小学生のころ,先生にいじめられた話

小学校6年生のころ,僕のあだ名は「アカ」だった。それは当時の担任教師がつけた。「アカ」とはいわゆる社会主義者や共産主義者に対する蔑称のことだ。僕が小学生だった1980年代の日本の地方都市ではまだこんな言い方が残っていた。
事の起こりは,小学校学校創立10周年を迎えて毎週のように繰り返される廃品回収だったかと思う。小学校はこの式典を挙行するために体育館前の庭を整備するための費用が必要だった。そのために,僕たちは日曜日を返上して古新聞,古雑誌,空き缶,空き瓶を集めて回った。
創立10周年式典をするのにどうして庭に石を並べて植木の剪定をしなければならないのか。そのためにどうして僕たちは日曜日を返上して廃品回収をしなければならないのか。疑問だったので担任教師に質問した。それから僕には「アカ」というあだ名がついた。学校運営に対する「体制批判」をしたということだろうか。
それから,些細なことで往復ビンタを連発される。ビンタされてよろめき倒れたところをさらに覆いかぶさられて殴られる。ビンタというのはもらうときに上の歯と下の歯の間に空間があると,そこに頬の内側の粘膜が食い込んで裂症をおこし出血する。
当時,本職の「アカ」の方々は,電話や新幹線のケーブルを焼いたりして世間を騒がせていた。こんな事件がある度に担任教師は僕を指さして,クラス全員の前でノタマウ。「よく聞け,こんなやつが将来大人になると,こんな騒ぎを起こして人に迷惑をかけるんだぞ。」僕はだまって俯いていた。
ある日,上履きのかかとを踏んで歩いているということで殴られた。一発目で吹っ飛んだところに,履いていた上履きで頭を叩かれた。学校の帰り道,切れた口を近くの清水で洗っていると,農作業の帰りのおじいさんに会った。おじいさんは僕の口の中を見てくれた後に僕に事情を聞いた。僕は先生に殴られたとごく簡単に話した。
戦時中,陸軍歩兵18連隊にいたというおじいさんはビンタをされるときには,掌が頬に当たる瞬間に少し顔を下げると痛みが和らぐということを教えてくれた。そして,「殴っている奴の目をよく見ておけ。」と言った。おじいさんはビンタをされるときは殴った相手から目をそらさず睨みつけていたそうだ。
結局,それは態度が反抗的ということでさらになる制裁を喚起することになった。が,相手の目を睨みつけることによる効用は,それによって反骨心が湧き精神的なダメージを軽減することにあると知った。さらに,慣れてくるとビンタを食らいつづけている時にも相手の精神状態を観察できるようになった。子どもを殴る教師というのは,まず自分自身の怒号で興奮状態に落ちる。1発目の音が鳴り響くとさらに我を忘れ,顔は紅潮し,完全に自制心を失う。
大人がこれじゃどうしようもない。ばかばかしくなった。殴られることにも慣れた。が,きつかったのは,担任教師にクラスメートの前でパンツを脱がされて,尻を叩かれたことだった。これはビンタよりも数倍効いた。尻を丸出しにされた僕を見てクラスメートが笑った。担任教師も笑った。今までビンタでは一度も涙を流さなかったが,さすがにこのあとは,校庭にあるユーカリの木の一番高い所に登って一人で泣いた。
制裁は続きこれまでまあまあ成績が良かった通知表はオール2になった。ここに至って,両親もこの事態に気づいた。両親はまず,僕が1年生の時の担任で既に定年退職していた人のところに相談に行った。僕を大変可愛がってくれたこの人はこんなことを言ったらしい。
「子どもの成績がここまで下がるというのは担任の判断ではなく,学校ぐるみで行っている可能性が高い。子どもというのは学校側の人質になっている部分は否めないので,事を荒立てずにまずは穏当に話を聞きに行ってはどうか。」そこで,両親は学校に行った。これ以降,暴力による制裁は終息に向かったのだが,隠然たる制裁は卒業まで続いた。
子どもは「不完全な大人」,あるいは「明日の大人」ではない。子どもは人格を持った「完全な人間」だ。子どもの理屈は時に大人には思いもよらないほど,まっすぐで疑問の余地がない。そして,それをごまかしや暴力で屈服させることはできない。大人が対話を拒否し,暴力に訴えるとき,子どもはそれを観察し冷笑している。
子どもに思いもよらぬ矛盾を突きつけられた時,大人はその矛盾に真摯に向き合う義務がある。目をそむけたくなるような自分自身の矛盾に正面から対峙し,きちんと苦しむ義務がある。
図らずしも教師と呼ばれる職業に就いている今,改めて肝に銘じたい。

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