8年前、「会社名もやることも決まってませんがインターン募集」に応募したら、その会社が上場した話vol.1

上場までの物語を世に出すこと、それが私の夢でした
ブログやSNS、当時はmixiが一般層への認知が広がり出し始めていた2005年の秋頃、東京のビットバレーの片隅に拠点を構えたとあるITベンチャーが産声を上げた。「個性が輝く!」を合言葉に、着々と個性派揃いで憎めない人たちが集まり始めた。そのチームは、創業から8年強の月日を経て、紆余曲折ありながらも日本のソーシャルメディアマーケティングを担う会社へと成長した。
そして、2013年も終わりに差し掛かった頃、ついに念願の東証マザーズへの上場を果たすこととなった。世の中に出回る上場後の創業物語と言えば、大抵は創業者や役員陣が執筆するもの。ただ、もし運良く創業当時からオフィスを出入りしていたインターン上がりの古株「出戻り末っ子一社員」が、上場のタイミングで偉そうにそれまでの歴史を綴ってみたら、読みものとして面白いのではないか。その日が来たら出そう!と、心の中でずっと温めていたのが、この物語である。
ブログが私に自信を与えてくれ、内定もゲット
小泉政権の元、いまよりもかなり楽な「06卒」の就職活動を私が終えたのは、2005年6月中旬だった。前年10月頃から始めたことを考えれば、だいぶ長い時間が掛かった。ゼミでは誰よりも早く始めていたはずなのに、就活を終えたのは後ろから数えた方が早い程であった。その理由は、就活真っ只中の2~3月の丸々2ヶ月間を「ブログ」に費やして、半ば放置してしまったことが響いていた。大義名分上の就活開始となる4月1日を迎えた頃、私は都内の病院で父方の祖父を看取り、その帰宅路に付こうとしていた。出っ端から、精神的にも葬儀などの物理的な時間としても大きく躓いたのも多少影響していた。けれど、そこまで時間が掛かってしまったのは、私自身が真のやりたいことと自信を持てなかったことが大きかった。そして、面白いなと年末から始めたブログをいつしか自信を付けるためのツールに変え、時間を費やしていた。
ブログでの「シンデレラストーリー」、すなわちブログを始めてから僅か3ヶ月でライブドアブログで1位となったことは、私に大きな自信を与えた。人が多いだけしか取り柄ない3流大学生にはほぼ無縁だったはずの会社から大金星となる内定を得てしまったのだ。そこは周囲を見渡すと「東京大学」がズラッと並ぶような名のある高級取りコンサルティングファームだった。にも関わらず、私は名もなき投資顧問上がりのいまから証券会社とベンチャーキャピタルを立ち上げようとしている会社へ「新卒第一期生」の誘惑に引き込まれ、選んでしまった。別に給料が良かったわけではない。年収比較をすれば、初任給500万vs300万で圧倒的に劣っていた。それでも、お金に強くなりたいと後者を選んだ。その裏側には、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いのITベンチャーの存在があり、代表が前職時代に鍛え上げた新卒のうちのひとりが、その会社のCFOという「実績」があったのも大きかった。お金に強くなりたいと思っていた私にとって、わかりやすい将来像がそこにあったと「勘違い」したのだ。
就活を終えインターンを探すという不思議な行動に出る
卒業に必要な単位を既に取り終えていた私は、卒業までの最後の半年間で創業間近のベンチャーでインターンをしようと決めた。実際に入り込んでみないと、創業間際の企業が何を求めているかなど理解出来ないと感じたから。ちなみにインターンという言葉は、2005年当時では学生の間ではほぼ知られていなかったし、大企業が採用選考のために少し始めていた程度。そもそも、インターンという制度自体が当時はまだ整備されておらず、募集など恐るべき倍率であった。しかも、あくまで企業にとっては青田買い用の口実でしかない。いまでも内定者向けのインターンをリクナビなどの求人媒体で見つけることは皆無なのは、それが原因である。いま考えると、創業間近の企業が求人媒体に広告費用を出すわけもなかったのではあるが…
一方で、名もなき企業の立ち上げに取り掛かっていた人材業界出身の取締役は、その当時としては大胆な手に打って出ていた。いまでは当たり前過ぎて埋もれてしまう手法ではあるが、SNSの起業家コミュニティなどにインターン募集の書き込みをしていたのだ。それも、非常に印象的なキャッチコピーで。結果、その言葉が私の心を撃ち抜いた。
「会社名も名前も決まっていませんが、インターン募集」
私がその書き込みを見つけたのは、GREEの起業家コミュニティだった。現在GREEと言えば、完全にソーシャルゲームな会社であるが、当時は早慶を中心とした20~30代の人たちが、実名を出して交流するもはやいまのFacebookと何ら変わらないSNSだった。そこで登記が行われる2週間前ほど前に上記の書き込みを偶然にも見つけ、申し込んだ。そのアクションから、まさか8年にも渡る付き合いとなるなどとは当然思っても居なかった。
初めてオフィスを訪れたのは、創業から1週間近く立った頃だった。雨がしとしとと降る中、就活以来3ヶ月程振りのリクルートスーツで、恵比寿駅の脇の上り坂を目黒方面に進んだ。住所通りの場所に経つと、そこにはオフィスらしきビルはない。目の前にあったのは、5階建ての普通のマンションだった。えっ?と思いつつ、周囲をもう一周した上で、なんとなく覚悟を決めて2階の一室のチャイムを押した。扉が開くと、そこにはポロシャツを着た20代後半の方が立っており、応接室と呼ばれる2DKの玄関すぐの右手にある一室に通された。面接と言っても、雑談話を30分くらいしたところで、そのポロシャツの方から「とりあえずやってみる?」との問いに「お願いします」と即答したのだった。
そして、帰り際、別の部屋では、記念すべき最初の仕事机を組み立てていた社長さんと対面をした。来週から来てくれることになったと紹介され、あのふわふわっとした笑顔で「よろしく!」と言われ、握手を交わした。こうして、半年間の期限付きインターンは幕を開けた。
(続く)
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