25年目の堺空港

後編: 堺空港の思い出1 あの時の課長さん
先日のマニラ出張。
羽田空港を8時に飛び立ったB737は定刻通り9時10分に堺空港に到着した。
ふと、「25年か」という言葉を耳にした。
そう、25年経ったのだ。
今年で開港25周年となる堺国際空港の歴史は1968年に遡る。戦前、日本初の民間航空が飛んだ大浜飛行場は堺にあった。その再来をと誘致を進めた。
場所は工業地帯として埋立が進んでいた石津。陸伝いにして安く済むこと、市街地と工業地帯を挟んだ場所なので騒音公害も抑えられるのが売りだった。
正式に堺への建設が決定したのは今から30年前の1974年。
ところがオイルショックで延期に追い込まれてしまう。その後、紆余曲折の末、正式に建設工事が開始したのが1982年。建設は順調に進み、1989年9月に開港した。建設が早かったのは延期の間も予定地の埋立を進めたこと。万一空港にならなくても工業地として売ればいい、そう考えて堺市と大阪府が埋立を進めたのが功を奏した。
開港直後はバブル景気と花博で人が押し寄せた。空港横のホテルは連日満席でタクシーを待つ人が並んだ。4年後の1993年には早くも利用客1億人を突破。順調に行くかに見えたところでバブル崩壊と景気低迷の時代が押し寄せる。
利用客は右肩下がり、タクシーが客待ちで並ぶ状態になる。空港特急もガラガラで空気特急と揶揄された。
変わったのは神戸空港建設が決まった2001年。対抗策としてビジネスホテルやショッピングモールが近隣に相次いで建設。24時間空港を売りに深夜便の発着を集める。LCC、さらにはライバルだった夜行バスの発着も受け入れ「地方から海外へ」を売りにした。客はV字回復し、港としての輸出入額は国内3位に浮上した。
LCCを使うと堺からマニラまで往復3万。羽田や成田から直接飛ぶよりもずっと安い。現代の呂宋助左衛門になった気分で堺空港を12時に飛び立った。

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堺空港の思い出1 あの時の課長さん

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