小遣いとしてその中から5万を私が取っていた。つまり55万前後は生活費として妻に渡していた。子供2人、まだ幼稚園前だった。それでその金額で足りない??
私はその妻の言葉に愕然とした。
足りないから借りるために身体を売る感覚についていけなかった。
その後、妻とは離婚することを決意。
慰謝料を求めてきたが当然ながら却下して、今まで取った金を全額返済することを約束させて離婚届を提出した。

(6)人生の師の他界
人間、悪いことは続くものだ。
働かなくては生活できないので、いつまでも離婚の疲れを引きずってるわけにもいかない。そんな折、仕事中に突如、私の携帯が鳴り響いた。実家からだった。「珍しいこともあるなぁ」と思い電話に出た。
すると離婚に精神的にも体力的にも疲れ果ててる時に父親が自殺したのだ。空手家にとって、男にとって最も神聖な場所である父親の道場、職場で首の頚動脈をサバイバルナイフで切って。
自殺現場は大量の血で染まり、壮絶な状況になっていた。
最初は自殺か他殺か不明なため、警察が規制線を張り、テレビの刑事ドラマのような物々しい感じだったらしい。私が実家に帰り着いた時には処理は済んでいてパトカーが一台、駐車場に止まっていただけだった。そして警察官に詳細を聞き、自殺現場に立ち入った時、目の前に血の海が広がっていた。私もあれだけの血を見るのは初めてだったが、取り乱すことも嗚咽することもなく、ヤケに冷静に「あぁ、これだけ出血してたらアカンなぁ」と一言呟いた。
その後、空手道場をどうするか?門弟の方々はどうするか?で数ヶ月に渡り私を含めて話し合いが行われた。並行して遺産問題もあり、仕事しながらできない状況だったため退職。
結論、空手道場は実子である私が継ぐ。但し、私に実力が付くまでは休館扱いにし、道場名は残して友好団体のKの預かりとすることで満場一致したが、後にこの満場一致がまたひっくり返ることになる。
遺産問題は調査した結果、億を超える負債が判明したため相続放棄。実家は親子ローンで団信は私の名前だったため、ローンの残高数千万が私にかかり、支払い能力がないため破産手続きをした。

(7)満場一致したはずが
前書に述べたように私が二代目となり道場名は残して友好団体預かりとしたはずだった。もちろん私に実力が付くまでの預かりであり、再開には門弟一同全力で協力すると言ってくれていた。
だが実際には違っていた。
それは友好団体のKに預かりになってすぐのことだった。父親の葬儀の時、涙ながらに「私は師範の門弟でよかった。師範の門弟だったから有段者になれたし、師範には空手だけではなく人生そのものを教えていただいた」とおっしゃっていた門弟の方は預かりになった途端に手のひらを返したように「ここのK道場だからここまで強くなった」と私に言ってきたのである。私は耳を疑った。
K道場の預かりになってから2年後にはパイプ役になってくれた門弟の人から「お前は2代目でも指導員でもない。お前の父親の道場はなくなったんや」と言われ、4年後にK道場の師範から「お前も昇段試験受けろ。このことは口外するなよ」と言われたもののパイプ役には「何か動きあったら報告して」と言われたのでパイプ役の人にだけ「師範から口外するなって言われてるんで絶対に誰にも言うたこと黙っててください」と前置きして昇段試験のことを伝えると数日後にK道場の師範から「お前は信用できない。なんで口外した!」と叱責され、結局K道場の門弟で私のことを良く思ってない人からの師範への告げ口(私の悪口)もあり、師範の私への印象は最悪なものとなった。もちろんのこと昇段試験は流れた。
実際には昇段試験に合格するだけの実力は周りからもあることは認められているが、師範が許可しないと受けれないし、他道場にも理由が理由なだけに行けない状況にあるだけに悩みの種になっている。

(8)再び
そんな現状からのストレスもあり、発散のため夜の街へ繰り出す。
居酒屋、キャバクラとはしご酒をして、酔ってきて気持ちよくなってる時に限って悪魔が囁く。
酒の席でのよくあるトラブルだ。触れた触れないで他の客グループと口論に。。相手の客が殴りかかってきた瞬間、そいつからすれば相手が悪かった。そいつの相手は空手道場の二代目の有段者。だが酒の力もあってやりすぎてしまった。結果、私が全面的に悪くなり逮捕される。
出所してからも家もなく、大阪の無法地帯にしばらく身を置き、車中泊。また地獄行きのキップを手にした。その後寮付きの職場に就職。日雇い労働をしながら金を貯め、ボロマンションに移住した。

(9)女神との出会い
そんな末端の生活しながら金を貯めてる時、知人の紹介でインバウンドのバス会社に就職が決まった。最初の頃は苦労してバカにされまくってたなぁ。朝、誰よりも早くバスに行って行程やバスの確認してから客迎えて観光地へ。ホテルに客送ってからまた復習や反省会して、寝る間もなかった。慣れてきた頃に女神は突然私の前に現れた。外見は素朴な感じの普通の女の子。内面は思いやりがあり、芯がしっかりしてるけど、少し世間知らずの天然さん。今時珍しいくらい普通の女の子。第一印象はそんな感じだった。
私の全てを見透かされたような気がしたなぁ。
この子のためなら頑張れる。そう感じた。
その子と深い関係になるのに時間はかからなかった。家庭に問題があるその子と1kのボロマンションで一緒に住み始め、お互いのことを全てさらけ出し、ケンカもした。何回か破局の危機もあった。
ボロマンションから新築1LDKのマンションに移住したが、キッチンの不具合(水漏れ、カビ)が発生。そんな折に会社が給与未払いになり、新型コロナ騒動で休業に追い込まれた。
収入はなくなり、貯金を崩して生活してる折、また前回と同じくキッチンに不具合が発生。
彼女ブチギレで今の3SLDKに移住してからは困窮はしているが平穏な生活を送っている。

(10)幸せとは
これまでに私が経験したことから幸せとは何か?
冒頭に述べたように、自殺して幸せになれるか?
犯罪犯して幸せになれるか?
離婚して幸せになれるか?
なれないと私は思う。
私のように心臓に疾患があり生きたくても生きられない人もいる。現に私自身も日本人の平均寿命までは生きられない。医師から言われてるのは50〜60歳。それ以上は心臓が保たないと言われてる。
自殺する勇気が根性があれば、耐えれると思う。私も過去、自殺は考えたが実行する勇気がなかった。そんな根性がない私でも耐えれるなら、耐えれないわけがない。
犯罪犯すのは私も過去したが、自分への言い訳であり逃げだと私は思う。今いろいろと政府が特例法で救済策を出しているし、犯罪犯したら、自分だけじゃない。家族も巻き込むことになる。
離婚はいろいろあると思うが、コロナ離婚は辞めたほうがいい。旦那が家にいるからとか収入が減ったからとかなら離婚はしないほうがいい。
好きで家にいるんでも収入が減ったわけでもない。そういう時こそ助け合って乗り越えていくことが必要なんではないかと私は思う。
逃げていては幸せにはなれない。
立ち向かう勇気を持ってコロナと対峙して、乗り越えて打ち勝った時にこそ幸せが訪れると思う。
私のような人間でも耐えて頑張れるんだから、今少しでも心の隅にでもそういった逃げ場を求めてる気持ちがある方の励みになれば幸いに思います。











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