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13/12/17

15.ドッターからようやくデジタルクリエイターというモノへ

Image by Olia Gozha

そのゲーム制作会社をわたしは半年も経たずに退社しました。

ドッターは、それはそれで非常に素晴らしい世界でしたが、マックのスキルを活かして転職するという目的を全く果たしていなかったのです。

そう、ペケロッパーも素晴らしいけれど、わたしにはMacがある!と思って、次なる会社は、広告のハイエンドなデジタルイメージを作るプロダクションでした。

ここで初めて私のMacスキルが活かされることになりました。当時は、DTPが本格的にプロダクションに導入され始める時でした。

私は、Quadraシリーズが煙を吐くくらい、Photoshopのフィルタ処理に何十分も待たされながら、「あれ?ちょっとイマイチだなあ」とか言いながら、またフィルタかけ直したりと今思えば、ものすごいノンキな作業をしておりました。

でも、ここで広告業界とはなんぞや?ということと、1ピクセルへのこだわりというものを学んだのです。

そして、Starata Vision 3Dという念願のMacでの3DCG制作環境を学び、その後、本格的にLightWave3Dを手に入れ苦節5年という歳月を経て、

ようやく、当初夢見たウゴウゴルーガ的な制作環境を実現したのです。

そうして作ったのが下記です。

晴れて私は、ホビーでMacを手に入れてから、仕事としてMacを、そして3DCGを使っている!と、初対面の人に言えるレベルに到達したのでした…。

ちなみに、当初からすでに、
高城剛さんはハイパーメディアクリエイターでした。

私も、ハイパーメディアクリエイター「マルチマン」としての道が開けたのも、この時だったと確信しています。

そのあとは、とにかく、デジタルによる全てのメディア制作に全精力を傾けてきました。

思えば、「これからは、全てのクリエイティブ制作はパソコンが中心になる」とうことは間違っていなかったと思います。

その後のデジタルクリエイティブは目覚ましいものがありました。

写真は Photoshop でどうとでもなりますし、デジタルビデオによる編集環境は、Adobe Premiereや、AppleのFinal Cut ProといったQuickTimeが切り開いた優秀なソフトによりスタンダードとなりつつありました。

また、ネットスケープナビゲーターによって「World Wide Web」というものが、ふつふつとアタマをもたげ始めていた時でした。

あのCGの衝撃から自分がこの手で CGを作るまで紆余曲折があったものの、結果は良かったと今思えます。

そして、デジタルでの制作環境があらゆる意味で当たり前になってしまった時、私はどうすればいいのだろうと、再度岐路に立たざるを得なかったのです。

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