批判を攻撃と取らないこと。批判はひとつの意見。
自己肯定感の低い人は、批判を攻撃ととらえ神経質になる。
自己肯定感の高い人は
批判をされても【ひとつの意見ととらえ、第三者の意見をきく耳をもち、直せるところはなおし、無理なものは無理と言い、軌道修正してまた歩いていく】
怖がらなくていい。
私もなんどか受賞するたびに、アンチを経験して、きっと、それが酷くなると追い詰められて、疑心暗鬼になり、人間不信になり、信じるひとを間違えたりする。
私がそうだった。
踏みつけられてきたひとは、慣れてきた踏みつける人に安心してしまう。
自分を大切にできる人は、自分を大切にする人の傍で過ごす。
違和感を感じる機能が麻痺していると、信じる相手を間違う。
批判が、最近多い。
その人たちは、批判をぶつける相手を選ぶ。
匂いでもあるのか、自己肯定感の低い人はターゲットになりやすい。また日本語で誤解を招く、言葉足らずの人もターゲットになりやすい。
文章は、ときに剣となり刃となり相手の心を切り裂いていく。
そうか、そうするのであれば
文章の魅力の高い、ことねぇさんがすることは、ひとつ。
私は私の読者、リスナー、推しを守るだけ。
文章で、護るだけ。
Twitterも相手がなにか問題を起こした場合、相手のアクセスしているスマートフォンの登録元を調べられ、住所特定もされるのだから、とんでもない慰謝料請求されたり、社会的地位を脅かされるということだ。
法律の知識があれば、わかることで
【無知】なものは、【プロ】に喧嘩売っていることに気づかない。
私は
歯科衛生士であり
メンタルケア心理士であり
行動心理士であり
ヨガインストラクターであり
いまファイナンシャルプランナーをめざす、親戚は堅い職業が多く
親友や友人には法学部でている者がいる。
実家には会社専属の弁護士がいる。
そして文章の実績もある。
かじった知識で、プロに喧嘩を売っていると、火傷をするということ。
医療人じゃないとか、ハッタリかましているとかも、わかる人にはわかるということ。
インターネットだから、敵も見えないけど、こちら側も見えないわけで
こっちが【玄人】だったらどうするんだろうなっておもって、批判記事をみている。
つまり【頭脳明晰】なひとは、安易に批判したり、するとしても文章に気をつけて書くということです。
大人、か、子どもか
そこでわかると思う。
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