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13/11/24

偏差値30台から、4年浪人して獣医学科に入学した話 第22回

Image by Olia Gozha

山口大学 いざ出陣

本命の山口大学の受験は鳥取大学の後だったので、鳥取大学で思う存分の解答を書くことができたのは余裕につながりました。

山口大学の傾向と対策もばっちり張っていたので、試験日まで過去問と不安のある分野に注力していました。

もしも、傾向を思いっきり変えてきたら。。。。

その時には、私だけでなく受験生全員に激震が走る。

それをカバーするのは、4年間の浪人生活で何回も天国と地獄を見てきた経験と言いますか、自然とついてしまった粘り強さと言いますか。。。つまり積み重ねた自信しかないと思っていました。

ここまで来ると私に勝てるものなら勝ってみて。

という、ラスボス的な心境をもつしかなかったのです。そうして、不安を弾き飛ばそうとしていました。

試験会場は想像以上に遠かった

試験会場は山口高校でした。

山口高校は山口の名門高校で京都大学や東京大学に毎年合格者を送り込んでいます。ということは、山口県の住人になってから知りました。

山口到着よりホテルのチェックイン時間が遅かったので、荷物を持って会場の下見に行きました。

地図では近く見えたのに実際はかなり遠かったのです。

【道を間違えた????】

と思うほど、遠かったのです。持っていった荷物がだんだん負担になってきて、肩が凝り始めました。

「しまった~~~~」

荷物を放り出すわけにもいかず、肩が凝って頭が痛くなってきて最悪でした。


山口高校に着き会場を確認し、また重たい荷物を持って同じ道を引き返しました。

試験当日、めちゃくちゃ寒い雪

試験当日はまさかの雪でした。

しかもキンキンするような寒さでした。

一度、カイロを持っていかず手がかじかんで上手く書けなかったことがあったので、しっかり準備していました。

長い会場までの道のりを今までのことをいろいろ思い出しながら歩きました。本当にこれがラストの受験だと不思議な確信がありました。

会場につくと鳥大のときと同様、会場は受験生であふれていました。

制服あり、親が付き添っている人ありでしたが、みんな最終確認で本を眺めていました。

いつもは会場に着いたら絶対に本は見ないと決めていたのですが、この日はやけに自然体でした。

見たくなったら見よう。

そんな感じでした。

私にとって最後の大学受験でした。悔いが残るのが一番嫌でした。ああしておけばよかった、こうしていれば今頃は。。。。そんな思いで4年間の浪人生活を送っていました。

きっと今年こそはと思い、電報を見てがっかり。。。

合否を知らせる電報は4年分壁に貼ってありました。色あせ具合で大学がわかります。

現役:大阪府立大学

1浪目:大阪府立大学・岐阜大学

2浪目:宮崎大学・岐阜大学

3浪目:宮崎大学・岩手大学

合計7枚の不合格電報が貼ってありました。最初のほうは色あせてただの紙になっていました。

最後の確認をしよう。

そんな感じでまとめを眺めていました。

寒いことは予測がついていましたので、厚手の靴下も持っていっていました。悲しいほどの受験慣れでした。

全力で解いた。本当に。

最後の受験。

鳥取大学のときほどのがつがつ感が実はなかったのです。

私が解けないはずがないので、本当にお手本のような完璧な解答を書こう。

そう思っていました。

試験問題は配られ名前を書く。試験問題を見ると、ありきたりな問題でした。買う問題集がなくなるほど問題は解きました。本屋に数学の問題集を買いに行っても、自分が持っている問題集に出ている問題ばかりで買う必要がなくなっていました。

その時、決めました。

完璧な模範解答を書ききろう。もう体力温存も考えなくていい。これが最後なんだから。


午前が数学で、午後が理科でした。

数学が終わり、ガヤガヤと「できた~?」「あれなんて書いた?」と言いながらみんながお弁当を広げる中、ひとり教室を抜け出して校舎の入口で寒い風に当たりながら、受験の時のいつもの昼ごはん。

・お茶

・カロリーメイト≪フルーツ≫

・森永のミルクキャラメル

を食べていました。

ほぼ儀式化していました。


午後からの生物も得意科目なので「よしよし」という感じで解答しました。生物は長い解答を書くことがあまりなく、単語や数字を書くことが多いので、数学ほどの思い入れが出にくい科目ですが、最後の受験を意識して完璧に書きました。


帰りは鈍行、各駅停車。

何回も何回も受験しているので、さすがに飛行機や新幹線で行きたいとは言いにくかった。

行きは時間を重視していましたが、帰りはいつも電車乗継の鈍行列車でした。

最後の受験の旅は山口から京都でした。乗継を全部書き、ゆっくりゆったり帰りました。

試験の出来もよくて落ちた気がしなかったので、ゆっくり読みたかった本を読みながら、ウトウトしたりしながら京都まで帰りました。


家につくとすごく不安そうな両親の顔。

にっこり笑って

「ただいま」

と言いました。

何も言わずに、「おかえり。寒かったね。」と言ってくれました。

どうだった?問題は解けたか?今年はどう?

そんな余計なことは一言も聞かない家族でした。それが本当にありがたかったです。


でも、今回は私の笑顔でわかってくれたようでした。「ごくろうさん。」と付け足されました。


後は、合格発表を待つだけでした。







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