Rickenbackerに憧れて(1)

次話: Rickenbackerに憧れて(2)
中学2年生のとき、3つ上の姉が友人から数枚の洋楽アルバムを借りてきた。借りて来たアルバムはクイーンの「オペラ座の夜」とビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」そしてビートルズの「赤盤」と「青盤」だった。


小学校6年からフォークギターを弾き始めたのでかぐや姫や風やさだまさしばかり聞いていたフォーク少年にとって、隣の部屋から流れてくるその音楽は衝撃的だった。特に小学生の頃サイダーのコマーシャル*で流れていた曲が大好きだったので、それが「青盤」に入っていた事に興奮した(Please Please Me &She Loves You)。


ビートルズにハマったその年(1980年)はファンにとって最悪の年だった。1月にはポールのウィングスライブが麻薬不法所持でお流れになり、12月にはなけなしの小遣いをはたいてビートルズのファンクラブである「ビートルズ・シネクラブ」へ入会手続きをした直後ジョンが射殺された。


その後の追悼番組や追悼雑誌では、初期のジョン・レノンが弾く黒くて銀パーツがテカテカしているギターや、ジョージ・ハリソンが弾く12弦ギターがもの凄く格好良く見えた。そしてポール・マッカートニーの弾く奇妙な形のベースが異様に印象に残った。


楽器もそれまでのフォークギターから、隣のまちのレコード屋の天井からぶら下がっていた、ハートマンのストラトモデルとアンプを購入して、エレキギターに持ち替えた。本当はビートルズと同じ楽器が欲しかったが、当時外国の楽器は非常に高価で、中学生に手が届くようなシロモノでは無かった。


また、友人から「ポールはギターも弾けるしピアノも上手い。ジョン・ポール・ジョーンズもそうだ。ベーシストは格好良い。」と聞いて、衝動的にベースに転向しようと思い立ち、フレッシャーのバイオリンベースをお年玉で買った。最初はポールのと同じだと思って嬉しかったのだけれど良く見ると大分違っていた。


秋の文化祭を迎える頃には、友人達とバンドを作り、かぐや姫とビートルズと長渕剛の曲を演った。当時はピアノに合わせて調律する知識も無く、練習不足でボロボロの演奏だったので、今録音が残っていない事に感謝している。というか、楽譜初見に近い状態で、なんで人前でやろうと思ったのか自分で不思議なくらい。


中学3年生の修学旅行では、親戚や近所からもらったお小遣いを300円しか使わずに帰ってきて、市内のレコード屋に行って、もっていたファーストアルバムとバラードのベスト盤を除くビートルズの全アルバム+αをまとめ買いした(ただホワイトアルバムだけは在庫が無く、手に入れたのは大学に入ってからだった)。


笑ってしまうのは、企画物のインタビューレコードの「Beatle Talk」や、唯一の公認ライブである「アット・ザ・ハリウッドボウル」や、アルバム未収録音源を集めた「レアリティーズVol.1&2」まで買った事。7万円近く買ったのでアルバム購入スタンプが貯まりすぎて、他に3枚持って帰れた(親にこっぴどく怒られたけど)。


九段会館で行なわれたシネクラブのイベントにも良く通った。ビデオが普及していない当時、そのイベントで上映されるライブや映画でしか動くビートルズは見る事が出来なかった。たまにテレビで流れても版権の関係か、ちょっとだけだった記憶がある。とにかくどん欲にビートルズの演奏を見た。


「音楽専科」や「ミュージックライフ」や「プレイヤー」等の音楽雑誌と「FMレコパル」「FMステーション」等のエアチェック雑誌の洋楽記事や楽器記事を読み漁るようになった。学校の友人にも洋楽が好きな奴がいて、週明けの月曜日は週末の「ベストヒットUSA」の話題で盛り上がったものだ。


話が横道にそれたが、Rickenbackerという楽器を意識したのは、間違いなくビートルズであり、それがそのまま憧れとして、ずっと心に根付いていた。しかし、本物を手に入れるのは意外なくらい、ずっとずっと後の事である。

続きのストーリーはこちら!

Rickenbackerに憧れて(2)

著者の増田 和順さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。