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14/1/30

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その6

Image by Olia Gozha

大誤算

私の両親は、体にハンディを持っている人たちに対して差別意識なんて持っていなかった。私が幼いころに2年弱アメリカで暮らしたこともあって、当時の日本国内の意識よりも高いくらいだった。車いす専用の駐車スペースに、必要のない人が止めていたるのを見ると「あれはダメだ」と言うような人たちだった。

私が車いすテニスを取材しているのも知っていたから、少し抵抗はあるだろうけど、まあ受け入れてくるんだろうな、と軽く考えていた。「お付き合いをしているよ」くらいだったら、それほどでもなかったのかもしれないけれど、私は早まってしまい「たぶん、結婚すると思う」と口走ってしまった。強烈に反対された。

最初に取材に行ったときの話から、こうなるんじゃないかと思ってた。でも、結婚なんて絶対に賛成できない。すごい拒否反応だった。「受け入れられるだろう」と思い込んでいたから、その反応が予想外過ぎて、余計にショックだった。自分の親は、そんな差別意識があったんだと愕然とした。冷静に考えれば、相手がハンディを持っていなくたった、ある日娘が「付き合っている人がいる。結婚するつもり」なんて言ってきたら、それは親としてもすぐに「うん」とは言えないだろうと今は思う。「結婚」の二文字を出すのは、時期が来てからでも遅くなかったのに。

車いすだからってあんなふうに反対するなんて、両親に幻滅したと思っていた時期もあったけれど、でも、両親に育てられたからこそ、車いすに乗っていること関係なく、「この人だ」と自然に思えたのだと思う。「付き合うのはいいけど、結婚なは無理!」って、考える人だって、きっと少なくないと思うから。だから、両親には感謝している。

結婚まで言い出した娘の相手を、どんな人なのか知りたいというので、会わせたりもしたのだけど、その印象もあまりよくなかったみたい。彼も緊張もしただろうし、その当時、仕事も今ほど重要なポストでもなく、両親はその辺りも心もとないと感じたようだった。他にもいろいろと挙げて、車いすじゃなくても反対みたいな態度になってしまい、私はどうしていいか分からなくなった。

そうなると、両親との揉め事から逃げてしまうのが私の性格だった。彼についての話題から逃げた。もっと積極的に、両親と話し合ったりすれば、また違った展開になったかもしれないけれど、とにかく逃げ続けていた。

彼と出会って翌年の3月に、専門学校を卒業した。卒業前の2月に、専門学校の講師から編集の仕事を紹介された。女性でテニスができる人を求めているという。テニスは小学校のころからやっていて、テニス歴だけは長かったけど、テニス雑誌なんてまるで興味がなかった。「あんな雑誌、誰が読むんだろう?」くらいに思っていた。いちばん身近な姉は、熱心に読んでいたけど。

テニス雑誌、全くイメージ湧かなかったけれど、入ってみたらテニス雑誌でよかったのかもしれないと思った。知っていることが多いから、技術紹介のページの取材でもそれほど困らなかった。そしてなにより、のんびりした編集部だったので私にはピッタリだった。社員になったわけではなく、その編集部の月の給料が決まったアルバイトみたいな扱いだった。そういう立場も都合がよかった。

初校、校了の時期は忙しい日もあったけれど、土日は基本休み、平日もほとんどの日は夕方に帰宅できた。親の目を適当にあしらいながら、週末に会うなどして、彼との付き合いは続いていた。

高校卒業後は短大に入り、その後に四年制大学の3年に編入した私は、短大と大学で、卒業式を2度経験している。そのどちらも、卒業式のあと友達と過ごした。大学の門の外に、卒業式の終了を待つ車がずらーっと並んでいたけれど、私をお迎えに来てくれる人なんていなかった。寂しい学生生活だった。だがしかし! 専門学校卒業のときには、卒業式が行われたホテルまで彼が迎えにきてくれた。会社を早退して。そして、高層ビルの上階のレストランでお祝いの食事をした。こういう時間がとてもうれしかった。

いくらのんびりな編集部と言っても、学生時代とは違いストレスも重なる。両親との溝は埋まらないまま、彼との付き合いは続けていた。付き合い始めて1年くらいは「ケンカなんてしないよね♡」と言っていた私たちだったが、次第に揉めることも増えていった。彼にしてみれば、いい歳した女性が実家で両親の目を気にしながら付き合われているのという現状が納得できなくなっていた。私は私で、彼も大事だけれど、でも両親を完全に無視することもできず、どっち付かずの状態になってしまっていた。どんどん息苦しくなっていった。

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