失恋と革財布と旅立ち(16歳でオーストラリアに単身留学した話part1)

前編: 一寸先は闇だけど
僕が16歳だったときのことを記憶を辿りながら書きはじめてみると、思っていた以上に難しい作業だということに気づかされた。
というのも考えてみれば当時読んでいた本や聴いていた音楽は今とは違う訳で、僕の物事に対する捉え方や考え方、例えば文体ひとつとっても今とは随分違っていたように思う。一度何かを持ってしまうと、それを持っていなかったときの感覚を思いだすのはなかなか難しい。
でもそれはつまり裏を返せば、今の僕の中に流れている【何か】の源流となっているもののいくつかは16歳から17歳にかけての1年間のうちに生み出されたものだということでもあり、この文章を書くことは産卵期を迎えた鮭が川を遡って行く行為に近いのかもしれない。
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オーストラリアへの出発は2005年3月26日だった。出発の時期について、あまり多くのことは覚えてないけど、ひとつだけ出発の数日前にある女の子が僕にポールスミスの革財布をプレゼントしてくれたときのことを少し覚えてる。
その彼女は僕が初めて付き合った女の子で、僕たちはその半年ほど前に理由あって別れていた。はっきりとした理由は覚えていないけど、毎日のように会っていたのに、ある日を境に突然連絡もとらず会わなくなるというのは初めての経験だったし、彼女の残した様々な言葉のおかげで、そのときの僕なりにだけど、物事を考えるきっかけになった。たしかオーストラリアへの留学を本格的に考えたのも、その子と別れたすぐ後だったように思う。
現地の紙幣はプラスチックでてきている、ということを僕の家にホームステイしていたホストブラザー(僕は交換留学制度を使ったから、先に現地から留学生が数ヶ月ほど家に滞在していた)から聞いていた僕は、何故か大きなクレジットカードのようなものを想像していて、出発当日に初めて本物のオーストラリア紙幣を手にするまで、彼女がお年玉を全部使ったというその高級な財布に果たしてオーストラリアの紙幣は入るのか、もしかしたら折り曲がらないのではないか、などというよく分からない不安を抱えていたけれど、もちろんそれは杞憂に終わった。オーストラリアの紙幣はたしかにプラスチックできていて、紙と比べて汚れないし、破れたりもしないけど、だからといって折り曲がらない訳ではない。薄くて使いやすい紙幣だ。
一方、留学に対して抱えていた不安というのは本当にそれぐらいのささやかなもので、あとはとても楽観的で行けばなんとかなると思っていた。結果としてコミュニケーションで散々苦労するはめになったけれど、それも仕方のないことだと思う。あれほど苦労することを知っていたら、そもそも留学を躊躇していたかもしれないし、そういう意味では、時に恐ろしいほど何も考えていない自分の楽観的な性格に敬意を評したい。
これは実際に現地で生活してみて思ったことだけど、日本人の英語教師に英語を学んでも英会話はうまくならない。なぜなら耳が違うから。日本語の音と英語の音はそもそも使ってる周波数が違っていて、その周波数に慣れてないと日本人は英語を聞き取ることができない。ある程度の英語圏での滞在経験がない限り、大抵の教師の話している英語の周波数は、ほとんどの場合が日本語の周波数のままだから、その授業しか受けていない学生が現地に行って英語を聞き取れるわけもないし、聞けないのに話せるはずもない。
僕の場合も同様で、これは英語なのか?というぐらい何一つわからなくて中1レベルの自己紹介や会話をちゃんとこなせるようになるにも3ヶ月ぐらいかかった。
きつい言い方をすれば僕が英語だと思って習っていたものは結局日本人教師の日本語の延長だったのだから当たり前だ。現地で何も分からないまま生のコミュニケーションに放り込まれて、まるで初めて英語に触れたような気がした。だから本当に外国語を話せるようになりたいなら、会話の必要に迫られる状況に身を投げないと会話は上達しないと思う。(実際に現地に行くとか、仕事で使わなければいけないとか)
さらに言えば英語の場合、学校の授業ではそんなに重要視されてないけれど、LとRの違いやVとBの違いは確実に習得しておいた方がいい。その違いが発音できないことがコミュニケーションの妨げになるし、話しているときに何度も聞き返されるとだんだん話すのも嫌になってくるから、その使い分けができるかどうかが確実に将来的な英語力に影響する。僕も相当特訓してもらったおかげで今ではなんとか使い分けられるようになった(と自分では思っている)
少し話がそれてしまったけど、僕は基本的にとても楽観的な性格でやっぱり不安は感じていなかったと思う。むしろこれから始まる冒険に胸を高鳴らせていたという感じかもしれない。
いよいよ出発の時が来て、オーストラリア行きの飛行機にのったとき、僕の隣には同じ歳ぐらいの女の子が座っていた。深夜出発の便で朝にはオーストラリアに着く予定の飛行機だった。彼女は窓側の席で、外からの月の光で手紙を大事そうに何度も読み返していたんだけれど、しばらくして堪え切れなくなったように泣きはじめた。どれぐらいのあいだ泣いていたのかは覚えていない。5分だったかもしれないし、1時間だったかもしれない。一瞬声をかけようとかと思ったけれど、結局声をかけることはできないまま、彼女は眠ってしまった。僕はなかなか寝付けず、ずっとマルーン5の曲を聴いていた。
翌朝になり飛行機が到着して荷台の荷物を取ってあげると彼女はありがとうと笑ってそのまま去って行った。彼女がどこから来て、どこに向かっていたのかは知らないけれど、彼女には彼女の物語があって、これからもその物語は続いていくんだと、ふと思った。それ以降、二度と彼女に出会うことはなかったし、もう顔も覚えていないけれど、上空1万メートルでたった一晩だけ、ほとんど言葉も交わさずにいた旅の友のことは、たぶんこれからも忘れないんじゃないかと思う。
ブリスベン国際空港に到着し、乗換のために空港のロビーに向かうと、そこはもうオーストラリアの空気で、日本とは違うものが流れていた。僕はゆっくりと深呼吸をしてシドニー行きのゲートに向かった。

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