今のわたしは28才社長みならい。大学時代は社会人みならい。

1 / 2 ページ

前話: 今のわたしは28才社長みならい。高校時代は・・・
次話: 今のわたしは28才社長みならい。社会人1〜4年目。

前編でははしょりながらも高校時代のわたしの一部を紹介。
これからは大学生活後半について書こうと思う。

前編でも書いた通り、親孝行も含めて外大の英米学科へ進学。
家から電車で五分のその大学に通う事に決めたわけだが。
再度1から英語を学び直すモチベーションがあがらず。
1〜2年で必須科目のみ24単位を取得し、たった24単位しか持たずに
大学3年生に進学してしまった(逆にダブればよかったのにと今なら思える)
髪の毛はまきまきだったし、なぜか黒かった(不思議なことに)


話はそんな大学3年生直前にさかのぼる。


携帯に「国際電話」の通知。
ああ。Aかと応答すると。Aはこういった。


友人A「なぁ、ゆみ、今のままじゃいやや。うち変わりたい。」

わたし「うちも!なんかでっかいこと、できへんかな!
    一緒にやったら出来そうやんな!」

友人A「今度日本帰ったら東京いこ!」

わたし「今のままで行っても誰も会ってくれへんよな。」

友人A「何かで有名になろ!」

わたし「ブログとか書いてみる?」



という下りで、当時「アルファブロガー」と呼ばれていた友人のまねごとをして
必死でブログを更新する日々。

それなりにアクセスが集まり、ブログランキングでも
あるカテゴリで1位を取れるくらいになっていた。

それをフックにアルファブロガーの集まりのような、
今思えば親も良く、行かせてくれたよなと思えるようなプランを
「善」と信じて、わたしたちは2年の夏、夜行バスで東京に乗り込んだ。





今思えば、ここ。


ん?どこって?
ささいすぎてわからないですよね(笑)


「「アルファブロガー」と呼ばれていた友人のまねごと・・・」


ここから、大きく道が開けた。
ほんとに、1分で決められるような、小さな出来事で、
きっと誰もが、何気なくしている人生の決断の中の、この一瞬。
ここがあったから、今があると思える大切な一瞬になった。


神戸の田舎出身のわたしたちが、初めて、
TV業界、モデル、学生団体(Rちゃん)、学生起業家(Yさん)と出会った。
学生が大学だけにしばられず、いろいろな挑戦をして、
遥かに遥かに沢山考え、当時の自分たちよりもずっと大人に見えた。

そんな未知の情報と経験を
スポンジ(ゼロという意味)の私たちは一滴残らず吸収することが出来た。

今でも、その時にあった方々がわたしのFacebookにいて
たまに笑い話として思い返される、思い出の1ページとなっている。


そんなこんなで、おおきなボストンバックを肩から下げて歩き回った
弾丸東京旅行から、わたしは関西に戻り、相棒は海外に戻った。



それから、考えたことは



今の自分に何ができるか。
何のために、何をしたいのか。



そんな事だったと思う。



今でさえ「学生団体」とか「NPO」とかいろいろあるけれど
2009年、関西の神戸の田舎には、あまりそういうのもなくて。
で、出した答えは「自分で作ろう」という簡単でシンプルなもの。
心から入りたいと思える組織は、自分で作るしかないと思ったのが理由。


それからは目も回るような生活がスタートした。
(単位も24しかなかったし)


元々は、アメリカに戻った親友と、海外の就活生にむけた
日本の就職活動の情報や、海外の学生の活動内容を日本でフィードするといった
情報交換をメインとした活動からスタートしたのだが、
たまたま出会った京都の会社でインターンをすることを決め、
1000人規模のfashionイベントや、就活イベント、
社長と直に話ができ、社長も直接採用オファーができる
「社長と飲み会」というイベントを主催したり。
その片手間に、オークション選手権に出場したり。

気がつけばスタッフは神戸〜奈良・京都まで30人を越え、
みんな意識が高く、成長するってことに対して貪欲な
素敵な仲間たちが周りにそろっていた。

ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者の本間 佑史子さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。