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「大きな物語」の終わりについて

最近のあれやこれやを見聞し、その渦中に身を置いてみて感じることは、「大きな物語」というものが掬い上げることよりも、取りこぼすもののほうが大きくなってきていて、無視することができなくなっているということ。
紀元3世紀頃の東西の世界帝国の崩壊は、統治の不手際ではなく、世界的な気候変動による農業生産力の低下であったという説がある。事の真相はさておき、洋の東西を問わずこの時期、漢という中華帝国とパクス ロマーナを現出させたローマ帝国は崩壊した。古代の世界システムという「大きな物語」は霧消し、東洋では三国時代を始めとする乱世、西洋では「暗黒の中世」という比較的「小さな物語」の世界が現れた。
そして、今回のこととよく引き合いに出される中世ヨーロッパにおけるペストの大流行は、生産の基盤となる農村を破壊し、それを保護することで成り立つ封建領主の没落を招き、その後の絶対王政成立の地ならしをした。そして、絶対王政が整えた中央集権体制は帝国主義に引き継がれ、東西冷戦を経て現在に至る。
「大きな物語」の終わりなんてことは、いろんな言い方で既に言われ続けているのだけど、今回のことはやっぱりその事をつくづく感じさせる。でもこれは「大きな物語」と「小さな物語」の優劣を問うているのではなくて、世界のうねりの中での変化の兆しについての感覚なんだろうと思う。
半年後の世界がどうなっているかについて、私たちは正確に予想できるだろうか。例えば、2020年が始まったあの日、今日のような状況を正確に予測した人間がいただろうか。
この状況の収束を追いかけるようにして、私たちを捉えるのは世界的な景気後退による信用収縮であることは間違いない。平時であってすら、限界に達していたと思われる日米欧の金融規制緩和はこの景気後退に堪えられるだろうか。この経済における「大きな物語」も既に梗塞状態寸前である。
そこで思うのは、個人が取り組むべきことは「大きな物語」に身を委ねるのではなく、「小さな物語」の紡ぎ出しによる、レジリエンスの獲得なのではないかと思う。
言い換えれば、勝てないまでも、負けない生き方の模索とでも言えようか。「小さな物語」に基いて、分断ではなく連帯を、競争ではなく協助を、そして、効率ではなく幸福について、私たちは本気で考える時期に来ているのだと思う。
絶対的なごく少数の勝者を産み出すのではなく、皆が小さく負けることによって、絶望的な敗者を産み出さない世界。そういう世界が拠って立つテーゼとは如何なるものか。
しかし、いつの時代であっても世界を劇的に界変えるのは、人の業ではなく、森羅万象の自然の動きであることを考えると、やはり人間という存在は小さく脆いものであるとつくづく思い、人類は己の二本の足で立ち、世界を見渡す時、もっと謙虚であるべきだという想いを新たにする。
この機会にこんなことをよくよく考えてみたいと思う。

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