セブのシンボルであるサント・ニーニョと精霊信仰についての話

ボルネオ島の西側にあるスラウェシ島にコーヒーで有名なタナ・トラジャという地域がある。険しい山道を抜けると突然山に囲まれた盆地に桃源郷のような集落が現われる。ずいぶん昔のことだが、数週間滞在したことがある。
ここでは山間の傾斜地で陸稲を栽培し、弥生時代さながらのハンドナイフ(楕円形の木片にかみそりの刃を仕込んだもの)で稲穂を刈り取る。それを高床式倉庫そのものといった構造の貯蔵庫に保存する。この倉庫、「ねずみ返し」までついていて歴史の授業で見た写真と寸分違わない。ちなみに中には女性しか入れない。人々の顔つきもマレー系とは明らかに異なり、私たちに近い。気候は高地だけあって朝晩はかなり冷え込む。見渡せば田園風景に腰をかがめて農作業にいそしむ人々。滞在中何度も既視感に襲われた。
近年はキリスト教の伝道により伝統的な精霊信仰は廃れつつあるようだが、それでもこの地域の人は亡くなると財力によって水牛や豚などの多くの家畜を生贄として捧げ、死者を弔うために故人の姿を模したタウタウという人形を作りそれを集落の高台に祭る。このタウタウは非常に強い呪力を持つとされ、高台から子孫を見守る一方で時にその呪力で災いをもたらすこともしばしばだという。タウタウの写真を撮るとカメラが壊れ、撮影者の身体に良くないことが起こるのだと地元の人に真顔で説明された。
閑話休題
ところで、セブ市のシンボルと言えば、誰もがサント・ニーニョ(サントは「聖」、ニーニョは「少年」、スペイン語に由来する)を思い浮かべる。これは、幼少時のキリストの立像で16世紀に世界一周の途中でマゼランがセブに上陸した際に当地の王に授けたものが由来だという。それ以来、幾度もの戦禍をくぐりぬけ無傷で現存している。毎年1月の中旬にはシヌログというカーニバルが盛大に行われ、カーニバルの踊り手たちはこのサント・ニーニョ像の複製を頭上に戴き優雅に踊る。80年代に地域振興のため「再発見」されたシヌログカーニバルの歴史も興味深いのだが、これは別の機会に考えてみたい。
このサント・ニーニョ像の存在ゆえにセブには台風も上陸せず、地震も直撃しない。ちなみに、昨年、この地域で地震があったが、震源地はセブ島をわずかに外れたネグロス島だった。また、降雨量も安定し、海も常に穏やか。これが当地の人々がセブ市は神の祝福を受けたQueen City of the Southern Philippinesであると誇りを持つ理由のひとつである。セブにある大半の教会で、あるいは多くの家庭でもニーニョ像が祭られており、この地域の人々の生活はサント・ニーニョと共にある。
このサント・ニーニョ像、実は多分に精霊信仰的な側面を持ち、強力な呪力を持つと信じられている。市内最古のサント・ニーニョ教会に安置されているオリジナルのニーニョ像のほかに各地に祭られているニーニョ像のご利益/呪力の強さが人々の話題として挙がるときもある。このように人々は自分たちを守護してくれるものとして崇拝しているが、その一方では不条理な災厄をもたらす「荒ぶる神」としての畏れも持っているような気がする。
もともとセブは、この海域を移動する人々のバンカーボート(アウトリガー付きの小型カヌー)の集合離散地であったらしい。現在でもセブ市には昔ながらの水上生活を送る人々の集落が近代的な港湾の脇にひっそりと存在している。
はるか昔から人々は小さな船でルソン島、ミンダナオ島、そしてボルネオ島、その先のタナ・トラジャがあるスラウェシ島にまで移動・交易のネットワークを広げていたという。それはマニラ地方の言語であるタガログ語やセブを含むフィリピン南部の言語であるビサヤ語にマレー語系の語彙が数多く見られることからもわかる。特に数字や親族名称、単純名詞など生活するうえでの基礎的な語彙に多い。
ある人類学者の民族誌によれば、ミンダナオ島とボルネオ島の間にあるスールー海に暮らす人々も呪力を持つ人形を制作しそれをタウタウと呼んでいるらしい。この事実からしてもサント・ニーニョ像もこのタウタウの影響を色濃く残していると考えて間違いないだろう。支配者の宗教としてのキリスト教と在来の精霊信仰。サント・ニーニョ像はこの両者を媒介し、信仰生活上の葛藤を止揚する文化的装置として機能していると考えられる。
そして、もうひとつ。先に挙げた「荒ぶる神」とは人々に不条理な災厄をもたらす神であると同時に、中央政府(大和朝廷)の支配に服さない神という意味合いも持つ。そういう意味でもかつてフィリピン植民地政府の首府であった古都セブはマニラに対して並々ならぬライバル意識を持ち(実際、セブ州の知事はタガログ語をめったに話さず、英語を多用する)、サント・ニーニョ像を「荒ぶる神」として押し立て、自らのアイデンティティを主張していると解釈することもできる。
セブの人たちにとって何気ない日常であるサント・ニーニョ像から放射される風景は、この地域の多様な時間・信仰・空間的広がりから形成されていると推察でき、非常に興味深い。

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