top of page

13/12/2

15年間ITの研究をしている私がStartupWeekendで2位になった話 :1

Image by Olia Gozha

私のスタートアップ


子供のころ、将来の夢を聞かれるたびに困っていた。野球選手とでも言えばいいのだろうか。でも、現実味がないし、彼らが一体、私の生活の何の役に立っているんだかわからなかった。

私の父親は兼業農家だった。米を作り、野菜を作り、鉄を加工していた。
父親の作品は、その辺の溝のふたで、ため池の柵で、学校の体育倉庫で、神社の鳥居で、、、原子力発電所のタンクだった。どれも役に立っている。

私は父母によく教育してもらった。鉄工所の機械の使い方、田の耕し方、そして読み書き。父母はあまり勉強は得意ではなかったらしく、私の成績がよいと大変喜んでくれた。

「もとしはきっと、何かの発明でもして、たくさんの人に感謝される人になる」

そう言ってくれた。

私もそれを望み、数万人の社員がいるIT系の研究者の道を選んだ。大きな企業は大きな夢をかなえる力があり、きっと父母のように、役に立つ人になれると、そう思っていた。


しかし、現実は厳しい。

大企業は役割分担が進んでいる。「セキュリティ」といって、ひみつばかり。歯車としてのお仕事。自分のやったことが何の役に立っているのかはわからない。

野球選手と同じである。その道の専門家である。悪くはない。






しかし、あらゆる枠組みを変えていくような「イノベーション」を起こしたいと考えたとき、このシステムで機能するだろうか?


・・・。


・・・。

・・・。

8年考えた。自分なりにやってみた。喧嘩にもなった。


けど、わからない。


大きな変革が必要であるとき、各自が既存の役割をこなすだけでは、足りないのではないか。今はそう思っている。



とはいえ、思っているだけでは意味がない。

今のシステムを否定しても仕方ない。



やるべきことはひとつ。

私はこの巨大な、企業というシステムをハッキングして、イノベーションを起こせるシステムにしようと思った。




そうと決まれば、No talk. All action.

やろうじゃありませんか。




でも、どうすれば??




そこで思いついたのが起業家達の姿である。起業家は創業の部分に注目されることが多いが、大きくなった会社も動かしていた。環境の整えられた大企業の中から始めることだってできると思った。


よし、起業家になろう。

会社を作るわけでもなく、社内ベンチャーでもなく、起業家になろう。



起業家になって、イノベーションを起こそう


ニュートン先生に従い、まずは巨人の肩の上に立つことにした。

巨人の肩の上に立つというのは、先人の知恵を借りてから事を始めるということ。私の好きな言葉の一つだ。はてさてgoogle検索と。

イノベーションを起こしたのは、誰でしょう?


ビルゲイツ、ジョブズ、ラリーペイジ。伝記を読む。ふむふむ。

ザッカーバーグは映画も見た。カッコいいことをいっぱい言っている。


・・・。


・・・。


参考にはなりますが、現実的ではないですね。そもそも日本じゃないし。

そんな時、後輩の山下くんが、先輩の的場さんがヤマレコという月間60万ユニークユーザのサイトを作っているから話を聞こうと誘ってくれた。

どうやったのかを聞いた。山岳会のページを作っていて、地道に何年もやってたらここまで伸びたとのこと。ふむふむ。やはり地道なのか。

もう一人聞いてみよう。

東大には、モバイルAR、マルチタッチなどなど、イノベーションを感じさせるあらゆる物をすでに十年以上前に作っている先生がいる。Sony CSLで副所長をしつつ、クウジットという会社の起業もしている方だ。

憧れの存在だった。調べてみるとなんとその先生はうちと同様、お堅い電機系企業の出身だった。そうなると、何をどう考えて生きてきたのかを知りたくて、どうしても会いたくて。

とはいえ神様のような人はとても忙しい。ちょっとWEB上に書かれた予定を見ているだけでも、どこどこ(海外)でkeynote、どこどこ(海外)でkeynote、そんな予定でいっぱい。 なかなか会うだけでも大変だ。


でも、会えた

出会いなんてものはほぼ偶然なんだと思う。

学会のイベントでご一緒した人が先生の研究室の研究員だった。お願いすると、引き合わせてくれた。会えないと思ってた人に、すぐ会えた。人生は不思議だ。


そして当日。

いろいろ準備して、自分の考えた具体的かつ世界を変えるイノベーションのアイディアを携えて先生に会いに行った。私は10年かけてこれを実現できればいいなと思っていた。[参考]


■角岡「イノベーションのアイディアを考えてみたのですが、先生ならどう進めますか?進め方を教えてください。」(キリッ)


■暦本先生 (ニコッ)


  「作ればいいよ。」


  はい?

  「作ればいいよ。今ならandroidとjavaで簡単に作れるよ。」

  は、はい。


話を伺うと、大学教授になった今でも、自分で作っているそうです。教授室だけど、実験室でした。いろいろ教えてくれましたが、基本的にはこれがほぼすべてだと思います。

はるか遠い偉人、身近な偉人、憧れの偉人。

あらゆる偉人に共通していたのは、先生が言っていたことと同じ。

  「作った」ってこと。

シンプル! シンプル! シンプル!!!!!


すがすがしいほどシンプルだ!

あれやこれや考えていても仕方ない。とにかく作ることが重要なんだ!

目指すところはひとつ! とにかく作るんだ!





やったー! わかったぞー!!!





私は達成感でいっぱいだった。イノベーションを起こす方法がわかった!

と、気付いた。




しかし、待てよ。そんなに簡単に作れるものなのか・・・?


←前の物語

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page