【17】痛みと温度が同居した日 ~あなたが生まれた日、わたしも生まれたんだよ~

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8年前 あなたは生まれた。
そして わたしも同時に生まれたんだよ、母として。

このストーリーは わたしにとって語らずにはいられないエピソードです。
なぜなら、わたしの人生にとびっきりのギフトをくれたのは娘の存在でした。

現在8歳の娘はこのストーリーを描く わたしの横でテレビを見て笑っています。

「ねぇ、ママは本当のことを語ろうと思うよ。」




2006年、今から9年前。

いつもと様子の違う自分に気づきました。
まさか・・・・。

不思議ですね。本能で体の異変に気づくのですから。

わたしは一人、薬局に駆けて行きました。
そして・・・妊娠検査薬を手にして、できていないことを必死で祈ったのです。


妊娠がわかったとき、正直いうと素直に喜べないわたしがいました。
なぜなら、女優の仕事を休業しなければいけなかったから。
理由は他にもありました。いくつでも作りだすことができた。

生むのをやめようか、何度もその思考が過りました。

そんな自分をひたすらに責めました。
恥ずかしとさえ思い、
人に相談することもできなかった。

子供ができたら 祝福を受けるモノであるはずで
ましてや 好きな人の子供を宿すことは 歓びであるはずで
幸せの涙を流すものであるはずで・・・・

けれど わたしは違ったのです。

生まなきゃ良かったと思ってしまったらどうしよう。
ひとりの人格が生まれるというコトに恐怖がありました。
自信なんてものは1ミリもなく 生むか生まないかを決める数週間の間
毎日のように 行ったり来たりを繰り返していました。

人生で2度目の痛みと温度が同居した あの日。
わたしは いのちに触れたはずでした。
こころの底からの感謝を思い出したはずだったのに、
そんなことは すっかり忘れていたのです。

新たないのちが生まれようとしている。
それを歓べないわたしに 娘の父である彼がこう言いました。

「生んでほしい」



娘は病院ではなく 一軒家の助産院で生むことにしました。
完全自然分娩です。
陣痛がはじまり、生まれるまで36時間という長い時間が過ぎて行った。

助産婦さんが新聞を片手に 痛みに耐えている私に語りかけます。

「あ、満潮だ。このタイミング延ばしたら、次まで長いよ~~」

自然分娩ですから、赤ちゃんの心臓の音
そして助産婦さんの長年の経験と感、また潮の満ち引きだけが頼りでした。

陣痛は気絶しそうな痛みでしたが
人間の限界はないのだと言うことを知った瞬間でもありました。
次の満潮までは身がもたない、そう思って
生きているその命を全力で生むことに傾けました。


満潮の夕刻、畳の一室で 産声をあげる娘。
お腹の中が居心地良かったのでしょうか。
3650gと、ずいぶん大きく育っていました。
なかなか生まれてこないワケが分かって、笑ったのを覚えています。
出産を誰かに相談しなくて良かった、と今では思っています。
苦しく悩んだけれど、彼が生んでほしいと言ったら生んだのではありません。
わたしは自分の意思で 出産する選択をしました。

実際に子供を育てる中でさまざまな想いが巡りました。
そして 痛みも。

子供への虐待で悩む母親は後を絶たないそうですね。
わたしは少なからず、自分の経験を通して何かを伝えられるかもしれない
そう思って、本音を語るコトを決意しました。


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