9歳で小児ワイセツの被害者になった私が結婚3回を通して婚活メンターになったワケ

2 / 2 ページ

しかしそれらは否認しているというだけで、根本的な解決にはならないのです。


◼️2回目の結婚

パニック障害になってからは自分自身の生き方が「何か間違っているんだ」と思うようになり、常に無意識に自分を責めている状態でした。

1回目の結婚相手は非常に良い人で、何も彼は悪くない、私と結婚さえしなければよかったのに・・・そう思うような日々が続きました。

この頃の私は両親の反対を押し切って離婚したので、ほぼ勘当されたような状態で一人暮らしをしていました。

それ故パニック障害を隠しながら、都内のデパートで外資メーカーの美容部員をして生計を立てており、毎日が本当に辛かったです。

でも正直なところ、ほぼ感情は死んでいたので辛さはぼんやりとしか記憶に残っていません。

しかし今よりも体重が6キロも少なかった事や、仕事中滝のような汗をかいて周りに驚かれたりして体調がおかしいことから、なんとかく自分でも「おかしいんだな」とは思っていました。

とにかくその頃は自力で自分を正そうと自己啓発の本を読んだりマナースクールに通ったり、常に何かしら探していました。

そんな時にビジョン心理学に出会い、本格的に心理学を学び始めるのです。

 

そんな折に合コンで知り合った男性(B)と結婚しました。

2回目の結婚は31歳の時、1つ年下のエンジニアの方でした。

身長186センチの誠実な彼は年の1/3くらいは海外に出張に行ったり、会議も海外とリモートで行うので、深夜から始まったりと超多忙な人でした。

彼と結婚してからは好きでやっていたけれど、苦しい美容部員の仕事を辞め、専業主婦にもなりました。

毎日が穏やかな暮らしでした。

Bさんと暮らして2〜3年経ったくらいでしょうか、ふと自分で気がついて非常に驚いたのですが、自分の心の中が穏やかで静かになっていたのです。

物心ついた時から私の心は不安と恐怖でいっぱいで、常に嵐のように荒れ狂っていました。

この時まで自分の心が常に嵐のような状態だったという自覚もありませんでした。

それは常にその状態が普通だったからです。

時折嵐が止むときがあって、それは何かに夢中になっている時で、それが私にとっては恋愛でした。

恋愛に夢中になっているときは自分の中で嵐が轟々鳴り響いていても、何も気がつけずにいました。それが安心できました。

でもそんなことも一瞬でした。

 

そして毎日平和に暮らしているはずの私は相変わらず複数の男性と付き合ってしまうパターンから抜け出せずにいました。

このときはわかっていませんでしたが、むしろ私は一人の男性と対等に向き合ってお付き合いする、という男女関係における良いパターンを持っていなかったのです。

その頃は相手の男性も既婚者で、彼らの奥さんが特殊な病気を持っていたり、拒食症であったりと何かしら問題がありました。

中には好きでもないのに、その女性を放っておくことができず、結婚する前から病気だとわかって、可哀想だと思って結婚している男性もいました。

そういう彼らは罪悪感から「人を助けたい」と思い、それが結婚という形に結びついたのでしょうけれど、とにかく「自分はしあわせになれない」「自分はしあわせじゃない」という怒りでパンパンで、そういう人とSEXすると私はその怒りを真っ向から受けてしまうのか、翌日は気分の悪さで吐き気がしたり、半日くらい寝込んだりと大変でした。

私は私で罪悪感で常に自分を責めているし、彼らは彼らで自己価値が低く、罪悪感でいっぱいだったので、似た者同士が引き合っているのだな、と今はわかります。

こういう状況から抜け出したい、でも抜け方がわからない・・・そんな日々が続くのですが、私にとって最悪な形で転機が訪れました。

私は32歳から不妊治療を始めました。

そのとき本気で子供が欲しかったのか、というと違うのですが、健在意識的には「年齢も年齢だから」とか「女なんだし子供一人くらい産んでおかなきゃ」というような義務感から始めました。

しかし思った以上に金銭と身体に対する負担が大きく、毎月毎月生理が来るたびに酷く落ち込む、というサイクルにハマりました。

道ゆく子供を連れた母親の顔を見ると、「私は女性として劣っているんだ」とか「私は人として欠落している」とか、はたまた「何故あの女性には子供がいて、私にはできないのか?」など答えのない答えを探して常に自分を責めていたのです。

(ここまでくると本質的に自虐的で恐ろしいですが)

そんな毎日を過ごしていたので、最終的にはTVから聞こえる声や雑誌の文字の意味が理解できなくなってきたりして、ウツ気味になってきたことを自分で自覚しました。

(この頃にはパニック障害はだいぶ緩和されていました。ちなみに今も電車は苦手です)

そして35歳の誕生日を迎えたある日、ソファでうつらうつらしていると、私の中では無かったことにしていた筈の記憶、9歳の時にワイセツ行為をされた時に見えた、公園の空の映像がフラッシュバックしたのです。

ようやくこの時私は、9歳の時の体験は何か意味があるのだということがわかりました。

そしてその時チャック・スペザーノ博士のセルフセラピーカードを引いたら「復讐」というカードが出ました。

そのときはこのカードの意味が全くわかりませんでした。

この毎日の苦しみが一体「復讐」とはどういう事なのか。一体私は誰に「復讐」しているというのか。

しかしカードを引いてから2日後、何かの瞬間に全てが理解できました。

私はずっと母親に対して復讐していたのです。

9歳の時のあの苦しみから、私は手をカッターで切ってみたり、薬を大量に飲んで見たり、とにかく自殺の真似事をやってみせても娘に何があったのか全く気が付かない母親に対して、深い怒りを抱いていたのです。

離婚も不妊治療も同じことでした。

無意識に「あんたがこんな風に育てたから、私はこんなに苦しんでいるんだ」と、自分の人生を使って母親に復讐していたのです。

そういう遠回しな表現は全く通じない母親であることを私は理解していましたし、こんな生き方では誰もしあわせにならないと思ったので不妊治療をやめることにしました。

それと同じ頃に私の従姉妹が自殺をし、うちの母から「不妊治療をやめてくれないか」と言われました。

私の従姉妹は彼女の子供が病気で3歳の時に亡くなってしまい、その後を追うかのように公園のブランコで首を釣って死にました。

遺書はありませんでした。

その時母から言われました。

「お母さん、あんたが子供ができないってノイローゼになって、同じように自殺しちゃうんじゃないかと心配で。親にとって子供に先逝かれることほど辛いことはないんだよ。あんたがしあわせで生きてくれればそれでいいからもう、子供産もうなんて思わないで。」

母にとって娘である私がしあわせで生きることが一番の希望なのです。

私はこの人生において大きな勘違いをしてきた、と思いました。

「私は愛されていない」

それは大きな勘違いなのです。

そして私はカウンセリングを受け、それから夫を始め、会う人全てに私が9歳の時に体験したことを話始めました。

そしてずっと私を苦しめていた観念「私は穢れている」「私には価値がない」「このことを知ったらみんなが私を除け者にする」というような恐怖は妄想でしか無かったことを理解するのです。

それは私が過去にあった体験を話しても、誰も私を罵ったりバカにしたり、拒絶することはなかったからです。

私は9歳の時のあの出来事を抑圧してしまったが為に、同時にこの恐怖を延々握りしめる羽目になったのです。

この時私は初めてありのままの私で生きたいと感じました。

それから私の私探しが始まったのです。

 

それからは霊能者の先生のところで秘書をやったり、東大の先生が主催する未来医療研究会で事務局をしたり、他にも色々チャレンジするようになりました。

Bさんには隠しながら学んでビジョン心理学のことも隠さないようになりました。

その頃からBさんとは会話が合わなくなってしまい、彼からは「お前の言っている意味がわからないよ」と泣かれました。

Bさんはずっと私がバツ2になる事に責任を感じていたようですが、色々話し合った結果、お互いこれからも一緒にやって行くことは難しいという事になり、離婚する事になりました。

2度目の結婚は7年の時を経て終幕となりました。


◼️3度目の結婚

今私は43歳で2歳の女の子の母親です。

ちなみにウチの夫はイケメンなのですが、大体の方はそのイケメンぶりからウチの夫は欠点が無い、非常に素晴らしい人と想像するようです。

(びっくりするくらいほとんどそう)

もちろん私が選んだ素敵な人であることは間違いないのですが、しかし彼も人間なので駄目なところ、狡いところ、弱いところなど様々な側面があります。

そして同じように私も素敵な人であるけれども駄目なところ、狡いところ、弱いところがあります。

それが思いっきり露呈したのが3年前の夫の経営する会社の合併の件だったと思います。

私は私で「自分にはパワーが無い(稼げない)」とか「自分の幼少期は惨めだった」とか、そういうネガティブな思いがあったため、それらを埋め合わせるかのように当時夫を成功者に仕立てようとしていた節がありました。

それ以外にも色々な要因が絡まって夫の会社の合併は失敗に終わった訳ですが、その事で私も夫もたくさん衝突し、同時に深く傷つきました。

 

ちなみに今の夫とは今でもよく喧嘩をします。

私の過去2回の結婚を改めて振り返ってみると、自分が愛されているという自信もないし、常に傷つくことを恐れていたので、当時はパートナーに対して、自分に対して本音で向き合っていませんでした。

だから自分の本音を言う、衝突する、喧嘩するということがありませんでした。

だからといって相手に対して不満が全然なかったのかというと全くそんなことはないですし、そもそもしあわせを感じられなくて私はいつも彷徨っている感じでした。

今の夫と結婚してからは怒っても泣いても酷い顔してもいいから、とにかく自分の本音を相手に伝えることに務めました。

そのお陰で散々自分の自分本位なところや傲慢なところも自覚しましたし、相手にも曝け出してきました。

でも自分や相手の見たくない部分を受け入れ、お互いを許してきたから今があります。

夫は今も私を受け入れ愛してくれています。

そして私も夫を受け入れ愛しています。

それが私の中で、深い安心感や自信に繋がっています。

今更何か隠したり、取り繕ったりせず、ありのまま、駄目な自分も愛される、これほど楽でしあわせなこともないなと思います。

私は今の夫との関係で全てを受け入れることと許すこと、この大切さを学びました。

それは今も継続中ですw


◼️最後に

私は自分の経験を通して、どんな辛い体験も自分自身の事と深く受け止め、そこから学ぶことができれば自分や人の助けになるということがわかりました。

私のギフトは女性を自由にさせることです。

どんな女性も自分が女性である事に恐怖や不信感を持っています。

自分が女性であって、魅力的である事に自信がない、魅力があっても傷つけられるのではないかと恐れています。

しかし女性が女性である事を受容し、自信が持てるようになると途端に魅力的になり、輝きはじめます。

どんな女性も魅力的であることは男性にとっては素晴らしいギフトです。

それと同時に男女関係、特に結婚の意義についても非常に重要であると感じています。

というのも私が9歳の時に受けた傷を、あの時両親が気がつき、受け止めてくれたらまた違った人生があったのではないかと思うからです。

世の中には避けきれない出来事、どうしても必然として起こるやむおえない事はたくさんあります。

だからこそ、家庭内の夫婦に信頼関係と愛し愛される関係が成り立っていて、様々な経験を受け入れられる状態であることは、子供達の人生を左右する重要なことだと感じています。

とはいえ実際結婚は経験してみるとお互い無意識レベルの感情が噴出してしまい、なかなか厳しいものがありますが、実際しあわせを感じたり愛や赦しをリアルに体感する素晴らしい場であるとも思ってます。

自分の両親や他所の夫婦を見ると「結婚がしあわせに思えない!」という事はあると思いますが、自分が学んで成長すれば全く違う家庭を築くことができます。

意欲を持てば自分の望み通りの人生を創造できる、私はこれからも自分を愛し、受け入れ、自分の人生を謳歌する・・・そんな人生を送りたいと思っています。

著者の久美 笛木さんに人生相談を申込む

著者の久美 笛木さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。