堺空港の思い出11 現状と夢 (完結)

前話: 堺空港の思い出10 銀幕とブラウン管と液晶と 
小学生の頃、堺空港見学の感想文に滑走路10本ほしいと書いたら隣席の友人が滑走路100本、スペースシャトルも飛ばしたいと書いていたのを覚えている。子供だから夢はいくらでも膨らむのだろう。

なんだかんだで滑走路も2本、ターミナルも2軒に増えた。
バブル全盛の頃に開港し、直前に周囲の商業地を売ったのがうまくいったのだろう。当時のメディアに「土地高騰が沸騰になる」「火に油を注ぐ」と叩かれたのを押し切ったのが良かったようだ。高値掴みした会社が一時経営難になったのはかわいそうではあるが、ショッピングモールへ土地を貸し出して安定経営になったのだから塞翁が馬だろう。
LCCの積極誘致が当たっているようだ。LCCでは日本初となる欧州/北米便も誘致中と伝えられた。最近は乗り継ぎで空港泊する人が急増。シャワールームを増設し、更に本格的な浴場も検討と報じられた。空風呂として売り出したいとのこと。かつての堺には潮湯という海水を使った公衆浴場があった。現代の潮湯だろうか。
貨物も堺泉北港に隣接し、高速道路直結で陸海空の積み替えがし易いと評判。大阪府としては陸海空一体のハブエリアを目指したいとし、貨物地区の拡張と鉄道貨物の導入を検討している。貨物地区を倍に広げる。鉄道を貨物地区まで延長し、北海道や九州までコンテナ便を往復させる。更に堺泉北港に埠頭を増やす。隣接してフェリーターミナルも設け、大阪南港や泉大津港のフェリーを移設したいとしている。
宇宙も小学生の夢だけではない。堺出身の宇宙飛行士がいるのだし、旅客機並みの騒音レベルになれば宇宙港も作りたいと市長が先日、年始の挨拶で述べた。
1968年の誘致決議文をよく見ると当時の市長、大阪府知事もいつかは宇宙を目指したいと書いている。
一方で統計では不況のあおりを受けているのも事実。回復傾向とはいえ、旅客はピークの1990年水準まで回復していない。貨物は過去最高を記録したとはいえ微々たるものだ。大阪府や堺市の構想は壮大だが、現実に合わせて進める必要もあるだろう。
堺空港が50周年、100周年を迎えるときにどうなっているのだろうか。

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