目の前で1,500人がいっせいに引くと「音がする」んだという事実を知った日 2

前話: 目の前で1,500人がいっせいに引くと「音がする」んだという事実を知った日

その瞬間、音がしたのだ。

その音は耳でキャッチしたものではない。


でも、確かに僕には聞こえた。

1,500人の声なき「えっ・・・」が共鳴した瞬間の音を。



おそらく5秒間無音だった。

僕は、ゆれていた手を下げ、体勢をもどすと、

「スミマセン」

とひとこと言って、ステージを降りた。


司会の人はつっこまない。

見ていた社員は何も言わない。

席に戻る間、周りに並ぶ同期は僕に声をかけない。というか視線を合さない。


次の新入社員の自己紹介が始まって、ようやく世界は音を取り戻した。


世の中には、「スベる」より恐ろしいことがあって、「スベる」の最上級は「なかったことになる」んだということをその時初めて知った。
そして1,500人が引くと音が聞こえるんだということも。


その後、あまりに誰も触れなかったので、僕もあれは夢の中のことだったんじゃないかと思うようになった。

なにしろこの頃の僕はまだ大学を卒業したばかりで、夢にみたことと現実に起こったことが区別がつかなくなる記憶障害がたまに起こっていたころだったので、「またいつものあれか」と思って気にしないことにした。


数日後、部署配属の日になった。

僕は法人営業を希望していたが、転職者の相談にのるキャリアカウンセラーの部署に配属された。

緊張の面持ちで配属チームの皆さんへの挨拶を追え、帰ろうとすると、自分の教育担当になるKさんと名乗る女性社員がじっと僕の方を見ると、


あなたクラゲの子よね。ユラユラしてたら許さないからね!


と言った。


あれは現実だったのか。


その後、僕は6ヶ月くらい「クラゲ」と呼ばれた。

そして「クラゲ」は周囲の期待を裏切らず、同期が研修を終え次々とキャリアカウンセラーとしてデビューしていく中、全く検定に受からず、延々とカウンセリングのロールプレイングをし続けた。理由は主に人間との会話ができなかったことによる。

Kさんは、僕の対面の席に座っていたが、「伊藤!戻りなさい!」と一日数回言っていた。その頃の僕は、30分以上パソコンの前に座っていると自分がセーブモードになってしまう(思考が外の世界に飛んでしまう)ため、現実世界に引き戻す必要があったからだ。チームではこの役割は、「伊藤を宇宙から引き戻す」行為と呼ばれていた。


ああ、Kさん元気かな。。。すごい毒舌ですごいかわいい人だった。


あれから7年・・。

僕は人間と会話もできるようになったし、友達もできたし、今は被災地で復興の仕事をしたりしている。


最初の会社でずっと謎とされていたのは、「伊藤はなぜ採用され、なぜキャリアカウンセラーに配属されたのか」ということだ。

僕にもいまだにわからない。





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