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【第九話】奇跡が起きた日

Image by Olia Gozha

2020年11月14日。

いよいよ本番当日。

昼間のぽかぽか陽気とは裏腹に、夜の稲佐山はまるで真冬のような寒さだった。

こんなこともあるだろうかと、こっそりと背中に貼るカイロをペタっと貼っておいた事は、我ながら良い仕事をしたと思う。

リハーサルまでしっかりさせてもらい、いよいよ私が歌う時間になった。

ステージの順番は私が一番で、その次に子供たちのダンスと合唱が待っていたので、会場は我が子の晴れ舞台を楽しみにしているお父さんお母さんでいっぱいだった。

司会の方から「シンガーソングライターの茂奈月さんです」と紹介されたのがなんだかとても照れくさくて、ゾクゾクした。

私は簡単な自己紹介をしたあとに、

「父親だから…母親だから…という理由で夢をあきらめるのはとてももったいないことだと思います」

と自分自身に一番言い聞かせたいメッセージを会場の皆さんに伝えて、歌った。

肝心の歌の出来は、あまりの緊張に顔にはめているマスクの存在を忘れたまま歌い出してしまうポンコツぶりだった。

正直に言って歌い始めは、

このマスクをどう処理しようか?

このまま歌い終わったほうが自然か?

いやいや声がこもって聞こえづらいだろう…

ではとりあえず口だけは出すか…

でもこのままの姿では失礼だよな…?

曲の一番が終わったタイミングで外してそっとポケットに入れるか…

なんで余計なことばかり考えていた。

そんなことをぐるぐると考えながらも、歌詞が完全に飛ばなかったことだけは救いだった。

とりあえず大きなトラブルもなく無事に二曲を歌い終わった私は、そそくさと舞台袖にはけた。

「よかったよー!」と温かい声をかけてくださる方もいて、とてもありがたい。

前日急に連絡したにもかかわらず、幼なじみの友達も後輩を連れて駆けつけてくれていた。

「終わった…」

私はマシンガンのように喋り続ける幼なじみの声に半分耳を傾けながら、夢なのか現実なのかわからないようなぼんやりとした気持ちで子どもたちのダンスを見ていた。

歌の出来に関しては一旦置いておくとして、この日の反省点としては大きく二つ。

ひとつ目は、子どもたちのダンスの先生が、声が細い私のことを気遣ってくださって、マイクや音楽の音量を一生懸命後ろで調整して下さっていたのに、私は歌い終わった後緊張のあまりにお礼も言わずそそくさと立ち去ってしまった。

後でFacebookを通してお礼を伝えたが、やっぱり直接伝えかったなぁと後悔している。

大げさだと言われそうだが、感謝の思いを忘れてしまったら人間として終わりだ。

もうひとつは、私の後にステージに立った子供たちのダンスや歌を真剣に見なかったこと。

もう自分の順番が終わりほっとした私は、幼なじみとペチャクチャと喋りながら子供たちのステージを見てしまった。

沢山練習してきて、やっと本番を迎えた子供たちがどんな気持ちで今ステージに立っているのか、誰よりも私が一番わかっているはずなのに、私は友達に

「おしゃべりは後からにしよう。今は子供たちのステージを真剣に見たい」

というそのたった一言が言えなかった。

それから私はステージの片付けを終えて帰宅した。

お風呂に入って今日のことをあらためてぼけーっと振り返っていた。

私にとっては奇跡が起きたとしか思えないような一日だった。

お湯に長いこと浸かって十分に温まったはずなのに、なぜかまだ手が震えている。

その時私は初めて、この手が寒さで震えていたのではなく、緊張で震えていたのだということを知った。

初舞台の感想としては、もちろん達成感や嬉しさはあるものの、どうもその言葉だけでは片付けられない感情が自分の中にうごめいていた。

この感情は一体何なんだろう…。

私は言語化できずにいた。

歌のレッスンがあったときに私はこの気持ちを先生に伝えると、先生はいともあっさりと、ある言葉を返してくれた。

ーつづくー

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