人生設計なんてあるようでどこにもなかった。(2)

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どんな仕事も最初は大変だけど


こちらでは 主婦のことを
full-time momとも言います。



私にとってある意味有り難かったのは
生活に慣れるのに一生懸命なうちに
こども二人を授かったことでした
こればかりは私が選べることではないし
とにかく「やっていくしかない」という
ある意味切羽詰まった状態で
「仕事」を考えるヒマはなかったのです。

この時 初めて社会の中の自分の位置づけを
改めて見直せました。
仕事をして社会の一員となる という役割から
こどもを育てることで
次の社会をつくっていく という役割
それは自覚とともに
私の人生そのものを大きく変えました。


「社会」の基礎を作る仕事 と お医者さんでいること


現在の医学部入試が
どれ程熾烈なものか
実際にはよく分かりません。

もちろん
私の頃も簡単ではなかったですが。

だからずっと続けて行くつもりで
一応5年、10年、20年プランをたててみたり
でも結果は
「渡米」「子育て」の二点から
全く違うことになっていきました。

ユタではご縁を戴いて
病理に関連した研究にも携わらせていただいて
その後 2 years ruleというビザの約束で
日本に帰ることになり
再度病理という診断の仕事を始めました。

(あ、左上の白黒、電子顕微鏡なので
私の仕事とは関係ないです ww)

少し休んじゃったけど
よい経験をさせて貰ったな
さて、元に戻って頑張ろう〜

ってかんじ・・・・

大学よりきつーいトレーニングでしたが
それでも「数をこなしてなんぼ」的な
職人的なところもある仕事でしたし
学べば学ぶほど深くて神秘的な生命が見えるので
本当に楽しかったんですよ。

子供達も日本語環境にすぐ慣れて
日本の保育園には
本当に御世話になりました・・・・
私達がぎりぎりまで働けるようにして下さっていたし
親戚が近くに居なくても
なんとかやっていけたのは
保育園とダンナさんの助力のおかげです、本当に。

で、2年経ったころ
ダンナさんがまたアメリカに戻ることにしたようで

これは本当に悩みました。
一度 もとのプランにほぼ戻せて
周囲の「ご厚意」のおかげで
微力ながらもなんとか
戦力の一部になれるようになって来たのに

でも同時にこの頃
子供達にかけている負担がとても大きくて
とても「社会の基礎を作っている」なんて
言えない状態でした。

結局
専門医試験をうける準備を揃えてから
渡米するということで
ダンナさんと半年ずらして再渡米

戻って来ないかもしれないし
戻ってくるかもしれないし
でも出来ることをやっていこうと思いました。

2007年4月
二度目まして、のユタ州です。










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非常識、自信完全喪失、そして新しいチャレンジ発見。

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