デザイナー修行物語その2:社長に「豚」と呼ばれても、右腕としてやり通した後で得たものは、かけがえのないものでした。(再就職〜独立)

前話: デザイナー修行物語その1:「デザイナーです」って言うと「カッコイイ!」って言われるんですが、実は徹夜当たり前の体育会系の職業でした。(大学時代〜就職)

皆様、ご機嫌麗しゅうございます。
寒い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

さて、皆様は人生の中で、


「豚」


と呼ばれたご経験はありますか?

・・・私はあります♪

あれはまだ夏の香りの残る、9月頃のことでした。

私は、当時の会社社長(42)と、クライアントのお姉様方と、
総勢10人程で、おしゃれな表参道のフレンチ・カフェ&レストラン
「アニヴェルセル」にて、宵闇の楽しい時間を過ごしていました。

(↓まさにこのストーブの周りの席に座ってました)

社長は美しい女性達に囲まれ、美味しいお酒を飲めて、話題の中心にいられることにとても満足している様子でした。

そこへ、当時会社の若手デザイナー、通称「メガネ君」が通りかかりました。
メガネ君はとてもシャイな男の子で、当時お姉様方に大変可愛がられていました。

そこで私はお姉様方を楽しませようと、大きな声で
「メガネく〜ん!こっちこっち!」とメガネ君を宴の席に招いたのです。
メガネ君は恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに私達のテーブルへやってきました。
お姉様方の「キャ〜!」という盛り上がりの悲鳴と共に、
場は全部メガネ君が持っていくような形になりました。

そのときです。隣にいた社長が、完全にすわった目を向け、
私にドスの効いた声でこう言いました。


「おい、豚。」


残暑厳しい9月の夜の空気が、一気に凍りつきました。

しかし、私はその場を凍りつかせてはならないと思い、
自分の感情を押し殺して咄嗟に笑い話にしました。
「やっだぁ〜社長!何言うんですかぁもう!」ははははは、と笑い声をあげながら、お姉様方を素早く見渡し、誰も私の動揺に気づいていないことを確認しました。なぜか、ほっとしました。

社長は自身が場の主役だったのに、若いデザイナーにごっそり持って行かれてしまったことが悔しかったのだと思います。私さえ彼に声をかけなければ、と思ったんでしょう。

そして、2軒め行くぞ〜!という社長にお付き合いをし、深夜社長がタクシーに乗り込むのを確認し、全てのお姉様方をお見送りし、私はその後徹夜で仕事があったので、ひとり社に歩いて戻りました。

そして、社に戻り、まだ働いてた先輩方の顔を見た途端、
私は泣き崩れてしまいました。

これは私の、人生2社目の会社での話です。

希望通り、エディトリアルデザイン会社に就職。

さて、ロンドンから帰国し、私は希望通り、エディトリアルデザインの会社に就職することが出来ました。(デザイナー修行物語その1:「デザイナーです」って言うと「カッコイイ!」って言われるんですが、実は徹夜当たり前の体育会系の職業でした。(大学時代〜就職)参照)

最初の会社から比べると規模は格段に小さく、社員5人ほどの小さな事務所でした。デザイン会社は社員2〜5人くらいというのは珍しくなく、その人数で結構な数の雑誌をこなしているところも多いと思います。

新卒で入った会社と同様、私はまたイチからの修行です。

朝は誰よりも早く来て、お掃除をし、コーヒーを淹れ、先輩のお手伝いをし、備品を注文し、お客様にお茶を出します。

ただ、今回は二社目です。私の気持ちは一社目とは違いました。

何しろ、この会社で勉強して、28歳には独立をしたいと思っているので、早くエディトリアルの仕事をこなせるようになりたいと情熱を燃やしていました。

お掃除やコーヒー淹れなどの些事はまったく問題なかったのですが、1ヶ月、2ヶ月経っても、なかなか仕事を任せてもらえないのに業を煮やしました。

やる仕事は本当に雑務のみでした。スキャンとか、お手伝いとか、それこそ新卒や未経験者のやる仕事ばかりでした。例えば、それと同時に新しいページをデザインさせて貰えるならまだ良かったのですが、デザインを任されることは3ヶ月たっても一切ありませんでした。

業を煮やして直談判。

私は、その当時から自分の能力に自信がありました。


「自分の今の年齢で、今現在の能力を買ってくれる会社は他にいくらでもある」


と思っていました。

あの、こういうと鼻持ちならないやつ、自信家、と思われるかもしれないのですが、「実がないのにただ自信過剰」なのと「自分が何が出来るかわかっていて、それが市場でどのくらいの価値があるかを自分で把握している」ことは、全然違うことだと思うんです。要するに自分のブランディングが出来てるかどうか、っていうことだと思うんですが。

それで、ある日社長に言いました。


すみません、社長、ちょっとお時間頂けますか?
社長
おーどうした。
私は将来アートディレクターになりたいんです。今、自分を磨きたいのです。3ヶ月働かせて頂きましたが、このまま「お手伝い」の仕事しか頂けないなら、自分の時間がもったいないので、この会社辞めます。
社長
えっ!(ぎょっとしてる)ちょっと待って!

就職したときも、私はお給料の交渉をしました。
提示額がとても低かったので、◯◯円以上でお願いします、と。

社長曰く、面接で給料の交渉したヤツも、3ヶ月でこういう辞職の話をしてきたやつも、今までいなかったとのことで、なんだか大変面白がられました。

そして、なぜかその後一晩中飲むことに(笑)。

ある雑誌の締切日だったので、巻き込まれた先輩方にものすごい申し訳なかったのを覚えています。もちろん飲みに行ったあと会社に戻り、朝方7時に入稿しました。

社長の右腕に。

結局、仕事をどんどんやらせてやる、むしろAD(アートディレクター)になれるよう、修行させてやると言って頂きました。

ただし、AD(アートディレクター)修行は、会社の業務とは全く関係ないところでの修行だから、普通の業務をこなしながら、AD修行をするというダブルワーク的な立ち位置でもついてこれるなら、という条件付きでした。

望むところでした。

社長は基本的にAD業のみをやっていて、社員がデザイン業をして回している会社でしたので、社長が撮影や打ち合わせでADとして出ているとき、私はそのアシスタントとして、撮影現場に立ち会わせて貰ったり、お使いに走ったりしました。そして、撮影などが終わると私は社に戻り、外出していて出来なかった自分の分の作業をするという、壮絶な日々が始まりました。

もちろん泊まりも増え、プライベート時間はゼロ。そのダブルワークの他にも、社長の右腕として、打ち合わせに同行し、毎晩クライアントさん方と飲みに行くのにも必ず連れて行かれました。で、深夜会社に戻って更に遅れた分の仕事をするという、今書いていて恐ろしいです、そんな状態でした(笑)。

先輩方は、いったいこの子は何をやり始めたんだ?というかんじで、「よくやるねぇ」というちょっと呆れ顔だったと思います。

そして、人間なんでも慣れるものですよね。そんな状態にも慣れて来たので、私は更に自分の仕事を増やしてみました。限界への挑戦です(笑)。

会社に入ってくる仕事のほぼ全ての「進行管理」をやることになりました。どういう経緯でやることになったかあんまり覚えてないのですが、気づいたときには全てのクライアントさんとやりとりし、先輩や同僚の仕事の管理をし、カメラマンやイラストレーターとの折衝まで引き受けていました。

毎月初めに各デザイナー個人の月間予定表を作り、ここまで出来たら早く帰っていいとか、全員の仕事がうまく回るように調整していました。そして、進行状況などを社長に戻し、予算の話までやらせて頂くようになっていました。

気づくと、デザイナー件、ADアシ件、進行管理件、マネージャーになっていました。

全部繋がっている。同僚たちとの絆。

大変な修行時代でしたが、これが独立後どれほど生きたか、想像に固くないと思います。

フリーランスというのは、上記したようなことを、すべて一人でこなすことになります。図らずも、この壮絶な日々を、後々うまく活かすことが出来ました。

最初の会社でもそうでしたが、この会社でも先輩、後輩に恵まれました。仕事は皆本当に忙しく、何度も共に夜を越しました。事務所内は基本的にとても仲が良く、人間関係で悩むことはほとんどありませんでした。

同僚たちとは、いい思い出がたくさんあります。

真夜中に皆で笑いあったこと、毎朝オフィスに行くと死体が何体か転がっていたこと(笑)、皆の進行管理をしていた私は「お母さん」と呼ばれ、重鎮の男性デザイナーが「お父さん」と呼ばれていたこと・・・

当時私は、会社専用の「ネタ帳」を作っていました。

「お父さん」が無口だけど、たまに言うことが相当面白いので「お父さん語録」として面白いことを言ったときは必ずメモを取っていました。

それを夜中に皆で作業しているときなどに発表して、皆で爆笑していました。

そのネタ帳には社長の「差別発言」も面白かったのでネタとしてメモしていました。真顔で言われたものを、こっそりいくつかご紹介しましょう。

・メガネかけてるやつは、地方出身者
・帝王切開で生まれて来たヤツは大成しない
・帽子かぶってるヤツも大成しない

意味がわかりません(笑)。
これ以外にも面白いネタがあるのですが、過激すぎてここには書けません。
書いたら皆さん、ガチ過ぎて引くと思います・・・。

とにかく、私が厳しかった日々を楽しく過ごせたのは、ひとえに同僚たちに恵まれたからだと思います。人間関係って、会社では特に大事ですね。

独立。

そして、2005年4月1日、独立しました。28歳でした。

22歳のときに決めていた「20代で独立」をすることが出来ました。

本当にアテもなく独立したのですが、ご縁があって、すぐに色々な所からお声がけ頂き、気づけばもうフリーランスとして10年が経とうとしています。

今でこそ女性でフリーでお仕事をしている方、そんなに珍しくはないですが、
当時まわりには一人もいませんでした。両親にも止められました。

しかし会社を辞めてすぐ、今はもうないのですが
「QRANK」という日本映画の雑誌のスタッフに声をかけて頂き、
新しくADを選ぶコンペに参加しました。

「20代女性のフレッシュなADを選ぶ」というコンセプトで、
3組参加のコンペでした。とても楽しかったのを覚えています。
そこで選んで頂き、独立していきなりADになるチャンスを頂くことになりました。本当にラッキーだったと思います。


そこからは、ひとつひとつ丁寧に仕事するのみでした。
ひとつ丁寧に仕事をすれば、きっと次に繋がると信じていました。

あれから10年も続けて来られたことを、誇りに思います。
辛かったけど、自分を信じて、がんばって良かったと思います。

今では、辛かったこと、悲しかったこと、
全てのことに感謝の気持ちでいっぱいです。

やはり起きている物事には、すべて理由があるのだと思います。

点のように思えても、それがいつか線になる日が来るのです。



これからも、苦しいことや辛いことがあっても、それを信じて前に進んで行こうと思います。ご縁があってこれを読んで頂いている方も、毎日色んなことがあると思いますが、自分を信じて前向きに進んで下さいね。


どんな仕事してるの?と気になった方はこちらをどうぞ。

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