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民主主義的文化への能力

欧州評議会が2016年に出したCompetences for democratic cultureをがんばって読んでます。
ポイントは民主主義を一つの文化として捉え、その文化形成のために必要な能力を4つの領域と20の能力に整理している点。
この能力の中には、知識や技能の他に、意欲や態度はもちろん、共感や人間に対する尊厳、曖昧さへの寛容性などが挙げられている。
尊厳っていうのは、個人的には日本の社会で最も欠けている概念かなと思う。すべての人間は生まれながらに無条件で尊重されるべきであるという基本的人権に基づいた記述があって、そういうのって、日本ではまだまた根付いてないかなと思う。
この尊厳っていう感覚が希薄なために、多文化共生もマジョリティからの恩恵的な薫りが漂っていて、どうも一人一人に対する「一人前感」みたいな捉え方が弱いような気がする。
もっとひどいと、まずは日本語できるようになってから、モノを言えみたいな、尊厳や権利に条件をつけちゃうような感じがあって、この文書のdignityは、そういう義務と権利をセットにして売り付けるような考え方とは一線を画している。
「権利を主張する前に義務を果たせ」とか言う一見もっともらしい屁理屈を散々聞かされて大人になったけど、そもそも権利っていうのは、そういうものじゃない、ということを明快に述べていて気持ちがいい。
あとは、曖昧さへの寛容性っていうのも興味深くて、これがないと視野が狭窄して、複雑な問題を単純化して捉え、あるいは強引なカテゴライズが暴力を喚起することがあるので、民主主義文化の形成のためには、答えがない問題を考え続けるストレスに対する耐性が大事みたいなことが書いてあった。
さらに興味深いのは、民主主義文化のための能力は自然には身に付かず、教育によって後天的に身に付けなければいけないと言っていることや、民主主義文化の形成のためには、市民の参加を支える政治的な仕組みの整備が不可欠であると言っていること。
移民がいくら民主主義文化を学んでも、参政権がなければ社会の意思決定プロセスに参加できず、民主主義文化形成の担い手にはなれないみたいなことが書いてあって、これは実に耳が痛い。
この文書に続いて、Reference framework of competences for democratic cultureっていう三分冊の文書があるんだけど、これには20の能力ごとのCan doとかもあって、中にはホントかよって思うものもあるけど、まあ、読み物としてはおもしろい。だって、曖昧さへの寛容性のCan doとかが初級、中級、上級とかにレベル分けそれてて、まあ、すごい徹底されてるわけだけど、これには苦笑。
そういうことを割り引いても、欧州が民主主義を一つの文化として捉え、これをどのように教育していくかということについて、本気で考えてるっていう迫力は伝わってくるし、そこと言語教育は不可分であると言い切っている点については、学ぶべきことは多い。
我が国の「外国人材受け入れ・共生のための総合的対応策」における「共生社会の実現」を支える思想、理論的なバックボーンを考える(出てから考えるんかい!)上では示唆に富む文書だと思う。
日本における「共生社会の実現」に日本語教育はどのように関わり、何を成すべきなのか。
僕たちは大きな宿題を背負っている。
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相変わらず、Reference framework of competences for democratic cultureを読んでるんだけど、後ろの方になるほど、民主主義文化はどのように過激な主義主張、それが喚起する暴力、そして、それに呼応する形での異文化の排斥や差別に対抗していくのか、ということが生々しく論じられていく。
その迫力には鬼気迫るものがあって、欧州評議会はヨーロッパの存続をかけてこの文章を編纂したんだろうなとつくづく思う。
この文書が何としても守り抜きたいと考える個人の尊厳、人権というものは、しかし、つい80年くらい前までは、欧州各国以外の人々までには敷衍されることはなく、列強諸国は世界を隅々に至るまで植民地として分割し、そこに住む人々の尊厳を、人権を蹂躙した。
イギリス、フランスの人々は王権に挑み自らの権利を勝ち取り、人は生まれながらに平等であるという思想を産み出したわけだが、その一方で、「我々」以外の人々(人として認識してなかったがゆえに?)の尊厳と人権については、一顧だにすることはなかったのではないか。
このような人権は、厳密にはどのようなプロセスを経て「我々」以外の人々にまで敷衍されていったのか、この価値感の転換?拡大?については、この文書を読めば読むほどに関心が湧く。
徹底した人権の尊重と、容赦ない蹂躙。欧州の人権概念はこのような苛烈な両義性を持つのではないかと思う。徹底した人権の尊重と蹂躙というのは、実はコインの表裏のようなものなのかもしれない。
今、ミャンマーで起こっていることについても、その遠因は植民地支配にあるわけだし、欧州は今、この瞬間にも起こっているこの国での人権の蹂躙について、どのような思いで眺めているのだろうか。
こんなことをぼんやり考えながら家路についている。

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