セブ島の隣のネグロス島にはまだ山賊がいるという話

セブ島の隣のネグロス島には新人民軍(New Peoples Army, NPA)といういわゆる共産ゲリラがまだ生き残っているらしい。先月の選挙の際にも,いくばくかの金銭と引き換えに選挙妨害をやめてもらったという話を耳にした。また,15年くらい前までは小舟に乗ってセブ島の漁村でも略奪行為を行っていたというから,既に群盗化してしまっているのかもしれない。
21世紀のこの世界に共産ゲリラとはにわかに信じがたい。しかし,このネグロス島はスペイン時代から続く「砂糖の島」と呼ばれ,いまだに大土地所有が残り社会問題が語られる時,その社会経済的格差は「フィリピンの縮図」と形容されることを考えると,共産ゲリラが跳梁跋扈する素地は十分すぎるほどにあったのだろう。
そこで思う,なぜこのような格差が生まれるのか。それをなくすことはできないのか。この場合の格差とは特に経済的格差のことを指す。最近の日本の様子を見れば明らかだが,これは途上国に限った問題ではない。
レヴィ・ストロースはかつて,「人口密度が時として1平方キロ当り千人を超す」カルカッタで語った。「数というこの問題に,インドはおよそ三千年も前に直面し,カースト制度によって量を質に変換する方法を求めたのだった。(中略)つまり,あまりに多くの人口を抱え過ぎたことによって,その思想家たちの天才にもかかわらず,一つの社会が隷従というものを分泌しながらでなければ存続できなくなったのである。」
人口過密状態にあって,限られた資源を平等に分配していたのでは皆が倒れてしまう。したがって,1000人中の100人を文明的な生活ができるほどに生かすために残り900人に対して生存上ぎりぎりの生活を自発的に強いるというのがカースト制度であると僕は理解する。
では,その100人をどのように選び出すのか。かつてそれは宗教的権威であり,血統であったかもしれないが,近現代国民国家においては学校教育制度がその役割を担う。限りある資源をより優秀な人間に優先的に分配し,最小の投資で最大の効果を追求する。そこで,選別が必要になる。ここに国家が多額の費用を費やして教育を展開する最大の理由がある。明治期の日本が「皇族トイヘドモ東大ニ入レズ」という徹底した知的実力主義によって,国家有為の人材の発掘と育成をめざしたように。
現在は,明治期ほど露骨にはこの選別が強調されることはないが,「広く社会の役に立つ」というよりソフトな表現によって,このシステムは存続している。もちろん,公正な競争と実力主義(この点についての検討は稿を改めたい)を否定するつもりはない。学校教育制度を「落ちこぼれ製造システム」だと断罪するつもりもない。ただ,ここでは「役に立つ人間」のみが焦点化された結果,そこから外れた「さほど社会にとって役に立たない」その他大勢はどうなるのか,どこで何をしたらよいのかということを考えたい。
全ての格差を学校教育制度に還元することはできないが,少なくない部分を担っていると思う。ただ,逆に考えれば,公正な競争が保証されていれば,教育は格差を是正するシステムとして機能する。それでも知的実力主義下ではどうしようもない人々についてはどうなるのか。「隷従を分泌する社会」で仕方なしに生きていくしかないのか。
1960年代,高収穫品種の導入や化学肥料の発明,灌漑施設の整備などによる穀物生産量の飛躍的増加を達成した「緑の革命」の最中,世界中の農学者たちは地球上から飢餓を根絶できると希望を抱いた。この穀物増産はある程度の成果を収めたものの,結局飢餓は根絶されず,代わりに起こったのは人口の爆発的増加であった。
そして,今,世界について考えればコップの大きさは以前より大きくなったかもしれない。しかし,相変わらずそのコップからあふれ出る水のように,隔絶され,疎外される人々がいる。やはり人間社会は限られた資源の分配方法を模索しなければならなくなる。ひょっとすると人間社会はこの選別と分配の巨大なシステムそのものなのかも知れない。
話を新人民軍の話に戻す。少なくともこの組織がルソン島で結成された当初,あらゆる格差と不公正な資源の分配によって隷従状態を強いられた人々には,マルクス主義を胸に灯し武器を取らざるを得ない已むに已まれぬ事情があったのだろう。しかし,マルクス主義では世界を救えないし,壮大な「社会実験」は失敗に終わった。だが,この思想は,コップからあふれ出る全ての人々を一人残らず救いたいという強烈な動機によって生まれたのではないかとも思う。
経済的格差に苦しむすべの人々がそこから解放されることを望むなどということは夢物語で,それは理想論だと思うかもしれない。チェ・ゲバラの有名な言葉がある。
  
     もし私たちが空想家のようだといわれるならば、
     救いがたい理想主義者だといわれるならば,
     できもしないことを考えているといわれるならば,
  何千回でも答えよう「その通りだ」と。

さらに,こうも言う。コンゴ闘争に参加するにあたり死を覚悟した彼は娘に遺書を残す。 

  世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、
  心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。
  それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。

僕は自信と確信をもって何千回も「その通りだ」と答えられるほど強くはないし,この思想では問題を解決できないとも思っている。世界の格差と資源分配の問題の解決を考えるとき,それは根絶されることはなく,よりましな状態をいかに維持していくかという結果の出にくい戦いを強いられることになるということも理解しているつもりだ。
だからこそ,胸に悲しみを抱きつつも力強く答える「その通りだ」ということばに強く惹かれ,心が震える。

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