受験は集団戦!!!は本当!
手術が終わり、退院したころには7月になっていました。
7月、学校に行くとクラスの友人たちが僕の誕生日を教室でサプライズでお祝いしてくれました。
二年前の誕生日は坊主頭にした日です。
同じ日でも二年でこんなに変わるのだなと。
改めて、本当に素敵な友人に囲まれたと実感しました。
・・・・・
いやいや!そんなこと言ってる場合じゃない!!
『慶應を目指す!』とは言ったもののクラスビリレベルの僕。
ここからどうすれば受かるのか、全くわかりませんでした。
ここで登場するのが、中学時代の友人です。
彼が通っている塾を紹介してもらい、そこへとりあえず入塾しました。
そして、一緒に頑張るためにバスケットボール部の友人も何人か同じ塾へ誘い、
僕の受験生活が幕を開けます。
※ちなみに塾の名前は「お茶の水ゼミナール」という塾です。
スポーツマンたちは、これまで部活動に全力を注いできました。
引退後、そのパワーや気力、そして時間を勉強に費やすことができます。
これは簡単なことではないですが、同じ目標を持つ友人がいることは大きなモチベーションになりました。
これまで一緒にバスケしていた仲間で「勉強部」なるものを立ち上げ、
本気で勉強する会を作りました。
学校の昼休みや空いた時間で彼らと勉強し、
塾でも彼らと一緒に勉強する。
志望校が違えど、やることはほぼ同じです。
編入試験時は、ただ一人ぼっちで勉強してました。
話し相手も家族以外は、塾の先生か家庭教師の先生です。
それに比べ、今回の勝負は同じ目標に向かう、切磋琢磨しあえる仲間がたくさんいます。
お互いに問題を出し合いながらご飯を食べたり、登下校したり
まさに集団戦。
みんなで成績を上げていこうとしました。
7か月で慶應に現役合格する方法
さて、成績がほぼクラスビリの僕は、7か月で慶應に現役合格できたわけですが、
その方法はずばり
「慶應しか目指さない!!!!」
です。
つまり慶應以外の対策はしません。
慶應落ちた時は浪人する。
学部もこだわりをもってはいけません。
とにかく慶應に入ることを考えます。
その覚悟があれば、
夏時点で全く慶應に成績が届かない。でも慶應に行きたい!って人は、
7か月で合格することは可能です。
※は文系に限ります。理系はわかりません。
※これは夏時点で慶應狙える成績が全くないのに慶應にどうしても行きたい人の最終手段です。
理由は受験科目にあります。
慶應は私立文系と違い、受験科目が少ないです。
おおよその私立文系は
・英語
・社会(世界史や日本史) または 数学
・国語(現代文と古文と漢文)
なのに対して、
一方慶應の場合は
・英語
・社会(世界史や日本史) または 数学
・小論文
です。
そうです。国語がありません。
国語がないということは、現代分と古文と漢文の勉強をしなくて済みます。
これ凄いことじゃないですか?
ほぼ3科目減ったことになります。
(小論文に関しては一旦置いておきます。)
なので僕は12月くらいまでは英語と世界史の2科目しか勉強しませんでした。
夏に関しては、ほぼ英語しか勉強してません。
「夏を制する者が受験を制す!」とか言われる超大事な夏休みを、
ほぼ英語の勉強に費やしました。
勉強量はもちろん毎地に10時間くらいはやっていました。
大学受験生としては当たり前なくらいですが。
学部は?小論文対策は?
※下記はあくまですべて個人的感想です※
冬に慶応の文系で受験ができる学部すべての赤本(過去問)を解きました。
法学部、経済学部、商学部、文学部、SFCです。
そして文学部を第一希望にすることに決めました。
理由は「自分が解きやすかった」ということです。
特に小論文は、他の学部に比べて解きやすく感じました。
小論文とは課題分を読み、それに対する自分の意見を書きます。
極論、書き方さえ少し学べば受験生だけでなく誰でも解けるのです。
ただし、自分の意見を書くには、英語や数学といった学力でなく、
様々な分野に対する自分の知見を広げる必要があります。
その知見をもとにアウトプットすることが求められます。
知見を広げるのに一番良いのは新聞だと個人的には思いました。
新聞の社説のコーナーは様々な分野の事を議題として挙げ、それに対する意見を筆者が述べております。
僕は毎日新聞を読み、アウトプットに使えそうな議題はノートにまとめて勉強してました。
慶應受験本番
結局僕は、英語と世界史と小論文の勉強しかできませんでした。
センター試験すらほぼ対策せずボロボロの結果に終わりました。
7か月で慶應に現役合格する方法は慶應しか目指さないことと言いましたが、実は欲張って色んな大学を受けました。。。(笑)
ただ国語を全く勉強してないし、赤本の対策も全くしてないのでほぼ全て不合格に終わります。
結果、慶應受けるまでどこも合格してる大学がありませんでした。
そんなプレッシャーの中、本番が始まります。
中目黒を超え、日吉駅に到着です。
この七か月人生で一番勉強しました。
編入試験をしていたあの頃よりもしていたと思います。
何より大学受験は一人でなかったから乗り越えることができました。
試験後、文学部以外に受けた商学部とSFC(総合政策と環境情報学部)、二関しては「あ、絶対落ちた」と思いました。
手応えが無さ過ぎたのです。
ただ第一希望の文学部はこの上なく手ごたえを感じました。
運命の慶應の合格発表はインターネットで発表であり、
僕が受けた4つの学部はすべて同じ日でした。
自信のなかった学部の順から見ていくことにします。
環境情報学部⇒不合格
商学部⇒不合格
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総合政策部⇒不合格。。。。。
母と見てましたが、この時のメンタルはぼろっぼろです。
ただ第一希望の文学部が一番自信があり、
ダントツで一番対策をしてきました。
そして最後の文学部です。
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『合格です。おめでとうございます。』
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人生逆転?
慶應に合格することは決して人生のゴールなんかではありません。
ただ慶應に合格したことは、不登校になった当時の僕からしてみれば夢のまた夢の話でした。
受験が終わった後、後輩のバスケの試合を見に行きました。
その会場には、僕がスポーツ推薦で入学した強豪校もおり、
試合後、強豪校の監督がわざわざ僕のところに来てこういいました。
『慶應合格したんだってな。すげえよ。本当におめでとう。』
監督は転校した後の僕の事を気にかけてくれていたのです。
この一言で、なんだかものすごく救われた気持ちになりました。
受験は集団戦という風に書きましたが、
最終的にバスケットボール部のチームメイトであり、勉強部のメンバーも多くが志望校合格することができました。
早稲田、明治、青山学院、そして東大と一橋大学に進学するやつもいました。
僕を塾へ誘ってくれた友人は医学部に現役合格します。
高校一年生の時に不登校だった少年は、2年後に慶應に入学します。
大袈裟かもしれませんが、人生逆転できたと言わせて下さい。
現在のわたし
僕は慶應を2019年に卒業し、現在は広告代理店で働いています。
仕事内容としては、テレビCMを「どこに流すか」ということを毎日何時間もテレビ局員と話し合っています。
仕事内容はかなりハードですし、めちゃくちゃ大変です。
大人になってわかったことは、社会は思ったより理不尽です。
嫌いな人とも仕事であれば話さなきゃいけませんし、
自分のミスじゃなくてもめちゃくちゃ怒られることがたくさんあります。
自分のやりたいことが仕事にできている人は本当に一握りです。
僕は、今の仕事が全く楽しいと思えないまま、三年が経ってしまいました。
部署異動を願う日々を過ごしています。
気づいたら、そんなダサい大人になっていました。
しかし僕は今の部署が嫌で、仕事が全く楽しくなく、理不尽な日々に嫌気がさしていても今の会社を辞めない理由があります。
それはこの会社で将来やりたいことがあるからです。
僕は、改めて「随処に主となれば立つ処皆真なり」という言葉を思い出しました。
僕の今の夢は「コピーライター」になることです。
来年は変わってるかもしれませんが、今のところはそれが僕の夢です。
コピーライターになって、僕の文章、僕の言葉でCMや広告を作ってみたいのです。
既に大活躍する同期や後輩のコピーライターもいます。
負けじといろんなコンペに応募しますが、今のところ全く結果は出てきません。
これだけじゃなく、僕はこれからも色んなことに挑戦するつもりです。
またいつかの機会にそれはお話しできればなと思っております。
そのたびに壁にぶち当たるかと思いますが、過去の僕が
「今。ここ」に全力投球する。
主体性を持ってやれば、どこであれ、
あなたのいるところに必ず真理がほほえむ。
ということを教えてくれました。
色んな事がありましたが、僕の人生はまだまだ始まったばかりです。
一旦は今の夢に向けて頑張ってみようと思います。
最後に
最後に2つ伝えたいことがあります。
一つ目です。
僕が大好きなNBA選手であるコービーブライアントはこんな言葉を残していました。
”周りはあなたの夢の限界を決めたがるが、それを気にすることはない。
夢が叶うかは自分次第だ。”
僕は不登校の時、自分の状況をみて多くの大人から、編入試験ではなく他の道を進められていました。
大学受験の時は自分の偏差値に合った大学を受けるよう言われました。
でも僕はこれらを無視して、努力をしてその時その時の夢を叶えることができました。
なので、周りになにを言われようが自分に限界を作ってはいけません。
コービーの言う通り、夢が叶うかは自分次第です。
二つ目は、
「逃げる」という選択肢もありなのだ。ということです。
編入の話を書きましたが、これは単純に当時の僕には、厳しすぎて乗り越えられなかった、挫折したというだけの話ですが
やっぱり僕みたいに同じような悩みを抱える子たちは一部いるのは事実です。
特に僕のようにスポーツ推薦で入学した子はなおさら苦しいと思います。
そんな子たちに
『壊れるくらいなら、「逃げる」という選択肢もありなんだよ』と伝えたいです。
そういう似たような悩みを持つ子がこの僕の話を目にして、少しでもなにか力になれれば幸いです。
長くなりましたが、この話はこれにておしまいです。
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。


