なぜ中学3年間保健委員を貫き通したのか?真田孔明の赤裸々な過去を暴露

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公立中学校の場合、重要なことに委員会の選択というものがある。
委員会の最上級に位置するのは、唯一全校選挙で選ばれる生徒会長と、その下僕達、生徒会スタッフ。
彼らは生徒会というだけでも、テストの点数以上の恩恵をこれまたあずかることができる。
けれどもその責任は重大だ。
孔明は昔から、表に出て活躍したりするのが苦手なタイプで、全校生徒の前でスピーチしたりするのは勘弁だ。
かといって、委員会に何も属していないのでは、プラス得点の恩恵をあずかることはできない。という事で当時、考えに考えた結果選択したのが保険委員会なのだ。


保健室を学生の立場から運営する委員会。保険委員会は中学1年生のときから、中学3年生の時まで3年間ずっと貫き通した。
3年の時には当たり前のように、保険委員会の委員長になることが出来た。
実は、孔明が保険委員会を選んだのにはもう一つ理由がある。
単に仕事が楽だとか、表に出なくて良いとか、そんなことだけではないのだ。

学校中の問題児が集まる所が保健室

保健室は、学校中の問題児たちが集まる場所という一面を持っている。
保健室に来る生徒たちは、怪我をしたり、病気になったり、体調が悪かったり、というだけで来る生徒だけではない。
心の悩みを抱えている生徒たちも沢山来る場所なのだ。
中学校で心の悩みを抱えている生徒たち。学校の「ヤンキー」等、問題児といわれる生徒たちが集う場所でもあるのだ。
孔明は保健委員という立場を、自分の中学校での立場作りに利用してしまった。
まず、保険委員として保険の先生に気に入られることで、保健室に休み時間いることができる世界観を作ることに成功する。
休み時間の度にちゃんと保健委員として保健室に顔を出した。定期的に、継続的に。
保健室の主(ヌシ)と周囲の生徒たちから認識されるようになる。
そういうイメージがついたら後はこっちのもの、単なる保険委員なのに、保険の先生がいない時など、保健室にたむろする、彼ら彼女らは孔明に相談を持ちかけてくるようになってくる。
そうすると自然に、彼ら彼女ら「ヤンキー」たちと、友好関係を築き上げることができる。
彼ら彼女らの相談に乗ってあげたりするだけで、精神的な部分ではこちらが上になることができてしまうのだ。
また特に「強い」とされるヤンキーと心の友達になる事は、中学校生活で何事も無く生き残るため、日常を楽しむためには非常に大切なこと。
孔明が通っていた中学校の学区は、高級住宅地、住宅地、商業地、工業地帯、繁華街がバランスよく共存していた地区でもありマンモス校。

真面目な人たちも多かったが、ヤンキーの数も物凄く多かった。
ゆえに中学校生活で勉強だけができるやつらの中には、こういう処世術を疎かにしてしまったがため、勉強が滅茶苦茶できるにも関わらず、「いじめ」を受け続けて、可愛そうな学生生活を送っている生徒たちもいた。
いくら将来のために勉強をがんばっているとはいえ、「今日」をエンジョイできなければ全く意味がない。
学校生活をエンジョイするためには、ヤンキーたちとも、心の悩みを抱えている人たちとも、仲良くなっておかなければならない。

立場ではヤンキーに勝つ

中学校レベルの「ヤンキー」。と、いってもしょせんは子供。
彼ら彼女らの精神的な支えになることさえできれば、彼らからの害が無いどころか、相当得をすることばかりだ。
また、心の悩みを抱えた人たちも、保健室に来るのは相談相手が欲しいだけ。昔から両親が話を聴いてくれない、理解してくれないの積み重ねでそうなっている場合が多いから。
彼ら彼女らの意見に対して反論せず、話してくる悩みに対して、うなずいたり、たまに言ったことをそのまま繰り返しながら、聞いていればよいだけ。
そこに解決の言葉は要らないので簡単だ。
更には、保健室に入り浸るメンバーの心を、孔明がおさえておけば、先生たちからも絶大な支持を受ける事が出来てしまう。
なぜならば、先生たちに、一番心を開かないのが彼ら彼女らなのだから。
大人といえど先生たちも所詮は人間。
保健室に入り浸る彼ら彼女らが、自分たちに心を開いてくれないことに本当に困っている。
だから、その橋渡しになることができる孔明の存在は、相当重要なものになってくる。
孔明が中学生の時、意地でも保険委員会を続けた理由である。
単に、保健室に置いてある国公認の「無修正」の裸の本や、全女子学生の身長・体重・体の変化等の情報を、掴んで満足しているだけではない。(おっと・・、こちらは忘れて頂いて結構(笑)。)

高校が何もしないで決まった

中学校3年生になっても、孔明のテストの点数は一向に変化なし。
結局、「中の上」の壁を乗り越えることが出来ない。
部活の剣道の練習も毎日あったし、委員会やら何やらいろいろ忙しかったので、家で机に座って家で勉強するどころの話ではなかった。(・・・と言うのは単なる当時の孔明の言い訳)
家に一人で机に座って勉強することを続けられなかったのだ。
中学3年生から母親の命令で塾に通わされることとなる。
塾の販売促進の一環として開催されていた、無料のテストを受けてみたら、テスト結果の「偏差値」が、恐ろしいほど低かったから・・・でもある。
母親はこんな「偏差値」では「希望高校の受験に合格するわけがない!」と、いつもカンカンになっていた。
けれどもそんな親の心配をよそに、個人面談の時、担任の先生から。
「彼の成績だったら、●●高校に書類選考で行けるかもしれませんね。」という話をもらった。
その高校の「偏差値」は当時「68」以上。一般受験をしたら、とても難しいといわれる高校。
母親は大感激していた。
更に両親の希望高校でもあったからだ。(親が希望高校を決めるというのも変な話だ・・・)
孔明はテスト結果こそいつも普通。だけど、最終的な成績が相当良くなってしまった。
また、孔明の住んでいた県の基準で、美術・音楽・技術・体育等の技能教科の得点配分が、通常の国語や数学、社会、理科、英語に比べて、2倍加点される仕組みだったことが、更なる幸運をもたらした。
音楽はピアノを小さいころからやっていたため出来た。
他の教科はただ楽しんでやっていただけ。外の生徒たちが舐めてサボりがちな、技能教科程真面目にやっただけだ。
まじめに楽しんでやっていただけなのに、結果、成績が高くなってしまっていたのだ。
その2ヵ月後。
高校に最後までろくに勉強もせずに、合格してしまった。
「書類選考」だ。筆記試験どころか、面接も無かった。
他の人達が受験勉強をまじめに開始したばかりの時期だった。


「運」は自ら作つかみ取る

果たして孔明の高校合格は運だったのか?
仮に本当の孔明の学力を知っている人たちがいれば「運だけだ」と思われるかもしれない。
けれども、自己分析によれば、これは「運」だけによるものではないはずだ。
中学校1年生の時に、中学校の「相対評価」の仕組みに気づき、孔明なりにどうしたら「相対評価」の中で、高成績を取れるかを考え、計画を立てて実行し続けた結果だからだ。
もしも他の多くの頭の良い生徒達と一緒に、真面目にテスト勉強だけで戦う道を選んでいたら、決して勝ち取ることができなかった「親の希望高校合格」だったのだ。
母親「私は昔はオール5だったのよ!それなのにあなたは!」
勉強をこよなく愛し、地方公務員教員職だった母親が言うほど、いくら子だからといって、孔明は自分自身で、期待されているほど、頭が良くないことに、早くから気づいた。
特に、良くも悪くも記憶力が良く無いのだ。(悪いことも忘れるというメリットもあるが。。)
だから、限られた自分の能力の中で、目的を達成させるやり方を自分の意思で考え、他のクラスメイトたちとは完全に違う方向性を選択した。
戦わずして勝つ道を選択した結果なのだ。
まあ、ピアノと習字という習い事は、それを昔に選んでくれた親に「感謝!」なのだが。

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