偏差値30台から、4年浪人して獣医学科に入学した話 第23回

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合格発表まで

合格発表まで、ゆっくり寝て、昼まで寝て、寝たいだけ寝て。。。。
そんなことばかり考えていました。
でも時々、
「うわぁ!!!!」
と言って跳び起きる夢を見ていました。
いつも見る夢は同じ。
自分の入試問題だけ電話帳のように分厚くて、探しても問題が見つからない。
めくっても、めくっても、めくっても。。。。。。予備校の広告ばかり。
周りの受験生はめちゃくちゃ問題を解いているのに、私はひたすら問題がどこにあるのかを探している。。。
「すみません、問題がありません!!!!」
試験教官に手を挙げて聞くと、「そんなことはないですよ、よく探してください。」

何回この夢を見たか分かりません。残念ながら今も見ます。

平気な顔して実は結構ビビっていました。

合格通知を待つ、ひたすら待つ

遠方からの受験生は、合格電報を頼んで帰ることが多いのですが。。。
4浪目は頼みませんでした。意地を張っていたのかもしれません。私にとっての合格通知は大学からの手続書類の封筒が届くかどうかでした。
合格発表の日はわかっていましたので、その日から家の外に止まるそれらしき車をひたすら待っていました。

気の長い話ですよ。。。。

分厚い封筒が来なければ → 不合格
分厚い封筒がくれば → 合格

その封筒をひたすら待つ。家族もたまったもんじゃなかったと思います。
よく、「私の気持ちなんかわかんないでしょ!!!!」
という捨て台詞があるけれど、今になってこう思います。
「あなただって、私たちの気持ちはこれっぽっちもわかっていない!!!!」

私の家族はこんな気持ちだったんだろうなと、私が子供の親になってから本当に思うようになりました。
ただ見守り、応援することしかできない周りの人の気持ちは当時の私には理解する余裕もなかったのです。
ただ、ただ、必死で、周りを気遣う余裕などありませんでした。

「がんばってね」
という応援の言葉を家族が私に言わなくなったのは、私のせいでした。
素直に「ありがとう」と言えばよかったのに、
「これ以上何を頑張れって言うの?気楽に言わないで!!」
と、プレッシャーや焦りから言ってしまいました。

ただ、見守ることしかできない家族のほうが余程つらかったと思います。信じるしかない、祈るしかない立場は気楽に見えて実は気楽ではないのです。。。。

まさか、落ちたのか。。。

合格発表当日。。。。。待てど暮らせど、トラックは来ませんでした。
最悪ですよ。
あれほどの出来栄えで落ちるのか???
それなら、どれだけやればいいんだ?どれだけやったら30人という枠には入れるんだ?
いろいろなことを思いながら、合格発表の日は過ぎました。。。。。。

シーンとした晩御飯。テレビだけがやけにうるさくて、でも消してしまったら本当にシーンとしてしまうので惰性でつけていました。

こんなことなら、合格電報を頼めばよかった。今頃白黒ついているのに。。。

寝るに寝れず、天井をじっと眺めていました。
明日、封筒が来なかったら5浪しよう。
それだけは決めました。

郵便配達が来た!!!!!!

合格発表の次の日、新聞には京都大学の合格発表の風景がでかでかと載っていました。

こんな日が私に来るのかな~。本当にそう思いました。
私、なんか悪いことでもしたかな。。。何で、こんなにつらいかなぁ。

家族と顔を合わすこともはばかられる様な感じで、2階の自分の机でぼんやりしていました。
自分の部屋はもともとありませんでした。自分の机が置いてある場所がつまり自分の部屋のようなものでした。
午前中・・・配達は1台も来ませんでした。
来年は予備校へ行ったほうがいいのかな~。それとも潮時なのかなぁ。

そんなことを考えていたら、バイクのエンジン音が聞こえてきました。京都の町は道が狭く音が響きます。
ぬか喜びは嫌だな~と思いながら窓の外を見ていると、家の外に止まりました。

窓からのぞくと、なんか大きな封筒を持っています。
「きた!!!!!」
転がるように階段を下りました。

私の実家は自宅で商売をしていますので、郵便物は先に家族が受け取ります。
受け取ったのは父でした。
母も祖母もいました。

何も言わないで、父が私に差し出しました。
父も母も大学に行っているので、その封筒の意味がいかに重たいかよくわかっていたと思います。

封筒を開けて、薄っぺら薄っぺらい紙に

「合格通知  入学を許可する」

この文字を見つけました。

「受かった。終わった。長かった。。。。。」

私はこう言ったそうです。自分では覚えていません。
本当に本当に長かった。
何度も、何度も諦めようか?もうつらいし。。。
でも、人生の負け犬にはなりたくないし、人をうらやましいと妬みながら生きたくはない。
私は、ここでは終われない。
そんな行き場のない思いが終わった瞬間でした。

合格した、ばんざ~~~~~~い!!!!!

そんな、のりではありませんでした。
私を心配し、応援してくれた人全員に報告ができる。
高校の先生が私の顔をあきれて眺めたあの日に自分が決めた、大きな掛けに勝った!
そんな、大きな大きな大きな大きな喜びでした。 

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